030.やるべき事とやりたくない事
獣の唸る声、風を切り裂く剣の音、馬が駆ける地響き。たくさんの音が氾濫する。
マディが包囲されたと報告して、どれくらい経っただろうか。外では近衛騎士らしき人が馬に乗って、魔獣を次から次へと屠っていた。まだ犠牲者もおらず、魔獣が屋敷の中に入ってくる事はない。ーーただ、それもいつまで持つだろうか。
「アリアさん……」
何かあったらすぐに逃げられるようにと、荷物を小さなポシェットに詰めているセイラが不安そうに私の名を呼ぶ。マディは、やる事があると言ってとこかへ去った。
そして私は、窓からそっと外の様子を窺いながら考えていた。
今、私の結界の力を使えば、たくさんの人が救われるはずだ。近衛騎士達が犠牲になる事はないし、魔獣が屋敷に入るのだって止められる。これには、神様の言葉が正しければ、それだけの力がある。
だけどーー。
「アリアさん、これはどうしますか?」
セイラが聞いてきたので、無意識に俯いていた顔を上げる。
セイラは、認識阻害のイヤリングを掲げていた。
揺れる青い石に釣られるように、私は口を開いていた。
「ねぇ、セイラ。私が今から結界を使えば、魔物の群れなんて蹴散らせるよね?」
「それは……」
唐突な質問に戸惑いを見せつつも、セイラは頷く。
そうだよね。本当なら、今すぐ外に出て結界を作るべきなんだ。
鮮血王女としてそんな真似をするのは、問題があるかもしれない。でも、一つだけ対処法がある。
前々から考えていた。
結界魔法、転移の加護、認識阻害のイヤリング。まるで神様がわざわざお膳立てしたかのような組み合わせ。これらを使えば、正体を明かす事なく魔物退治が出来る。
しかし。
「でも、アリアさん。私は……やりたくないなら、やらないてもいいと思います」
セイラは荷物を整理する手を止め、私を見て言った。
それは、やれるのならやるべきという私の考えとは、相反していた。
「え?」
予想外だった言葉に、目を見開く。
「別に、出来るからやれとか出来ないからやめろとか、そういうものじゃないでしょう。少なくとも私は、そんな事は言いません」
「……」
「アリアさんが怖いのなら、やらないでいいと思います。これが仕事なら、嫌でもやれって感じですけど、アリアさんは報酬も受け取ってないんでしょう?」
「……怖いなんて、言ってはないけど」
「顔が言ってました」
「何それ」
私は、必死で茶化す。
なんでバレたのか。どうにか隠していたはずなのに。
そう動揺する私に、セイラは笑った。
「バレますよ。騙されるほど、短い付き合いじゃありません」
外ではまだ、戦いの音が響いている。
このまま行けば勝てるのか負けるのか、私には判断がつかない。案外楽勝かもしれないし、逆に大苦戦の末に負けるのかもしれない。
ただ、負けたらこの屋敷の全ての人間が死ぬという予想はついた。
「分かった」
「え?」
「私、戦うよ」
「今の話、聞いてましたか? 怖いんでしょう? なら、やらなくても……」
「聞いてたよ。怖いのも本当」
私はセイラの言葉を遮り、言った。
「だけど、セイラを守るためって思ったら、少しは怖くなくなるから、さ」
* * *
「リンドバーグ邸の衣装部屋は、屋敷の隅にあります」
セイラが衣装部屋の場所を説明する。
転移した後の服を探すためだ。
「大体はメイド服なので、サイズが合いそうなものを選んでください」
「了解」
私は頷いて、認識阻害のイヤリングを手に取る。
そして、それを耳に装着した。
「私はこれで変身したら、まず衣装部屋に転移する。次に適当な服を着て、歩いて戦場に向かう……だよね?」
「そうですね。ここから直接、戦場に行けたらよかったんですが」
「魔力で染めるの、このイヤリングだけで精一杯だったからね」
私は言いながら、変身する姿を思い浮かべる。
その容姿はもう決めていた。
「ぁ……」
セイラは、驚いたように瞳を揺らす。
その反応を不可解に思いつつも、私は自分の髪を摘んで視界に映した。狙い通り、黒色だ。
「あの子と、そっくり……」
「セイラ?」
「……なんでも。出来るだけ、他人とは喋らないようにしてくださいね? 口調でバレる場合もあるかもしれないので」
「バレるかなぁ。まあ、そうするけど」
私はとりあえずセイラの言う通りにしようと決める。
