①ニアム・ユーガット
ユーガット帝国皇女、ニアム・ユーガットは、非常にお転婆なお姫様だった。
勉強は苦手。お作法なんて習いたくない。そう言い張っては"気絶の加護"を使い、護衛や侍従を気絶させ、その隙に帝城を一人で抜け出した。
抜け出した後は、帝城の庭を散策する事もあれば王都の露天を冷やかす事もあり、果ては平民と友達になり、一緒に遊ぶ事もあった。もちろん、認識阻害のイヤリングをつけて。
国中がニアムに手を焼いた。どう足掻いたところで、加護は防げない。ならせめてと隠密に護衛をつけたが、それで勉強をさせられる訳でもない。
その状況が変わったのは、ニアムが九歳の頃。
いつものように勉強から逃げて、帝城にある温室を見回っていた時に出会った少年ーーキース・モラレスがきっかけだった。
* * *
「何してるの?」
庭園のベンチに座っていたわたしは、その声を聞いて振り向く。
そこにいたのは、わたしと同じくらいの年齢の少年だった。
亜麻色と呼ぶのか、薄茶色っぽい髪と、深い緑色の瞳。身長はわたしと同じくらい。結構な垂れ目で、なんだか可愛らしい男の子だ。着ているものを見る限り、そこそこいい家の生まれだろう。
「……あなたは誰かしら」
自分の秘密基地とでも言うべき庭園に入ってきた少年に、わたしは警戒心を高める。
少年は可愛らしい笑みを浮かべ、
「キース・モラレスだよ」
と答えながら、わたしの隣に座った。彼の肩がわたしの肩と触れ合う。
そのあまりの不躾さに、わたしはぎょっとした。男女がこんな近距離で隣に座るなんて……いや、そもそも。
「ちょっと、この髪が見えないの? わたしは皇女様なのよ!」
「知ってるよ。ニアムちゃん、でしょ?」
「なによニアムちゃんって」
「え? 名前、ニアムじゃないの?」
「馴れ馴れしいって言ってるの!」
なんなのよ、この子は。キース・モラレス、だったか。お父様にこの事を報告して、家を取り潰してやろうか……ってあれ? モラレスって……
「あなた、モラレス公爵家の人?」
「ん? うん」
「皇族家には劣るけど、そこそこどころかすごくいい家じゃない!」
「あはは……家がいいだけだよ」
わたしが驚いて叫ぶと、彼ーーキースは苦笑いして頬を掻いた。
「僕自身は、ぜんぜんすごくないよ。今日も父上に怒られて、それで……」
キースはそこではっとしたように言葉を止める。わたしは眉をひそめた。
「なによ? 続きを言いなさい」
「それは、えっと……」
「命令よ!」
わたしがじりじりしながらそう言うと、キースは気まずそうに口を開く。
「……それで、逃げてきたんだ」
「逃げた?」
「うん。王城で陛下に挨拶したら、噛んじゃって……怒られたから、僕も怒って逃げてきた。そうしたら、逃げた先にニアムちゃんを見つけて……」
「それで、わたしの隣にさも当然のように座ったの?」
「うん……あ、ごめん! 嫌だった?」
キースは焦ったように謝って、ベンチから腰を浮かすーー寸前、わたしは彼の服の裾を掴んだ。
「ニアムちゃん?」
「別に、嫌じゃないわ」
「え……」
「座るくらい、好きにしたらいいわよ」
キースはしばらく戸惑うようにまじろいで、そしてわたしの言葉に、ぱっと笑顔を浮かべた。
まるで花が咲くようなーーなんて考えた直後に首を振る。男の子に花なんて、おかし……い……
「!?」
そこまで考えて、思考が止まる。
キースが、わたしに抱擁してきたからだ。
「ありがとう!」
「ちょ、な、馴れ馴れしいわ!!」
「実はここ以外に行くところがなくて、困ってたんだよ!」
「人の話を聞きなさいよ!」
わたしはどうにかなだめすかして、キースを体から引き離す。
キースはそれでも、にこにこと笑っていた。
