028.はじめてのいえで
そして、あの日がーー私の異世界生活の中で、最も長く紅く冷たいあの日が、白濁した思考に再生される。
自分の醜さを思い知った、彼らが死んだ殺した殺された、あの一日が。
** * **
ユーガット帝国での日々が終わり、私達はナウロン王国ーーそれも、ナウロン王国のリンドバーグ領にやってきた。
冬は深まっているはずなのに、ユーガット帝国ほど寒くない。気候の問題だろう。
そんな事を考えながら到着したのは、大きな屋敷--リンドバーグ邸だった。豪華さはなくむしろ質素だが、堅実な美しさがある。
私達は玄関に入る。
「いらっしゃいませ、皆様」
私達を出迎えたのは、栗色の髪の女性だった。リンドバーグ家の侍女だろう。
「出迎えご苦労様」
母様が労い、うやうやしく頭を下げた侍女は、顔を上げて慇懃に言う。
「来ていただいた直後に申し訳ありませんが、お耳に入れたい事がございます」
「なにかしら?」
母様が催促すると、侍女は淡々と告げた。
「単刀直入に申し上げます。この屋敷は、魔物に狙われている可能性があります」
「魔物に……?」
反応したのはカーティス兄様だった。
カーティス兄様は身を乗り出し、怒ったような口調で乱暴に問う。
「大丈夫なんだろうな? それは。アリアリーシェもいるし、危険なら出来れば帰りたいんだが」
「大丈夫です。現在、近衛騎士団の方々にも来ていただいておりますので、皆様の安全は保証いたします」
「本当にか?」
「はい。魔物退治の専門家にも来ていただいておりますので、問題はありません」
強めに安全を保証する女性。そこまで自信があるのなら大丈夫だろうか。
「ちなみに、なんで狙われてるって分かったの?」
「最近、近くの林にいる魔物の数が一気に増えているので」
「でも、危険はないのね?」
「もちろん」
母様は「それならいいわ」と言って、普段と全く変わらない態度で尋ねた。
「それで、わたし達の部屋はどこ?」
「ご案内いたします。皆様のお部屋の下に、その魔物退治の専門家の方が宿泊しておられますが、ご寛恕ください」
「その人は女性?」
「はい」
「ならいいわよ」
母様が許すと、栗色の髪の女性は頭を下げて「感謝いたします」と言った。
私は何気なくセイラの方に振り向く。
そして、彼女が無表情である事に気付いた。
「セイラ?」
いつもと様子の違うセイラに引っかかりを覚えて声をかけると、彼女はすぐに笑顔を浮かべた。
「アリアさん、どうしましたか?」
「……何も」
ここで聞く事でもないと、首を振る。
短くて長かったリンドバーグ邸での生活は、こうして始まった。
* * *
「姉様が、騎士隊長?」
せっかくだし一緒に食事を摂ろうという事になった、その日の夜。集まったのはリンドバーグ家の広間。
そこで母様に告げられた情報に、私は素っ頓狂な声を出した。
「ええ、そうよ。王位継承権まで破棄させて、本当に何を考えているのかしら」
母様はかなり苛立っているようで、いつものように本心を隠す事もない。初めて見るその様子に、兄様が大いに戸惑っていた。
「は、母上?」
「フィオレンサはまだ八歳よ。今は騎士になる騎士になるって言ってるけど、五年後にはどうなっているのかなんて分からない。それなのに」
そこまで一息で言い切って、魚をばくっと食べる。上品なのは流石王妃と言うべきだが、それでも内心の忌々しさはよく伝わった。
「しかもこのタイミングって事は、わたし達が留守にするのを狙っていたのよ。下手すれば、カーティスとアリアリーシェをわたしの里帰りに随伴させたのもこれが狙い……子供の未来の幅を狭めて、何のつもり?」
「ニアム様」
よっぽど腹が立ったのか、コップを一気に傾ける。のを咎めるように、後ろに立つナックが母様の名を呼んだ。
それで多少は頭が冷えたようで、母様はふうとため息をつく。
「……そうね、品がなかったわ」
「ところで、それってどこからの情報?」
「ついさっき、ここの侍女に聞いたの。わたし達に知らせるためじゃなく、侍女が善意で教えてくれたのよ。あいつ……おほん、陛下はわたし達に知らせる気もなかったのね」
怒りのせいか、素が見え隠れしている母様だが、気持ちは分かる。物凄く分かる。
「年齢が一桁の子供に、騎士隊長なんて大役を押し付けるなって話だよね。しかもコネだから、周りの顰蹙を買うだろうし」
「……ああ、違うの。今はまだ、騎士隊長じゃないのよ」
「え?」
母様の言葉から、もうすでに騎士団長にさせられのだと思っていた。
「現役の騎士隊長の一人が、そろそろ引退する年齢なの。引退したらフィオレンサをそこにねじ込むってことよ」
「そうなの?」
「ええ。子供達に機会を与えてやろうって事で、フィオレンサ以外の子達にも同じようにさせるみたいね」
「それなら……いや、それでも駄目か」
「当たり前よ。ルーシーは何をしていたのかしら」
止めればいいのに、と母様が愚痴る。
私はそんな母様を見ながら、コップの中の牛乳的な何かを飲むーー直前、手が滑ってコップが落下した。
あ、濡れる。
そう思ったが、コップは横から伸びてきた手に受け止められる。
それはカーティス兄様の手だった。
牛乳が少しだけ跳ねて、私の服にかかったが、大惨事は免れた。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう。よく止められたね」
「コップの持ち方が危なっかしかったから、支えようと手を伸ばしてたんだ。そしたらちょうど、アリアリーシェがコップを落とした」
だから偶然だ、と笑うカーティス兄様。
私は振り向いて、後ろに立つセイラを呼ぶ。
「セイラ、何か拭くもの持ってきてくれない?」
「……」
「セイラ?」
私が二回名前を呼ぶと、セイラがはっとしたように頷く。
「わ、分かりました! 少々お待ちください」
私は去っていくセイラの後ろ姿を見ながら、首を傾げた。
* * *
「セイラ。今日、どうしたの?」
その後、自分用の部屋に入った私は、セイラに質問する。
彼女はぱちぱちと瞬いた後、小さく笑った。
「何もないですよ?」
「嘘」
「嘘じゃないです」
私の言葉を否定するセイラだが、これで騙されるほど短い付き合いでもない。
今日のセイラは、様子がおかしかった。
「いつもなら、『どうしたってどういう事ですか?』って言うでしょ」
「……気のせいでは?」
「ほら、動揺した」
返答にあった間を追及すると、セイラは困ったように眉を下げる。
「だから、何でもないですって」
「絶対、何かあるでしょ」
「ありません!」
「……強情」
声を荒げたセイラに、私は歯噛みする。
別に、何があったのかを無理矢理聞き出したい訳じゃない。嫌なら強要はしない。
でも、こんな風に下手な誤魔化しをするのはやめてほしい。
「嘘つき」
「違います」
水掛け論だ。セイラはきっと、一歩も引かないだろう。私は諦めるしかない。
でも、それならせめて、嘘をついたセイラに何か仕返したい。
だから、私がしたのは、
「セイラの馬鹿っ」
捨て台詞を残して部屋を飛び出すという、子供っぽい行動だった。




