神話の矛盾と、極東の狂った円卓
「……三つ目の、最高位の権能」
作戦司令室の円卓。宙に投影された覇王アーサーの神威の観測結果を見て、翠蓮が扇子を持つ手を微かに震わせた。
「おいおい、冗談キツいぜ」
俺は、血の滲む右腕をさすりながら、隣に座る翠蓮を見た。
「今まで、神殺しの盤面で【6】の権能を複数持ち歩いてる規格外なんて、姉貴……あんたくらいのもんだったろ。アーサーの野郎と、どっちが多いんだ?」
俺の問いに、翠蓮は重いため息をつきながら首を横に振った。
「……これで同数になってしまいましたね。私も現在、【6】の階位は三つ保有していますから」
「マジかよ……」
俺は息を呑んだ。
「……なぁ、姉貴。王同士で互いの手札を根掘り葉掘り探るのはマナー違反だってことは百も承知だが、あえて聞くぜ。あんたのメインの権能(二郎真君)以外の能力って、一体何なんだ?」
俺が真剣な眼差しを向けると、翠蓮は一瞬だけ目を伏せ、やがてパチンと扇子を閉じた。
「構いませんよ、すばる君。あの覇王を相手に生き残るためには、身内での手札の隠し事は命取りになりますからね」
翠蓮は、己の胸に手を当て、静かに語り始めた。
「私のメインは、あなたも知る通り中国の武神『二郎真君』による近接戦闘の極致です。……そして残る二つの【6】は、天候と嵐を支配する龍神『四海竜王』。もう一つが、大地を枯らし尽くす旱魃神『女魃』の権能。これに先ほど東京湾で得た海神の【4】が加わります」
「武神に、嵐に、大地の枯渇……。まさに天災のフルコースじゃねえか。アーサーに引けを取らねえ過剰戦力だろ」
俺が驚愕すると、翠蓮は自嘲気味に笑い、自らの白く細い指先を見つめた。
「威力だけなら、そうかもしれません。……ですが、すばる君。最高位の【6】を複数扱うということは、神の概念そのものを人間の矮小な器に無理やり押し込めるということです。当然、支払う『代償』も相当なものになります」
王が【6】を引き当てた時点で、肉体は不老不死となり、寿命や老いという概念は消え失せる。
だが、それは神の力に耐えうる頑強な器になったというだけで、神の理から逃れられるわけではない。
俺の『ウロボロス』のように、不死性の神から簒奪した権能でもない限り、傷つけば血を流し、勝手に肉体が超再生することなどあり得ないのだ。
「嵐を呼ぶ龍神と、すべてを干上がらせる旱魃神。この二つは神話において完全な『対極(矛盾)』にあります。……もし私がこれらの権能を同時に展開しようとすれば、私の体内では『肺を水で満たそうとする溺死の概念』と、『血液を沸騰させて灰に変えようとする熱の概念』が互いに殺し合いを始めます」
「体の中で、神話が暴走する……?」
「ええ。過去に一度だけ、同時発動を試みたことがありましたが……肉体と精神が内側から引き裂かれるような、言語に絶する激痛に見舞われました」
翠蓮は、当時の凄惨な記憶を振り払うように目を伏せた。
「本来なら、その苦痛と矛盾から自我を保つために、人間としての『感情』や『記憶』を神の理に捧げなければ、精神が完全に崩壊してしまいます。私はすばる君たちの前で、決して複数の権能を同時に使いませんでした。……もし使えば、私はあなたたちとの温かい家族の記憶を失うか、あるいは自らの魂の形を歪め、生身の精神で直接その激痛を受け止めて廃人になるしかないからです」
俺は、言葉を失った。
翠蓮の抱える手札は、一歩間違えれば不老不死の器ごと自我が砕け散り、ただの『自然現象』に成り果ててしまうという、まさに諸刃の剣。軽々しく戦闘で多用できるものではなかったのだ。
「……それが、神の力を複数宿す者の当然の末路です。……だからこそ、アーサーの行いは異常なのです」
翠蓮が、忌々しそうに宙の覇王を睨みつける。
