熱砂の死闘と、獣王
八咫烏のステルス輸送機が中東の砂漠地帯に到達した時、外の景色はすでに『この世の終わり』のような様相を呈していた。
夜であるにも関わらず、眼下に広がる果てしない砂の海は、不気味なほどの赤黒い光に照らされている。
太陽の熱とは違う。ただ命を焼き尽くし、苦痛を与えることだけを目的にしたような、極めて悪意に満ちた熱量。
「……着いたぞ。座標はこの真下だ」
開かれたハッチから熱風が機内に吹き込み、俺たちの肺をチリチリと焼いた。
太平洋の絶島でアーサーと死闘を繰り広げてから、まだ半日も経っていない。八咫烏が用意してくれた新しい耐熱コートを羽織ってはいるが、ウロボロスの超再生が追いつかないほどに、俺たちの筋肉と神経は疲労の極致にあった。
だが、誰も足は止めない。
「行くぞ。俺たちのジョーカーを、お迎えだ」
俺は、まだ微かにヒビが残る右腕を庇いながら、夜の砂漠へと身を投じた。
ドサッ、と分厚い砂を踏みしめた瞬間。
俺たちの目の前に広がっていたのは、砂漠の中心に穿たれた巨大な『すり鉢状のクレーター』だった。
その底深く——おそらく数百メートルの地下に、死王の呪いに侵され、愛する女の仇である原初の炎と刺し違えるためだけに、自らを絶対零度で封印したレヴィが眠っている。
そして、そのクレーターの周囲には。
『……キィィィィィン……』
金属を引っ掻くような、耳障りな甲高い音。
それは、空から降り注いだ【炎の眷属】——原初の炎の火の粉たちが、獣や異形の姿をとって蠢く音だった。
数百、いや数千。赤いマグマで構成されたような獣たちが、地下の氷塊に向かって、少しずつ、少しずつ砂を溶かしながら掘り進めている。
「……趣味の悪い連中だ。一息に焼き殺す気はねえってことか」
俺は、吐き気を催すほどの悪意の波動に、奥歯をギリッと噛み締めた。
眷属たちは、すぐにでも地下まで到達できる熱量を持っている。だが、あえてゆっくりと氷を溶かし、レヴィの絶望が極限まで熟すのを『楽しんで』いるのだ。
「……反吐が出ますね」
セリアが、白銀の刀を抜き放ち、静かな、しかし確かな殺意を込めて呟いた。
『……ピギィィィィッ!!』
すり鉢の縁に立つ俺たちの存在(魔力)に気づいた眷属たちが、一斉にこちらへ赤い牙を剥いた。
知性はない。ただ、主である原初神の『命を嬲る歓喜』だけを本能として受け継いだ、残虐な炎の獣たち。
「一匹残らず、消し炭……いや、切り刻んでやるよッ!」
紅刃が、大剣を構えてクレーターの斜面を駆け下りた。
彼女自身の炎は、原初の熱の前では薪にしかならない。だからこそ彼女は炎を刃の推進力としてのみ使い、純粋な物理の斬撃で炎の獣たちを叩き割っていく。
「遅いですよ、獣風情がッ!」
雅の神速の抜刀術が、炎の獣の首を次々と刎ね飛ばす。
「ハハッ! 星の概念の残りカスか! どれだけ斬っても刃こぼれしねえ、最高の的だぜ!」
レオンが白銀のクレイモアを振り回し、【万物両断】の理で炎の概念ごと獣たちを真っ二つに裂いていく。
「すばる君、右腕は使わないで! 私が道を切り開きます!」
翠蓮が、白く焦げた髪を熱風に揺らしながら、青龍偃月刀で美しい演武を描く。
彼女の体内に眠る『龍神』と『旱魃神』の理は使わない。純粋な武神の体術だけで、俺に迫る眷属の群れを的確に凪ぎ払っていく。
「悪い、姉貴! ……道を開けろ、星のクズ共ッ!」
俺は、左手で足元の砂に【2の目】の斥力を放ち、飛びかかってくる炎の獣たちを強引に弾き飛ばしながら、クレーターの底へと突き進んだ。
だが——状況は最悪だった。
斬っても、弾き飛ばしても、眷属たちは周囲の熱を吸収し、砂をマグマに変えながら瞬時に『再生』してしまうのだ。
アーサーのデメテル(豊穣)のように魔力を消費する再生ではない。周囲の環境そのものが炎の理に支配されている以上、無限に湧き出す自然現象を相手にしているのと同じだった。
「クソッ……! キリがねえぞ!」
俺の左腕の筋肉が悲鳴を上げる。
セリアの息も上がり、翠蓮の動きにも、アーサー戦の疲労による明確な鈍りが見え始めていた。
『——ギロロロロォォォォォッ!!』
その時、クレーターの底に溜まっていたマグマが寄り集まり、一際巨大な——全高十メートルを超える、四つ足の異形の炎獣が形作られた。
そいつは、俺たち極東のクランを『鬱陶しい障害物』と認識し、周囲の砂漠を一瞬でガラスに変えるほどの極大の熱線を、その口の奥に収束させ始めた。
「マズい……ッ! 統、下がって!」
セリアが俺の前に飛び出し、なけなしの魔力で白銀の障壁を展開しようとする。
だが、その程度の障壁では、原初の炎の熱線は防げない。
(……やるしかねえかッ!)
