034.私刑
「何、そ、れ……」
マーシェは、呆然としたように呟く。その手は、もうガラスの破片に伸ばされようとはしていなかった。
「そ、そんなの、わた……わたしを、助け……る、理由に、なんて、ならない、し」
「そうかも。でも、私にとってはなるんだよ」
「意味、わかんない」
「わかんなくたって、いい」
そうだ。わからないでいい。
ただ、一つだけ。
「それでいいから……お願いだから、死にたいなんて思わないで」
「……」
「生きてよ。諦めないで。死んだら、出来ない事もあるんだから」
死んだ私は、もう高梨風花としては生きられない。異世界でフウカを名乗っても、それはもう教育実習生の私じゃない。
「今これを言うのが正しいのかは分からないけど……死んだから、生まれ変わったから出来た事も、あったと思う。でも」
死んだから、この世界に来れた。
兄様に万年筆を貰って、姉様の成長に胸を暖かくして、セイラと何気ない世間話をして、父様のセクハラに顔を赤くして、母様の惚気に呆れて、ルーシー義母様に謝罪されて、シエンナ義母様の意外な一面を見て。
それは間違いなく、高梨風花として死んだから出来た事だ。
でも、そうだとしても。
「でも、生きるのは、今しか出来ないよ」
「!」
私がそう言うと、マーシェはその焦茶の瞳を微かに見開いて、ぼそりと呟いた。
「だけど、死ぬのだって、今しか、出来ない」
「え?」
ほとんど掠れ声で、聞き返す。
マーシェは繰り返すように、言った。
「出来な、かった……っ」
涙声だった。
初めて聞く、マーシェの涙声。
「この、からっ、体……は、マーシェ、の、もの……なの! 今、じゃ……な、なきゃ、出来な……かっ、た! 他の、たっ、タイミング……なら、絶対、マーシェに、申し訳、ない……って、思っちゃう……!」
「……!!」
その言葉は、私に答えをもたらした。
ここまでの会話の意味が、頭の中で繋がる。
「入れ替え……? セイラとマーシェで、体を……」
「そ、う……だよ。ずっと、そう……」
SFチックな話だ。
私が、アリアリーシェへの転生という、ある種の入れ替わりを経験していなかったら、ここまで言われても分からなかっただろう。
「だか、ら……死のうって、何度、も、思っても、死ねなかった……の」
「マー……」
マーシェ、と呼ぶ寸前で、言葉を止める。
彼女はずっと、マーシェじゃなくてセイラだったんだ。
「死んだ、ら……出来ない、事、も、あるかも……だけど、生きて、たって……出来ない事、ばっかり、でしょっ……」
「……」
「お母様と、一緒に、いた……ら、何も、出来ない、もん……。だから、早……く、死にたかった、のに。もう、生きて……たって、何にも、ならない……のに」
ぽつりぽつりと、涙と一緒に溢れ出る言葉。
その全てに、私の心がえぐられるようだった。
でも、だから。
「ねぇ」
なんと呼称すべきか迷い、曖昧に呼びかける。
マーシェ/セイラは何も言わない。
ただ、
「私のところにきてよ」
「……え?」
その誘いには、思わずといったように反応してくれた。
「あ、アリア……リーシェ様、の、とこ……ろ?」
「うん。私の部屋って機密性高いから、マディだろうと勝手に入って来れないし、私の侍女長はあなたの家族だし、いざという時には私が守る」
「で、でも、そんなの……現実的、に……わ、たしが、王女様、の……部屋に、入れる訳…-」
「あなたの加護って、侍女の加護でしょ? 私の侍女になればいいよ。ホワイトな待遇だから、安心して」
「わ、わたし……上手く、喋れない、し……そのせいで、近衛侍女には、不適格……って言われた、のに」
「気にならない。最低限、悪い事をしないなら、それで」
マーシェ/セイラは、反論材料を失ったのか、声を詰まらせる。
私はその隙をつくように、畳み掛けた。
「死ぬくらいなら、私のところに来て。生きてるからこそ出来る事が、たくさんあるから」
「……でも」