「ニアムちゃんは、優しいね」
その笑顔が、何故かすごく眩しいものに見えた。
「……優しくは、ないわ」
「? なんで?」
「だって、わたしはお父様とかお兄様とか……いろんな人を困らせているもの」
わたしが独りごちると、キースはその深緑の目をぱちくりとさせる。
「どうして、そう思うの?」
「知らないの? わたし、お勉強とかまったくしてないのよ」
「なんで?」
なんで、どうしてーーそればっかりのキースに軽い苛立ちを覚える。
「少しは自分で考えなさいよ」
「うーん……分からないなぁ。どうしてなの?」
「っ……」
我慢。我慢よわたし。
「だってみんなを困らせたら、みんなわたしに注目するもの」
「注目してほしいの?」
「そうよ。だってそっちの方が楽しいでしょ」
「ふぅん……」
「そうでもしないと、みんなみんな、お兄様ばっかりに構うんだもの」
わたしが不満たっぷりに吐き捨てると、キースが笑みを深める。
「僕もいっしょだ」
「え?」
「僕の父上と母上は、仕事ばっかりなんだ。だから、僕の事はあんまり見てくれない」
「……お父さん達を、仕事に取られちゃったんだ?」
「うん」
「それはーー」
「だから」
それは、可哀想ねーーと言おうとして、キースに遮られる。
彼を横目で見る。さっきまでわたしを見ていた彼の深緑の瞳は、今は庭園の植物に向けられていた。
「だから、今頑張って、いつか見返すんだ」
「……見返すって、何を」
「父上達の仕事を」
「は?」
急に素っ頓狂な事を言われた気がして、目を瞬く。
しかしキースは大真面目に繰り返す。
「たくさん勉強して、次期公爵な相応しい人になって。そしたら、ざまぁみろって言いたいんだ」
「……仕事に?」
「うん」
「仕事は、人じゃないわよ?」
「? 知ってるよ?」
何を言ってるんだろうーーとでも言わんばかりに首を傾げられ、わたしはため息をついた。それはわたしのセリフよ。
「そこは普通、両親じゃないの……?」
「父上も母上も、仕事がわがままなせいで僕といっしょにいられないんだって。だから、二人にはしないよ」
「どうやって仕事を見返すつもり?」
「僕が、すっごく頭のいい人になるんだ。それで仕事もあっという間に片付けられるようになったら、仕事を見返したって事にならない?」
「なるわけないわよ」
大丈夫だろうかこの子の将来。やっぱり、身分が高い人って頭のネジが緩んでいるのかしら。
本当にあほだ。でも、
「……でも、少し楽しそう」
「! いっしょにやる?」
「わたし、お仕事を見返そうなんて思わないわ」
きっぱりとそう言うと、キースがしょぼんと項垂れた。
ああもう馬鹿。
「……が」
「え?」
「……わたしが見返すのは、お兄様よっ」
植物を見つめながら、早口で小さく呟く。
キースは目を丸くして、そして、
「ニアムちゃん!」
「ハグはやめなさい鬱陶しい!」
相変わらず距離感がおかしかった。
* * *
「ニアム様。今日もお勉学に励まれているのですね」
十歳。わたしが聖典の勉強をしていると、護衛のナックが話しかけてきた。
彼はわたしが生まれた頃からずっと一緒にいる、父親のような存在だ。わたしも彼の事は信頼しているし、好きだ。勉強中にこうして話しかけてきても目くじらを立てない程度には。
「ええ。お兄様を見返してやるのよ」
「いい心意気です」
「キースも頑張ってるもの。わたしだって負けていられないわ!」
「ーー」
わたしがそう叫ぶと、ナックが複雑そうな顔をする。何かしら。
「どうしたの?」
「……いえ、娘の成長というのは嬉しくも寂しいものなのだと、痛感しておりました」
「娘? ナック、娘がいたの!?」
ずっと、ナックはわたしだけの父親だと思っていたので、それは嫉妬してしまう。