俺は、限界を迎えている右腕を強引に構え、質量ゼロの特攻を叩き込もうと覚悟を決めた。
その、瞬間だった。
ドォォォォォォォォォォンッ!!!!
夜の砂漠の空気を震わせる、鼓膜が破れそうなほどの『咆哮』が響き渡った。
いや、それは声ではない。圧倒的な質量を持った何かが、はるか上空から音速を超えて『落下』してきた衝撃音だ。
「……な、なんだ!?」
俺が思わず右腕の魔力を解いた直後。
ズゴォォォォォォォォォォンッ!!!!
巨大な炎獣の脳天に、まるで隕石のような速度で『一人の男』が降ってきた。
激突の余波だけで、クレーターの斜面の砂が津波のように吹き飛び、俺たちは咄嗟に腕で顔を覆った。
「グガァァァァァッ!?」
巨大な炎獣が、悲鳴を上げてその場に押し潰される。
原初の火の粉が集まってできた、物理攻撃がほとんど通じないはずの炎の獣が——たった一人の男の『純粋な力(暴力)』によって、ひしゃげ、ひび割れ、四散していく。
「……チッ。なんだ、この不味そうな獲物は。血の匂いすらしねえ、ただの熱い石っころじゃねえか」
舞い上がる土煙とマグマの飛沫の中。
巨大な炎獣の顔面を素足で踏み砕きながら、その男はゆっくりと立ち上がった。
筋骨隆々という言葉すら生温い、大岩を削り出したような浅黒い巨体。
身に纏っているのは、簡素な獣の毛皮と、古傷だらけの分厚い筋肉だけ。武器は持っていない。その恐ろしく巨大な『両腕』と『牙』こそが、彼の神格のすべてを物語っていた。
「あいつ……まさか」
俺が息を呑んで見つめる中。
『ピギィィィッ!』
周囲の小さな炎の眷属たちが、仲間を潰されたことに怒り、一斉にその男へと飛びかかった。
「……鬱陶しいな。俺は腹が減ってんだよ」
男が、無造作に太い右腕を振るう。
ただそれだけ。魔力も、複雑な理もない。
ただの『裏拳』が引き起こした凄まじい風圧(衝撃波)だけで、飛びかかってきた十数匹の炎の眷属たちが、一瞬にして爆散し、跡形もなく消え去った。
「……ウソ、だろ。原初の火の粉を、ただの力任せで……?」
紅刃が、信じられないものを見るように目を剥く。
イヴが言っていた。アフリカ大陸から単騎で直進してきた、途方もない魔力質量を持った王。
神の理すらも喰らい尽くす、純度百パーセントの野性と闘争の本能。
【獣王・ガルド】。
「……ん?」
ガルドは、周囲の炎の獣たちを一掃すると、野生の獣のように鼻をヒクつかせ、ゆっくりと俺たちの方へ顔を向けた。
黄金色に光る、猛禽類のような鋭い瞳。
その眼光に射抜かれた瞬間、俺たちの背筋に、本能的な『死の悪寒』が走った。アーサーのような冷酷な傲慢さではない。もっと根源的な、「捕食者に見つかった」という生物としての恐怖だ。
レオンが、無言で白銀のクレイモアを構え直す。
セリアも、翠蓮も、一瞬の隙も見せずに臨戦態勢をとった。
だが。
ガルドは、俺たちの満身創痍の姿と、互いを庇い合うように立つその陣形をじっと見つめると——フッと、その凶悪な牙を剥き出しにして笑った。
「……へェ。なんだお前ら、ずいぶんと『良い匂い』がするじゃねえか」
ガルドは、警戒する俺たちに向かって、敵意のない、だが圧倒的な威圧感を放ちながらドスドスと歩み寄ってきた。
「古参の金ピカ野郎みたいな、腐った泥の匂いじゃねえ。……群れ(仲間)のために血を流し、牙を研ぎ澄ましてる、最高の『獣』の匂いだ」
「……あんたが、獣王ガルドか」
俺は、激痛の走る身体を無理やり奮い立たせ、一歩前へ出た。
「俺たちは、この底に眠ってるダチを迎えに来た。……邪魔をするなら、あんたがだれだろうと、噛みちぎるぜ」
俺の言葉に、ガルドは腹の底から響くような豪快な笑い声を上げた。
「ガハハハッ! いいぜ、その目! 最高に飢えてやがる!」
ガルドは、俺の目の前でピタリと立ち止まり、その分厚い掌で自身の胸をドンッと叩いた。
「俺はアフリカで退屈してたんだがな……お前らみたいな面白え『群れ』がいるなら、話は別だ。この底にいるダチってのを掘り出すの、俺も一枚噛ませろよ。……もちろん、その前にこの鬱陶しい火の粉共を、全部ぶち殺してからだがな!」
ガルドが再び咆哮を上げると、クレーターの底に潜んでいた残りの炎の眷属たちが、一斉に恐怖に震え上がった。
最悪の絶望が渦巻く中東の熱砂。
そこに、極東の狂ったイカサマ師の家族と、アフリカの万獣を統べる王という、神の理すら噛み砕く最強の『群れ』が誕生した瞬間だった。




