②賭けと条件
「ニアム様、ニアム様」
「ん……う……あと、五年……」
「起きてください」
わたしは侍従長に揺すられ、目を覚ます。見覚えのある天井が視界に映った。
「少々御目が腫れておられるようですね。冷たいタオルを用意しましょう」
そう言って去る侍従長をぼやーっと眺める。
昨日、ロドヴィックがキースを連れ帰ったあと、わたしはそのまま部屋に戻った。そして、そのままベッドに入って、泣いて泣いて泣き疲れて、寝た。
おかげで髪型はかなり崩れてしまっている。最悪だ。
「はぁ……」
わたし達、これからどうなっちゃうのかしら。
このまま、庭園で会う事は二度となくなって、「わたしとキース」じゃなく「皇女と公爵令息」の関係になってしまうんだろうか。
そんなの……
「……そんなの、絶対嫌」
そうだ。なんで、他人にわたし達の関係性を決めつけられなければならないのだろう。
わたしとキースの関係は、わたしとキースのものだ。
「ニアム様、タオルをお持ちしました」
「ねぇ」
わたしは、戻ってきた侍従長に声をかける。
「今日、お父様に面会出来るかしら」
* * *
「何の用だ、ニアム」
お父様の部屋で、わたしの父ーーヴァレリアン十三世は問いかける。
お父様とはしょっちゅう会っている。でも、こうしてぴりぴりとした雰囲気になるのは初めてだった。
「お父様」
「なんだ」
「一つ賭けをしましょう」
「……賭け?」
お父様は、当てが外れたかのように眉を上げる。
わたしが泣いて縋って「キースといさせてください」なんて言うかと思ったのだろうか。父親のくせに娘の事が分かっていない。
「わたしが勝ったら、キースと一緒にいる事を許すよう、ロドヴィックに伝えて。お父様が勝ったら……そうね、お父様の言う事、なんでも一つ聞くわ」
「……ふむ」
「いい?」
「賭けの内容は?」
わたしはふぅとため息をつく。
それは、もう決めてあった。
「お勉強」
「……」
「帝国史と世界の地理、宮廷作法と宮中祭祀に聖典の内容」
「……」
「一ヶ月で、家庭教師に合格だって言わせるわ」
わたしはお父様の青い瞳を真剣に見つめて、言い切る。
お父様はしばらくして、さっきのわたしと同じようにため息をついた。
「一ヶ月で、そんなに出来る訳なかろう。せめて三ヶ月に……」
「そんなに長く、わたしが待っていられないわ」
「……」
呆れたように、ため息をつくお父様。
「ならせめて、宮廷作法だ。それを一ヶ月で完璧にしろ」
「分かったわ」
「それとだ。賭けを受けるのに、一つ条件がある」
「条件?」
「それはーー」
* * *
それから、一ヶ月。わたしは勉強して勉強して、ひたすら勉強しまくった。知恵熱が出ても死ぬ気でやった。
その甲斐あって、宮廷作法の教師が驚いたように褒めてくれた。
そしてその、数日後ーー。
* * *
お父様の執務室に入室したわたしは、ソファに腰掛ける懐かしい亜麻色の髪の少年を見て、歓声を上げる。
「久しぶりね、キース!!」
しかしそれに対して、キースは戸惑っているようだった。
「ニアムちゃん……? これってどういう事?」
「あれ? ロドヴィックから聞いていないの?」
「聞いていないよ?」
聞いていないのか。
わたしはキースの隣に座ってロドヴィックを見る。彼は首をすくめた。
「なにせ、私も詳しい話は聞いていませんから」
「そう」
「予想は、ついておりますがね」
ロドヴィックはそう言って、深緑の瞳でわたしを見る。何の感情も読み取れない目。
わたしが何も返さず黙っていると、その場にいた最後の一人ーーロドヴィックの対面に座るお父様が、口を開いた。
「まあ、まずは座れ、ニアム」
「分かったわ」
言われた通り、座る。お父様の隣で、キースの対面だ。
お父様はテーブルで腕を組み、ロドヴィックを見ながら言った。
「堅苦しい挨拶は、省略するか。公的の場でもないし、ニアムが待ちくたびれて死にそうだ」
「はい。かしこまりました」
「面白みのないやつめ」
お父様が鼻を鳴らし、そしてその青い瞳がキースを捉える。
キースは一瞬怯えたように深緑の瞳を揺らし、少しだけ目を伏せて、開く。
そして。
「陛下。本日は、お招きいただき……」
「堅苦しい挨拶場抜きだ」
「……はい」
肩を落とした。本当に馬鹿。別に、嫌いじゃないけど。
「それで、卿らを呼び出したのは、キース・モラレスに一つ打診をしようと思ったからなのだが」
「打診……?」
「それって……」
お父様の言葉に眉根を寄せるロドヴィックと、どこか期待したように目を輝かさせるキース。
お父様は、二人を見ながら、
「ーーキース・モラレス。ニアムの学友にならないか?」
と言った。
その言葉に、キースはぱちくりとまじろいで、ロドヴィックは「ああ」と得心を得たように頷いた。
「なんの打診かと思ったら、そういう事だったのですね」
「ああ。キースは優秀と名高い。しかも、ニアムとも仲がいい。我が娘の学友に相応しい」
「我が愚息が優秀とは、恐れ多い。ですが、ニアム殿下と親しくさせてもらっているのも事実です。ーーキース、お前はどう思う?」
