表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/49

027.墜恋


 数日後。

 私は母様、カーティス兄様と共に、ある貴族と面会する予定になっていた。

 その人の名前はキース・モラレス。モラレス公爵家のご令息。母様の古馴染みで、学友なのだとか。そして、母様の話に頻繁に上がっていた名前。


 母様の、恋人だ。


「ニアム様、キース様がいらっしゃいました」


 ナックがドアから部屋に入ってきて、母様に告げる。

 母様の護衛であるはずのナックが取り次ぎをしているのは、単純に人手不足のためだ。公的な意味を含まない純然たる里帰りという事もあり、今回の旅行には必要最低限を下回る人数しか侍従などを連れてきていない。


「あら、少し早いわね。いいわよ、お通しして」


 心なしか声が弾んだ母様が許可を出す。ナックは頷いて引っ込んだ。

 そして数秒後。


「こんにちは」


 そう言って部屋に入ってきたのは、亜麻色の髪の男性だった。ぱっと見、女性と見紛うような、中性的な風貌である。

 歳の頃は二、三十ほどだろうか。背は母様より少し高く、人の好さそうな垂れ目は落ち着きのある深緑。暖かそうなコートに身を包んでいる。


「やあ、久しぶりだね、ニアムちゃん。この子がアリアリーシェちゃんかな?」

「ええ、そうよ。アリアリーシェ、挨拶」

「初めまして、キース・モラレスさん。私はアリア……っ!?」


 思わず自己紹介の口上が途切れた。というか、途切れさせられた。


 キースが急に、私のほっぺを(つね)ったせいだ。


「あ、ええと、キースしゃん?」

「堅苦しいなあ、僕の事はキースって呼んでよ」

「そ、そう……ってそうじゃなくて。なんで私のほっぺつにぇるの……?」

「気持ちよさそうだったからつい。あっ、痛かった? ごめんね」

「とか言いつつ、手は離さないんだな?」


 カーティス兄様が何か言いたげにキースを見る。キースはその視線に気付き、はっとしたように目を丸くする。


 そして、


「そんなに怒ったら、寿命が短くなっちゃうよ! ほら、かっかしないで」

「ちょ、離れろ!」


 諭すようにカーティス兄様を抱きしめる。カーティス兄様は、くぐもった抗議の声をあげた。


 母様が、ふぅっとため息をついた。


「見た目は成長したかと思ったら。本当、そういうところは変わりないのね……」

「?」


 キースが、不思議そうに首を傾げた。


 * * *


 お母さんの不倫相手は、物凄くパーソナルスペースが狭い人でした。


 ……なんだろうね、評価の低い小説を読んでみたら、思ってたのとは違うジャンルで、しかもそれが初めて読むジャンルだったっていう感じの……うーん、例えが難しい。


 無理に例えるのを諦めて、今は母様にぴたっと寄り添っているキースを見やる。

 一時間前の私なら気持ち悪がっていたであろう光景だが、キースの距離感を知ってしまうと、あんまり違和感を覚えない。


「勉強しないわね。昔お父様にハグをして、政治的な問題に発展しかけたの、忘れたの?」

「そんな事もあったね」

「適当ね」


 紅茶を飲みながら、苦笑する母様。

 相手が父様やカーティス兄様だったら、無表情だろう。やっぱり恋愛関係だな、と再認識する。


「いやー、にしても二人とも所作が上品だね。まだまだ子供なのに、偉いなあ」

「俺はもう子供じゃない」

「おっと、そうだね。ごめんね、カーティス君」


 カーティス兄様の頭を撫でる手を止めて、謝罪するキース。カーティス兄様がもう抵抗しなくなったのは、キースの人徳だろうか。


「いや、にしても二人とも可愛いなあ。モラレス家に持って帰りたいくらいだよ」

「駄目だよ?」

「そんなあ」


 残念そうに眉を下げるキース。そんな彼に母様は肩をすくめる。


「なら、今日のところはここで泊まっていけば? お兄様に掛け合えば、隣の部屋くらい貸してくれるかもしれないわ」

「え?」


 キースは驚いたように目をぱちくりさせて、そして苦笑する。


「ぜひともそうしたいんだけどね。父さんに『今日は帰ってこい』って言われちゃったんだよ」

「そう。残念ね」


 声の調子を半トーン落とした母様が、ため息をつく。その途端、キースに体重を預けられた。


「ま、今のうちにみんなとたくさん触れ合っておくからさ」

「キースったら……まったく」


 母様が紅茶の入ったカップを傾ける。


 こうして面会は、糖度高めのまま過ぎていった。


