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033.罪滅ぼし


 その途端、マディは顔を赤くした。


「セイラーー!!」


 もう誤魔化そうともせずに、マーシェに向けて拳を振るう。私が咄嗟に両腕を広げると、突き飛ばそうとしてきた。

 しかし、どうにか結界を作り出す事に成功し、マディの暴力を防ぐ。


 その代わり、目の前が暗闇になった。


「!?」


 慌てて辺りを見回す。

 暗くなったのは私の正面だけで、他の三方に変化はない。


 ……そうか、結界。あれを張ったせいで、「あちら側からの全ての情報」が遮られているんだ。


「お母……様、どこ、行ったの……?」


 マーシェが呼びかける。それにふと引っかかりを覚えて、私は眉根を寄せた。

 少し考え、違和感の原因に思い至る。


「マーシェって、親の事を名前で呼ばないんだね。セイラは呼び捨てるのに」


 単にセイラが転生者だから、肉体的な親を親扱いするのに抵抗があるだけだろうか。


「あ、それは……セイラ、に……親だ、って、いわ……言われたく、ないから……だと、思います」

「え?」


 マーシェを見る。

 彼女は必死で言葉を紡いだ。


「セイラ、の、せい……で、お、お母様……は、不倫したって、疑われた……から」

「……一つ、聞いてもいい? なんでさっき、マディはあなたをセイラって呼んだの? それに、なんでマーシェがお父さんの事を知ってたの?」


 結局、矛盾に気付けただけで、その理由は分かっていない。


 マーシェは闇に包まれた、マディがいるであろう場所を見る。そして、首を振った。


「い、言えない……」

「……分かった」


 悔しいが仕方がない。結界を解いてーー


「……これ、使い方次第じゃ、向こうからこっちを見られなくさせられる?」


 ふと思いついて、ぽつりと呟く。


 ……やってみる価値はある。


「ぁ……」


 闇が払われ、マディの姿が見え、マーシェの喉が震える。

 目を丸くしたマディは、動きが固まっていた。口だけが小さく動く。


「な、なんで突然、暗くなったの……?」


 そして、さっきの私と同じように辺りを見回し、胸を撫で下ろす。次にしたのは、苛立ちを口にする事。


「きっと、鮮血王女ね……あいつ……」

「マディも、鮮血王女って言うんだね」


 失望と共にひとりごちる。

 しかし、それがマディに届いた様子は見られない。


 成功したようだ。こちらの様子は、マディに伝わらない。


 マディはしばらく結界を睨んでいたが、やがて諦めたように床にへたり込んだ。


「お、お母様……?」

「マーシェ」


 私はマーシェの名前を呼ぶ。


「今なら、ここで話した事がマディに聞かれたりしないよ」


 マーシェは何も言わない。


「答えられる? あなたは、虐待されてたの?」

「ち、違っ……」


 条件反射のように、食い気味に否定される。


「違うの? でも、さっき殴る音が……」

「ーー違うっ!!」


 感情が爆発するような叫びを聞いて、私の心臓が驚きに跳ねる。


「ち、違う! 違……うの、全然、違う! なんに、も、合って……ないし、間違ってる、の! そんな事、ありえない!」

「マーシェ……」

「だって、違……わ、ないと、怒ら、れる……し、叱られる、し、殴……られる、から! 違ってないと、いけないの。合って、たら……困る、の!」


 実質的に虐待を認めるようなそれを聞いて、また上手くやれなかったと悔しさを感じる。こうなった全ての原因はマディにあるが、きっかけはきっと、私にあった。


「違う、全部、全部……間違って、る! こんな、世界、何もかもーー」


 ふっとマーシェの言葉が途切れ、彼女の焦茶色の瞳がある一点を凝視する。

 私はその視線を辿り、全身が粟立った。


 そこにあったのは、私が破った窓ガラスの破片だった。


「やっ、やめて!」


 考える前に体が動き、私はマーシェにしがみつく。


 しかし、マーシェは私を振り払う。四歳児の筋力では太刀打ち出来ず、私はなすすべなく絨毯の上に転がった。