「え、え? えっと……」
キースはまごついた後、どうにかといったように口を開く。
「学友って事は、僕とニアムちゃんが一緒に勉強したりする、って事ですか?」
「まあ、そうなるだろうな」
「それはすごく、いいと思いますけど……」
「けど?」
「…………なんでもありません」
お父様がおうむ返しをすると、頬を紅潮させたキースは、下を向いて黙り込む。なんなんだろう。
「まあ、一緒に勉強する機会が増えるだけで、それ以外はこれまでのように振る舞って問題ない。どうだ、キース・モラレス。やるか?」
「……では、やらせていただきたいです」
「よし」
お父様は満足げに笑った。
* * *
その後、子供は帰ってろと言われてわたし達が向かったのは、いつもの庭園ーーではなく、帝城の図書室だった。
庭園で二人っきりだから、ロドヴィックに引き離されたのだ。同じ轍を踏む訳にはいかない。
学友になった事だし、一緒に勉強しようという事になり、二人で図書室の椅子に並んで座っている。お互い、本を膝の上に開いていた。
「ねぇ、さっきの、どういう事だったのかしら?」
わたしが声をひそめてキースに問うと、キースは「さっきの?」と首を傾げた。
「さっき、顔を赤くして下を向いてたでしょう」
「あっ、ああ、あれ? あれね……」
思い至ったのか、キースはさっきと同じように、顔を赤くし、下を向く。
「なによ? 続きを言いなさい!」
……なんだか既視感を感じつつも、わたしが問い詰めると、キースは音を上げたように早口で言う。
「婚約の打診じゃなかったのかって思っただけだよ!」
「……婚約?」
「うん。ああいう状況だと、普通は婚約の打診でしょ? だから……『それはすごく、いいと思いますけど、婚約の打診じゃないんですね』って言いかけたんだ」
やめたけどね、と照れ臭そうに笑うキース。
「だって、僕とニアムちゃんが婚約出来る訳ないし」
「……」
わたしはその言葉に寂しくなった。
そうだ。わたしとキースは婚約出来ない。
キースは次期モラレス公爵。わたしと彼が結婚するなら、わたしが降嫁するしかない。
でも、それは出来ない。それをするには、皇帝家とモラレス家の力は大きすぎる。わたし達が婚約しようとしたら、他の貴族達が全力で止める。お父様がそう言っていた。
「わたしが皇女じゃなかったら……それか、キースが公爵令息じゃなかったらよかったのにね」
わたしは独りごちる。キースは苦笑した。
「でも、僕は公爵令息で、君は皇女様だよ」
「……そんな事、わざわざ言わなくていいでしょう。馬鹿」
罵る。そして長い長い息を吐きーーわたしは自分の頬を、ぺしんと叩いた。
「ニアムちゃん?」
「こんな事言ってる暇があるなら、勉強しないと」
「確かにそうかもしれないけど、ニアムちゃんってそんなに勉強が好きだったの?」
知らなかったなぁ、と呟くキースに、わたしは首を振る。
「嫌いよ」
「でも、今はやる気なの?」
「ええ」
「なんで?」
キースが聞く。
「……今日のロドヴィックの態度、見た?」
「父上の?」
唐突な話題転換に、キースが戸惑った。しかし、さすがキースと言うべきか、すぐに頷いた。
「うん、見たけど……」
「ロドヴィックってば、わたしとキースを会わせろってお願いしても聞く耳持たなかった癖に、お父様がお願いした途端、あっさり頷いたのよ!」
「それは、そうかも……。でもあれって、陛下がちゃんと建前を用意したからでしょう?」
「そうよ。だからよ。わたしじゃ学友なんて、逆立ちしたって思いつかないわ」
そもそも、逆立ちなんて出来ないけれど。
「えっと、つまり?」
「もしわたしがもっと勉強していたら、もっと早くキースに再会出来ていたでしょうし、お父様の条件を呑む必要はなかったもの」
「……条件?」
あ、と思った時にはもう遅い。
キースは訝しげにわたしを見ていた。
「条件、って、どういう事?」
「そっ、それは……宮廷作法を覚えろって言われたのよ。キースと学友になる条件として」
「ああ、なるほどね。どうりでニアムちゃんの所作が綺麗になっていた訳だ」
「そう? ありがとう」
いつも通り笑顔で、納得したように頷くキース。わたしも同調する。
でも、わたしは知っている。こういう時のキースは、
「……で? もう一つの条件は?」
こういう時のキースは、大抵は油断させ、人を嵌めようとしているのだと。
「……ないわよ、もう一つの条件なんて」
わたしは必死でなんて事ない顔して嘘をつく。だけど、わたしの浅い嘘は、多分キースにはバレている。
そんなに短い付き合いじゃない。お互いの考えなんて、丸見えだ。
だからこそ、次にキースが何を言うのかなんて、わたしにははっきり分かっていた。
「そう? なら良かった」
キースはそう言って、膝の上の本に視線を落とす。
その姿を見て、罪悪感が湧いた。
キースは、わたしが嫌がっているのに無理に聞き出そうとしない。
それを理解した上で、利用したのだから。