「絶対に、死にたいなんて思わせない。あの時自殺しなくてよかったって、そう思えるくらい楽しい人生にさせるから」
だから。
「死んだりしないで」
焦茶の瞳を濡らしたマーシェ/セイラは、私のお願いに、小さく、本当に小さく頷いた。
* * *
結界を、解く。
もたれかかっていたのか、マディはバランスを崩した。
そして私の方を見て、マーシェ/セイラと同じ焦茶の瞳を大きく見開く。
「せっ……アリアリーシェ様!」
「鮮血王女って呼んでいいよ。あなたから敬称をつけられても、嬉しくないし」
きっぱりと言い切ると、マディは「え?」と言う。
「私は、アリアリーシェ様を鮮血王女と思った事なんて……」
「うるさい。マーシェ……ううん、彼女から全部聞いた」
隣に立つマーシェ/セイラを指し示す。
私がマーシェを、彼女と言い換えた理由を察して、マディの顔色が悪くなる。
「ま、待ってください」
「なんで? あなた、マーシェとセイラの二人に何をしたか分かってるの?」
「アリアリーシェ様に、出来るだけ優秀な侍女を送ろうとした結果なんです。適齢なのはセイラだけでしたが、この子は喋るのが上手ではないでしょう? だから、話すのが上手だったマーシェにアリアリーシェ様を任せようと……」
「マーシェは、私が生まれた時、まだ四歳だったでしょ?」
「利発な子でしたから。幼いながらに、大人の私でも驚くくらいに賢かったんです。それに、加護は体に宿りますから、侍女としての業務に支障は出ないと判断しました」
私は、心底呆れていた。
そんな理由で、二人の中身を入れ替えたんだ。
そもそも、マーシェ/セイラの喋りが拙いのは、とう考えても虐待のせいだろうに。今日初めて会った私が勘付いた事を、仮にも母であるマディは分からないのか。
セイラ/マーシェが幼児から女性の体にさせられて、それでもなんとか適応出来たのは、彼女が転生者だったからに他ならない。もし転生者じゃなかったら、どれだけ過酷な環境になった事か。
「だから、二人の中身を入れ替えたっていうの?」
「そうです。全てはアリアリーシェ様のために……」
「ーーありがとう」
「いえ、礼を言われるほどでは」
私が礼を述べると、マディが安堵したように微笑む。
悲しい事に、540度ずれた方向に勘違いしている。
「ううん。お礼、言うよ。ありがとうーー自分の罪を認めてくれて」
「へ、ぁ?」
マディは、間抜けな声を発する。
残念ながら、録音器具なんて便利なものは存在しない。それでも、言質は取った。
「今、二人の中身を入れ替えたんだって聞いたら、肯定したよね」
「ぇ、いや、違……」
「虐待されてたって証言も、マーシェに貰った。セイラの体に、傷跡も残っているだろうって」
よく考えると私は、これまでセイラ/マーシェの体を見た事がない。お風呂に入り、セイラに髪を洗ってもらう時、彼女はいつも体にタオルを巻いていた。
恥ずかしいのだと思っていたが、今思えば、傷跡を見せるのを防ぐためだったのだ。
「入れ替えが何罪になるのかは知らないけど、少なくとも虐待は犯罪だよ」
「そ、れは……た、確かに、セイラの体には傷跡があります。でも、それは事故で……」
「マディ。私ね、今、本当にキレてるの」
往生際悪く言い訳するマディの言葉を、私は遮る。人は怒りが過ぎると冷静になるんだと、初めて知った。
「嘘ついたら、酷い目に遭わせるって言ったよね」
「……ひっ」
「四歳児相手に、その反応は傷つくね」
私は思ってもみない事を言いながら、結界を作る。マディの体に張り巡らせるように。
そして、ミノムシ状態のマディを、更に結界で持ち上げる。クレーンゲームというのはこんな感じだったのだろうか。
くだらない事に思いを馳せながら、割れた窓からマディを出す。
「完全に私刑だけど、ごめんね? 許さなくていいよ。これは悪い事だし、あと許されても困るから」
「や、やめっ……」
心ばかりの謝罪を告げて、魔獣の蔓延る屋敷の外に、マディを静かに置いた。




