白夜の傲慢と、軋み始めた盤面
——西東京市、御堂家・一階ダイニング。
「おっ、統! 遅かったな。今日のメシも最高だぜ! 特にこの赤いプチプチした魚の卵、白米が無限に消えていく魔法の薬か何かか!?」
俺がリビングに顔を出すと、レオンが山盛りの白米にタラコを乗せ、凄まじい勢いでかき込んでいた。
その横で、紅刃が青筋を立ててレオンの背中をバシバシと叩いている。
「だから! それはアタシが明日の朝メシの楽しみに取っておいた明太子だって言ってんだろこの剣バカ! 吐き出せ!」
「ガハハッ! 喰ったもん勝ちだろ! おお、痛え痛え!」
騒がしい、いつもの夕食の風景。
俺は思わず苦笑しながら、空いている席へと腰を下ろした。
「……統。お疲れ様です。お茶、淹れますね」
向かいの席から、セリアが立ち上がり、急須に手を伸ばした。
先ほどの自室での出来事——至近距離で彼女の柔らかさと甘い香りに当てられ、思わず「綺麗になったな」と本音をこぼしてしまった、あの気まずくも甘い記憶が鮮明に蘇る。
俺がセリアの顔を見ると、彼女もまた俺の視線に気づき、急須を持つ手をピタッと止めた。
その白い頬が、湯気のせいではなく、はっきりと朱色に染まっていくのが分かる。
「お、おう。サンキュ、セリア。……あの、さっきは、その」
「い、いえっ! 気にしないでください! 私は統の騎士ですから、その、お気遣いなく……っ!」
彼女は早口でまくし立てると、少しだけ震える手で俺の湯呑みにお茶を注いでくれた。
そのあまりにも初々しい反応に、俺の胸の奥が再びチリチリと焦げるような熱を持った。
(……クソ。なんだこの感情は………)
俺は湯呑みを両手で包み込み、自分の顔の熱を隠すように、フーフーと息を吹きかけた。
雅がその様子をジト目で見て何か言いたげにしていたが、この温かくて騒がしい空間が、俺にとって何よりも守るべき『絶対の陣地』であることに変わりはなかった。
だが、その平穏は、唐突に、そして理不尽に破られた。
ピキィィィィィン……ッ!
突如として、窓の外から『ガラスを爪で引っ掻くような』耳障りな高周波が響き渡った。
いや、音ではない。空間そのものが軋み、大気の温度が急激に上昇したのだ。
「……ッ!? なんだ、今の」
レオンが箸を止め、鋭い剣士の眼光で窓の外を睨みつける。
夕闇に包まれていたはずの西東京市の空が、不気味なほどの『黄金の光』に照らされ、まるで白夜のように明るく染まっていた。
「夜が、明けた……? いや、魔力反応は極東にはねえ……」
俺がウロボロスの知覚を広げようとした、その瞬間だった。
パキンッ!