 マーシェは散乱した破片の中でも、比較的大きめのものに手を伸ばすーー寸前、私は結界の存在を思い出し、破片とマーシェの間に張った。


 マーシェは振り向いて、私を見る。


「じゃ、邪魔しないでよ! わた、し……なんて、ふ、不倫の……末、に、出来た子、なんだから、生き……る、意味も、ないの!」

「そんな訳ーーないでしょっ!!」


 私は体を起こし、マーシェを怒鳴りつける。


「生きる意味もない人なんて、この世界にーーううん、異世界にだっていない!」

「わ、わたし……が、いる!」

「違う! そんなの、ただの勘違いだよ!」

「子供、だ……から、まだ、分かんない、だけ! そういう人、も、中に……は、いるの!」

「あなただって子供でしょ! そんな人いない! 思い込んでるだけ!」

「わたし、子供じゃないもん!」


 マーシェは叫んで、言い募る。


「子供じゃない、もん! もう……精神的に、は、十六歳、なの! わたしは……それくらい、生きてる……の!」

「……っ、それは……」


 私はマーシェを凝然と見る。


 そうだ。そもそも不倫の末に出来たのは、セイラだったはずだ。マーシェじゃない。

 マーシェの言い分は、おかしい。


「どうせ、信じ、ない……でしょ、マーシェも、伝えて……ないん、でしょ。でも、本当だもん。わたし……は、不義の、子で、妹にも……負け、る、哀れで、不出来で、可哀想、な、お姉ちゃん……なの!」


 そこまで一息で言い切ったマーシェは、肩で息をして私を睨む。


「だから、止め……ないで、よ!」

「止めるよ!」

「なんで! あなた……は、わたし、と……何の関係も、ないでしょっ!!」

「っ」


 私とマーシェには、何の関係もない。


 確かにそうだ。マーシェの言う通りだ。私はあくまでセイラの主。マーシェは、一回も会話した事のない相手。


「なんで! なん……で、止め、るの!」


 マーシェが、質問を繰り返す。


「目の前で自殺しようとしてる子がいたら、止めなきゃいけないでしょ!」


 私は言い返す。

 だけど、自分の言葉に違和感を覚えた。


 本当に?

 本当に、義務感だけでやってるの?


 こんな魔獣に囲まれた中で、屋敷の守りも放棄して、それでも自殺を止めるのは、義務感だけなの?


 もちろん、マーシェを自殺させたくない。これは紛れもない本心だ。

 だけど、結界でマーシェの身動きを取れなくさせて、外の魔獣を片付けた後で話した方が、ずっと合理的だ。そして今は、いくら冷徹と罵られようとも、マーシェに嫌われようとも、その合理性を優先させるべき状況。ここで負けたら、屋敷の全員が死んじゃうのに。


 なのに、その合理性を捨ててまで、言葉で自殺を止めようとするのはーー。


「……罪滅ぼし、かな」


 口に出すと、すとんと胸に落ちる。


 そうだ。これは罪滅ぼし。四年前の、あの日への。


「罪、滅ぼし……って、何、それ」


 マーシェが、意味が分からないというように私を見る。


「私さ……昔、いじめを止められなかった事があったの」


 昔を思い出して、語る。


 四年前なのに、脳に焼き付いたかのように鮮明な記憶を。


「教師の卵みたいな事をやってたんだけど、行ってたクラスでいじめが起きてて。なのに私は、ぎりぎりまでそれに気付かなかった」


 表面上、平和なクラスだった。

 話し合いは真剣にするし、誰かを馬鹿にしないし、理想的なクラスだった。


 だから、気付かなかった。気付こうともしなかった。


「知った時には、なんとか解決しようとしたよ? でも、それに関わる権利は、知った直後になくなった」


 死人に、生者の物事に口を挟む権利はない。生者の事情を知る権利すら、ない。


「だから、これは罪滅ぼし。何もしてあげられなかったあの子への」


 酷く身勝手な動機だ。


 例えマーシェを助けたところで、■■くんは、あのいじめられていた彼は救えない。結局のところ、私のエゴだ。


 それでも、それが義務感とか倫理観とかを抜いた、マーシェを助ける一番の理由だった。


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