セイラは私と同じ目線で言った。
「頑張ってきてください、アリアさんーーいえ、フウカさん!」
私はセイラの応援を受け、前世とそっくりの姿で、「うん!」と頷いた。
* * *
転移した私は呟きながら、タンスを漁る。
「やっぱり裸……。なんだか格好つかないなぁ」
いい感じのサイズのメイド服を見つけて、それを手早く着る。
見た目が変わっているので、服のサイズは大人用だ。手頃そうなものを手に取り、素早く着替える。
……にしてもこの部屋、メイド服多いなぁ……。
「……まあいいや」
さっさと行こう。そうこうしている間にも、戦いは続いているんだ。
* * *
騎士団による防衛戦は、屋敷のぎりぎりにまで迫っていた。数匹は屋敷に侵入を始めている。
こんなに大量の魔獣がどこから、と思って視線を巡らすと、近くの小さな林から湧いてきている事に気が付く。
出来るだけ視界を広くするため、リンドバーグ邸の屋根に登った私は、ある人物を見つけて「あ」と声をあげた。
ローズピンクの髪をたなびかせ、金の瞳で眼下をじっと見ている女性ーーオーラは、私に気付いて「あら〜」と目を丸くする。
「こんなところにお客さんが来るなんて、珍しいわね〜。でも、今は構ってる余裕はないの〜」
さっきと同じようにのんびりとした口調だが、本当に切羽詰まっているのは分かった。
次から次へとポーチから取り出した何かを投げている。
「……それ、何?」
「毒針よ〜。本当は噴射したいのだけれど、射程が短いもの〜」
言いながら、ポーチの中に何本あるのかというレベルで針を投げ続けるオーラ。彼女の指先が動くたびに眼下の魔獣が次々と倒れ、下にはちょっとした死体の山が出来ていた。
私は彼女のその姿で我に返り、結界を作る。ひとまず、この屋敷に張り巡らせるように。
あまり遠すぎると失敗しないか不安だったが、無事に成功する。
屋敷に侵入する魔物が、目に見えていなくなった。
「あら〜、これは……」
ひたすら毒針を投げていたオーラが、魔物の侵攻が止まった事に気付いて、僅かに動きが遅くなる。
「……もしかして、あなたが原因かしら〜?」
「うん。結界を張った」
出来るだけ口数を少なくして、肯定する。
オーラは「だとすると〜」と横目で私を見る。
「それ、先天魔法かしら〜?」
「せんてん……?」
聞いた事のない言葉だ。
「魔力を消費して使う、弱い魔法が後天魔法。魔力も使わない、後天魔法の上位互換が先天魔法。先天魔法は、滅多に見ないわ〜」
「へぇ……よく知ってるね」
「ちょうど一人だけ、先天魔法使いの知り合いがいたのよ〜。それで」
ふと雰囲気の変わったオーラの声に、私は居住まいを正す。
「あなたは味方って認識でいいのかしら〜?」
「うん」
「その魔法は、何かを押し潰したり出来るの〜?」
「え、うん」
「だったら、向こうにいる人型のやつを結界で押し殺してくれない〜? 多分、あいつがこの襲撃の核よ〜」
ふわふわした言葉にふさわしくない物騒な言葉に、私は目を丸くした。
「押し殺すって……」
「あいつが死んだら、この戦いも少しは楽になるはずよ〜。わたしの針だと、ギリギリ届かないの〜」
オーラはそう言う。私にも、それが正しい事は分かる。
分かるが、人型のものを殺すなんて……やりたくない。
「……閉じ込めるだけで、いい?」
恐る恐るそう聞くと、オーラは肩をすくめて言った。
「まあ、いいわよ〜。わたしがあとで殺しておくわ〜。人の形のものを殺すのって、抵抗あるわよね〜」
許可をもらって、ほっと胸を撫で下ろす。
「ただし〜、他の獣を殺すのはやってほしいわ〜。わたしも、このペースだと針が尽きちゃうの〜」
「わ、分かった……」
獣を殺す。出来るだろうか?
しかし、ここで怖気付いてはまさしく本末転倒。魚を捌くようなものだと思えば、多分いけるだろう。
「じゃあ、お願いね〜。……あ、そうだわ〜」
「どうしたの?」
「お名前を聞いておかないと。呼ぶ時大変だもの〜」
やけに現実的な理由に苦笑して、私は偽名を名乗る。
「フウカ」
「りょ〜かい。じゃあフウカちゃん、よろしくね〜」
オーラが言うのと同時に、私は結界を作る。オーラが示した、人型の魔族の周りに。
そうして、私とオーラの共同戦線が張られる事になった。