上座で静かにお茶を飲んでいた翠蓮の手の中で、陶器の湯呑みが粉々に砕け散った。
「……かはッ……!」
「翠蓮!?」
翠蓮は喉の奥から空気を絞り出すような音を立て、テーブルに突っ伏した。
その口から、おびただしい量の鮮血が吐き出され、純白のテーブルクロスを赤黒く染め上げる。
「姉貴! おい、どうした!?」
俺は椅子を蹴り倒して翠蓮の元へ駆け寄り、その体を抱き起こした。
彼女の体は、まるで火に焼かれたように異常な高熱を放ち、皮膚からは尋常ではない量の汗と蒸気が立ち昇っていた。
「……す、ばる、君……ちがう、これは……私の中の、神が……灼かれて……」
翠蓮は、血まみれの唇を震わせ、虚空を睨みつけた。
『……統! 緊急事態です!』
司令室のスピーカーから、イヴの切羽詰まった声が響き渡る。
『欧州、覇王アーサーの居城を中心として、地球規模の異常な神威の波動が観測されました! これは……【太陽】の【熱】が、強制的に世界を覆い尽くそうとしています!』
「太陽の熱……?」
俺は、翠蓮の背中にウロボロスの魔力を流し込みながら、司令室のモニターに視線を向けた。
モニターに映し出された地球の気象図は、あり得ない形に歪んでいた。
欧州を中心とした極大の熱源が、地球全体の気流と雲を焼き払い、夜を昼へと変えるほどの異常な光量で世界を侵食している。
『……アーサーが欧州で新たに撃破し、簒奪した三つ目の最高位【6】の権能。各地の諜報員と照合できました。……ギリシャ神話における最高峰の光、絶対的な秩序と熱を司る【太陽神・アポロン】です!』
「太陽神・アポロン……ッ」
俺は奥歯をギリッと噛み締めた。
アーサーは、アテナの絶対防壁、ゼウスの破壊の雷霆に加え、『世界を照らし焼き尽くす絶対の太陽』まで手に入れたというのか。
「……ッ、あァァァァァッ!」
翠蓮が、俺の腕の中で悲痛な叫び声を上げた。
異常な高熱により、彼女の美しい黒髪の毛先がチリチリと焦げ、白く変色し始める。
「イヴ! 翠蓮に何が起きてる!? アーサーの攻撃か!?」
『直接の攻撃ではありません! アーサーが【アポロン】の権能を全開にして地球の空を黄金の光で支配しようとしているため、翠蓮さんの体内に宿る神々が最悪の共鳴を起こしているんです!』
「……神同士の、概念のバッティング……!」
翠蓮が己の魂を削ってギリギリで押さえ込んでいた、嵐を呼ぶ『龍神』と、大地を干上がらせる『旱魃神』の矛盾。
そこに、アーサーが放った太陽神の理が外側から強烈な熱を与えたことで、翠蓮の中の『旱魃神』が異常なまでに活性化し、『龍神』の水気を強制的に蒸発させ始めたのだ。
均衡は完全に崩れ去り、彼女の肉体は内側から沸騰する血と熱の概念に焼き尽くされようとしていた。
「……がはッ、すばる、君……離れ、なさい……私の中の、神話が……暴走、しま……ッ」
「ふざけんな! ここで俺が手を離したら、あんたの魂が焼け焦げちまうだろうが!」
俺は、翠蓮の体にウロボロスの超再生の魔力を限界まで注ぎ込んだ。
神話の矛盾による概念の崩壊を、強引な肉体の再生で無理やり繋ぎ止める。俺の右腕の骨が悲鳴を上げ、毛細血管が弾けて血が噴き出すが、構うものか。
「……アーサーの野郎」
遠く離れた欧州の玉座から。
ただ己の力を誇示するためだけに、太陽の理を振りかざし、結果として俺の家族の魂を削り取って平然としている五百年のバケモノ。
「……安全圏から盤面を弄って、俺のテーブルを燃やすのがそんなに楽しいかよ」
数分の拮抗の末。
アーサーの放った黄金の波動が収まると同時に、翠蓮は意識を失い、俺の胸の中で力なくぐったりと倒れ込んだ。
熱で変色しかけた髪と、吐血で汚れた彼女の顔を見て、俺の奥底で、かつてないほどに冷たく、そしてドス黒い『殺意の炎』が燃え上がった。
「統……」
セリアが、心配そうに俺の肩に触れる。
レオンは静かにクレイモアの柄に手をかけ、紅刃と雅も怒りに身を震わせていた。
「……レオン。セリア、紅刃、雅」
俺は、血に塗れた手で翠蓮を抱きかかえながら、背後の仲間たちを振り返った。
「特訓は終わりだ。……あの傲慢な太陽のバケモノ、絶対に俺たちのイカサマで地に引きずり下ろして、その権能ごと冷たい泥に沈めてやる」
極東の空から不気味な白夜の光が引き、再び冷たい闇が訪れる。
それは、すべてを己の意のままに支配しようとする狂王・アーサーからの、声なき『宣戦布告』の足音だった。