 * * *


 その日の夜。私は喉の渇きを感じ、目が覚めた。


 侍女用のベッドで寝ているはずのセイラを見ると、毛布にくるまって寝息をたてていた。起こすのは忍びないので、自分で水差しからコップに水を注ぐ。

 唇を濡らす。冷たい。目が冴えそうだ。


 飲み終え、もう一度ベッドに戻ろうとしたその時、小さな物音がした。


「……?」


 首を傾げる。

 今の音は、ベランダの方から聞こえてきた。

 そっとベランダに近寄り、重たいカーテンを開ける。外を見てみるが、誰もいない。


 全ての部屋についているベランダだが、防犯のためか部屋ごとに壁で仕切られている。

 つまり、ベランダにはここの部屋からしか入れない仕様なので、当たり前で……いや、そうか。


 思い至って、窓を開けてベランダに出る。

 そして、ベランダを仕切る壁に向けて声をかけた。


「母様、いるの?」


 数秒の沈黙の後、返ってきたのは躊躇いがちな母様の声。


「……まだ起きてたの、アリアリーシェ」


 私の予想は当たっていたようだ。隣の部屋を使う母様が、さっきの物音の原因だろう。


「喉が渇いて目が覚めたから。そういえば、この帝城ってベランダとかあるんだね。ナウロン王城にはなかった」

「早く寝なさい」

「目が冴えてて眠れないの。少しでいいから話し相手になってよ」


 そう言うと、はぁ、というため息の音が聞こえた。しかし、


「ここユーガット帝城は、もともとは軍事的な目的のために建てられた要塞だったのよ。ここから魔法とかを下に向けて撃ちまくって、来る敵を殲滅させていたの」

「ーーふぇ」


 さっきの言葉に対する返答が返ってきて、意外に感じ声を漏らす。


「何よ。話し相手になってって言ったの、アリアリーシェでしょう」

「いや、てっきり寝なさいって言われると思ってたから」

「寝れないのにそう言ったって、無駄でしょう。わたしだって……」


 そこまで言って、言葉を途切らせる母様。


 わたしだって、って……。


「もしかして、母様も寝られなかったり?」

「……否定はしないわよ。寝られたら、こんなところに出ないもの」

「それってやっぱり、キースの……好きな人のせい?」


 そう言った途端、母様の動揺する気配が伝わった。壁越しなのに、やけにはっきりと。


「そんなに驚くような事言った? 分かりやすかったよ、母様」


 もし乳児期に、母様がぐちぐち言ってなかったとしても、きっと察せたくらいには。


「……そう。軽蔑、するかしら?」

「……」


 母様の問いに、言葉を失う。


 軽蔑。

 してなかったなんて言ったら、嘘になる。

 政略結婚だったとはいえ、不倫するなんてありえない。少なからずそう思っていた。


 だけど。

 だけど……。


「母様は、キースが本当に好きなんだね」

「……」

「なら、軽蔑しない。出来ないよ」


 二人は互いに信頼し合っていて、互いに優しくし合っていて、互いに愛し合っていて。

 それがはたから見ても、よく伝わっていたから。


「むしろ素敵だなって思う。私もそんな人に恋してみたいな」

「……恋っていうのは」


 母様の声が、ベランダを仕切る壁を迂回して、耳に届く。


「恋っていうのは、するものじゃなくて落ちるもの。落とし穴にはまるみたいに、重力にひかれて、否応なしに落ちるの。そして、気付いたら這い上がれなくなってる。それが恋よ」

「母様も、そうだった?」

「ええ、そうね。重力に逆らおうとしたけど、無駄だったわ。空を駆けるのは、たとえ皇女だろうと人に許された事ではないもの」


 空。


 私は夜の空を見上げる。そして帝都の街並みを見下ろす。

 ここから落下したら、間違いなくただじゃ済まない。回避するには空を飛ぶしかなくて、でも空を飛翔するのは出来なくて、だから甘んじて墜落するしかない。

 重力は絶対だ。


「……話しすぎたわ。もう寝なさい」

「うん。でも、最後に一つだけ」

「何?」

「おやすみ、母様」


 私はそれだけ告げて、部屋に戻る。


 母様が小さく、「おやすみ」と呟いたのがかすかに聞こえてきた。


 ** * **


 拝啓、母様へ。

 天国って、どんな感じですか? 空を駆ける事は出来ますか? 落ちる事は、出来ますか?


 ……なんて、あほらしい質問だ。地面の下じゃ、空を飛ぶも何もないだろうに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