しかしナックは首を横に振る。なんだ、びっくりした。
「……そういえば、明日はそのキース様と会う約束があるのでしょう?」
「ええ。二人っきりでね!」
「せっかくですから、可愛い髪型にしましょう。髪飾りも、ニアム様のお気に入りを使いましょうか」
「わぁ! ナックが結んでくれるんでしょ? ありがとう!」
わたしがはしゃいで歓声を上げると、ナックが苦笑いをした。
* * *
翌日。わたしは今日もいつもの庭園で、キースとおしゃべりをしていた。
ここは一年前、わたし達が出会った庭園だ。人気が少なく密会にちょうどいいので、あれ以来、何度もここで会っている。大体はあの時のベンチで、横に並んで色んな話をしていた。
今日もいつも通り、肩が密着するような距離で座って、雑談をしていた。
「……それで、ナックが結んだんだけど、結局この髪型を作るのに一時間かかっちゃったのよ」
「それは長いね。ニアムちゃん、大変じゃなかった?」
「思いっきり可愛い格好でキースに会うんだって思ったら、全然平気だったわ」
「あはは、照れるなぁ」
そうはにかんで、キースがわたしの頭を撫でるーーのを、さっと避ける。
「キース、この髪型作るの、大変だったのよ? 触ったら崩れるわ」
「あ、そっか。……でも、触れないのは寂しいなぁ」
「また今度触ればいいじゃない」
「今触りたいのに」
やれやれ。本当に手がかかる。ーーと、わたしが首をすくめた時だった。
庭園の扉が、がちゃりと開いた。
そして、その扉を潜って現れたのは、亜麻色の髪の男だった。多分三十歳くらい。
この人、見覚えがある。王城で何回か見かけた。前に見かけた時、ナックに名前を聞いた。確か、
「モラレス公爵!」
「父上!?」
わたしとキースの叫びが重なる。
モラレス公爵家当主、ロドヴィック・モラレスは、その落ち着きのある深緑の目をこちらに向けた。
そして、一言。
「この愚息が」
「!」
唐突な暴言にわたしは目を見開く。
そんなわたしに、ロドヴィックは深々と頭を下げた。
「愚息が大変申し訳ありません。ニアム殿下に、このような無礼を働くなど」
「無礼、って……」
「隣に座るだけに留まらず、このような近距離で御身と触れ合うなど……」
「そっ、それは」
……確かにその言い分は正しい。
この国で何番目かに偉いわたしと、こんな距離感なんて、わたしが優しくなかったら処刑ものだ。
「でも、わたしは許しているのよ、あなたにどうこう言われる謂れはないわ」
「ニアム殿下は、幼いので分からないのでしょう。男女が二人きり、至近距離……関係を勘繰られてしまうやもしれません」
「っ……」
ーー勘繰られたっていいわよ!
そう叫ぶのを、なんとか堪える。こんな事を言ったら、まるでわたしがキースをそういう目で見ているみたいだ。
わたしとキースの関係は、そんなんじゃない。確かにキースのことはお父様やナックと同じくらい好きだし、会う時はいつもおめかししているし、近くで一緒にいたら嬉しくなるけど……でもそんなんじゃない。もっとこう、別の関係性だ。
「でも、あなたには関係ないでしょう」
「いいえ。我が愚息が皇女殿下に無礼を働いたとなれば、きつく叱っておかなければなりませんから」
「無礼なんてっーー」
「いいよ、ニアムちゃん」
声を荒らげたわたしを止めたのは、ずっと黙っていたキースだった。彼は立ち上がり、ロドヴィックの隣に歩く。
「すみません、父上」
「謝るのは、私にではないだろう」
「……。ごめんね、ニアムちゃん」
「キースっ」
キースは、ロドヴィックに促され、庭園から出ていく。名前を呼んでも振り返らなかった。
わたし達の庭園での忍び会いは、こうして呆気なく終わりを告げた。




