022.はじめてのりょこう
馬車の扉が開き、冷たい風が吹き込む。
十二月。地球温暖化の影響もないこの世界でのこの季節は、極寒だ。
その上ここは、ユーガット帝国。ナウロン王国よりずっと寒冷な地域だ。
そう、ユーガット帝国だ。
シエンナ義母様の伝言から七ヶ月。とうとう私達は、母様の母国を訪れた。
「うわ、さっむ……」
隣に座るカーティス兄様が、体を震わせて呟く。
私はマフラーを身につけ立ち上がった。馬車のステップを踏んで降りかけ、手を差し出されていた事に気付く。
その手の主は、よく母様の護衛をしている壮年の男性だった。
「お手をどうぞ、アリアリーシェ様」
「ありがとう」
手を取り、優雅に礼を言う。
私はここ一ヶ月、イザベラに触発されて、ちょっとずつ貴族的な仕草を学んでいた。おかげでこの程度なら上品に言葉を交わせる。
「そうだ、あなたの名前は?」
「私の名前など、覚えていただかなくて結構です」
「いいから」
「……ナック」
「ナックね。了解」
ナック、ナックと何度か口の中で転がす。そうこうしているうちに、後ろからカーティス兄様が私に声をかけてきた。
「ん、お前ってそんな名前だったのか。悪かった、これまで知ろうとしなくて」
「いえ、恐れ多い」
ナックは本当にいたたまれなさそうに首を振る、
「アリアさん、そろそろどかないと。カーティス様の迷惑ですよ」
同乗していたセイラが、馬車の中から促す。
私は慌ててステップを降り切った。
「ごめんね、カーティス兄様」
「問題ない」
そう言うカーティス兄様の後ろに、セイラがついてくる。
セイラの靴が地面を踏むのを見届けた時、
「二人とも」
別の馬車で私達の前を走っていた母様が、こちらへ歩いてくる。
今でこそ普通に振る舞っているが、里帰りに同伴者が増えたと父様に告げられた時の、あの味わい深い顔は忘れがたい。
「寒いでしょうけど、我慢なさいね。すぐ帝城に入るから」
「はい、母上」
母様の言葉に、頷くカーティス兄様。私はというと、そばにある大きな西洋風の城を振り仰いでいた。
「母様。聞くまでもないかもだけど、あれが帝城?」
「ええ、そうよ。立派でしょう」
「うん、とっても」
母様の言う通り、その帝城は、私が見た中でトップクラスの豪華さだった。それはとにかく高く大きいのもあるし、あちこちに施された装飾が見事というのもある。
私が帝城に見惚れていると、母様が私達に言った。
「じゃあ行くわよ。中でお兄様……この国の皇帝が待ってるわ」
「うん」
「はい!」
* * *
赤いカーペットの敷かれた広い部屋を、静かに歩く。
カーペットの両脇にぞろりと騎士の立ち並ぶ中、蒼白銀の髪の男性の前で立ち止まった。
前情報によると、彼が帝国の皇帝、ヴァレリアン・ユーガット十四世だそうだ。更に母様の兄で、私の叔父。確かに、容姿は母様と似通っている。
重そうだが派手なコートを身にまとい、玉座に腰掛ける姿には風格すら漂っている。
ヴァレリアンは私を睥睨して言った。
「卿がアリアリーシェか」
「そうよ」
私より半歩前に出た母様が頷く。兄とはいえ皇帝の前なのに、普段通りの口調だ。いや、内心で呼び捨ててる私が言えた義理じゃないけども。
「久々ね、お兄様」
「そうだな。五年振りか」
二人の会話を聞き流しつつ、私はこっそり部屋を見回す。
ここは玉座の間との事だが、派手さを追究しているナウロン王国のものとは違い、品の良さを大切にしているように感じる。どっちが好みかと問われれば、父様には悪いがユーガットの方だ。
更に、壁に掛けられた人物画が印象的だった。
剣を上に突き上げた、銀髪の男性の絵だ。瞳は青だが、左目に眼帯をつけている。
一瞬、天使族の血を引く誰かかと思ったが、その割には髪に青さが足りず、どちらかというと灰色に近い。画家の腕がなかったとか、インクがなかったという可能性もあるが。
「……そうだ、アリアリーシェよ。卿に渡すものがある」
「え?」
観察しているうちに話が進んだらしく、ヴァレリアンが私に声をかける。
見るのに夢中だった私は、思わずとぼけた返答をしてしまった。
内心慌てるも、ヴァレリアンは気にせずに私を手招きする。皇帝のわりに、器が大きいのだろう。
手招きに従って私がヴァレリアンに近寄ると、彼の隣に控えていた侍従がお盆らしきものに乗った何かを受け取る。
何だろう、あれ? 宝飾品のように見えたけど。……あ、もしかして。
「これは認識阻害のイヤリング。上手く使え。ま、気持ち程度のものだがな」
やっぱり。
差し出されたのは、カーティス兄様が前に言っていたものと同じものだった。
礼儀として頭を下げて、そのイヤリングを受け取る。青い石が嵌め込まれたものだった。
前世ではアクセサリーなどとは縁がなく、売り場でぼんやりと眺めるだけだった。だからこれは、初めて自分で所有するアクセサリーだ。
「使い方はニアムに聞くが良い」
「わか、りました。ありがとうございます」
ついタメ口を叩きそうになり、慌てて軌道修正。
最近、全く敬語を使ってなかったからなぁ。敬語に慣れない。
「では、長旅で疲れているだろう。部屋はすでに用意してあるから、そこで休め」
「あら。お兄様にしては気がきくわね。じゃあお言葉に甘えて」
そこで母様が申し訳程度に礼をして、身を翻す。
「二人とも、行きましょう」
私達の肩を優しく叩いて、促す。
母様の言葉に従い、私達は玉座の間を後にした。