「アーサーは、絶対防壁のアテナと、破壊のゼウスという強大な神格を抱えながらも、【4】の豊穣神・デメテルで崩れゆく肉体と魂の欠損を強制的に『再生』させ続け、【3】の風神・ヘルメスで体内にかかる神々の概念的負荷をすべて『風』として体外へ逃がしている。……一切の苦痛も、記憶の喪失も、魂の摩耗もなく、ただ都合よく神の力だけを振るい続ける。あれは神の理に対する、完全なる冒涜です」
司令室が、重苦しい沈黙に包まれた。
アーサーの構築した盤面は、あまりにも理不尽だった。彼とまともに正面から撃ち合えば、代償の重さに耐えきれず、翠蓮の魂が先に砕け散る。
「……すばる君」
不意に、翠蓮が俺の目を真っ直ぐに見つめて、静かに口を開いた。
「今の私たちは、極東と中国の『同盟関係』という形をとっています。……ですが、神の理すら踏み躙る覇王の野望を阻止し、この盤面をひっくり返すためには、これでは不十分かもしれません」
翠蓮は立ち上がり、司令室の円卓を囲む仲間たち——セリア、紅刃、雅、そして新参者のレオンを順番に見渡した。
「極東の王である、御堂統。……あなたを総帥とした、『真の組織』を設立してはどうでしょう?」
「真の、組織……?」
「ええ。互いの利害で結びつく同盟ではなく、命と魂を預け合う一つの巨大な『家族』です。……私の束ねる中国の黒社会の全戦力も、すべて傘下に合流させましょう。あなたが絶対の長となり、私たちがその手足となる。……皆さん、どうですか?」
翠蓮の思いがけない提案。
それは、世界最強の一角である中国の女帝が、誇りも権力もすべて捨てて、完全に俺の影に下るという、盤面を大きく揺るがす決断だった。
「アタシは元から、統の剣のつもりだ! 統がトップなら、世界のどこだって焼き尽くしてやるよ!」
「私もです。統の背中を守るための組織なら、これ以上心強いものはありません」
紅刃と雅が即座に立ち上がり、力強く頷く。
「……私の居場所は、統の隣だけです。あなたの第一騎士として、その組織の切り込み隊長は私が務めます!」
セリアもまた、白銀の刀を胸に抱き、誇り高く微笑んだ。
「……」
皆の視線が、最後に残った男——ずっと黙って白銀のクレイモアを磨いていた、レオンへと集まる。
「……なぁ。その『アーサー』って野郎は、そんなに痛い思いをするのが嫌いなのか?」
レオンが、ふと顔を上げて俺に尋ねてきた。
「嫌いっていうか、狡猾なんだよ。自分は一切の代償を払わず、絶対に傷つかない安全な壁の中から、世界のルールを書き換えて盤面を支配しようとしてやがる」
俺が忌々しそうに答えると、レオンはフッと鼻を鳴らした。
「……下らねえな」
「あ?」
「俺は、剣士だ。剣ってのはな、自分の血を流し、骨を軋ませて、痛みを背負って相手の命と真っ直ぐにぶつかり合うからこそ美しいんだ。……そんな女帝の姉ちゃんみたいに、いつ壊れるか分からねえ恐怖と激痛を背負って戦う覚悟があるヤツらがいんのに、自分だけ痛い思いをせずに世界を自分のモノにしようとするなんて……そんなヤツの剣は、絶対に『濁って』る」
レオンは、白銀のクレイモアを鞘に収め、立ち上がった。
その碧い瞳には、神の理も、絶望的な戦力差も関係ない、ただ純粋な『剣士としての矜持』が燃えていた。
「組織だの同盟だの、難しいことはよく分かんねえ。だが……闘争の美学を汚す『アーサー』って野郎の逃げ腰なやり方は、剣士として反吐が出る。……俺は、統につくぜ」
レオンは俺に向かって、ニカッと無邪気に笑い、分厚い右手を差し出してきた。
「俺のこの新しい剣で、その覇王とやらの安全な壁ごと、真っ二つに叩き割ってやるよ」
俺は、少しだけ呆れながらも、フッと笑ってその右手を強く握り返した。
「……歓迎するぜ、レオン。極東の狂ったテーブルへようこそ」
俺は円卓を見渡し、仲間たちの顔を一つ一つ心に刻み込んだ。
「決まりだな。……今日この瞬間から、俺たちはただの同盟じゃねえ。覇王の理不尽な支配を泥臭くブチ壊し、俺たちの日常を奪い返すための……世界で一番イカれた『家族』だ」
絶望的な戦力差を前にしても、西東京市の地下司令室には、決して折れない闘志の炎が燃え上がっていた。
神の理すらも利用する最古の王を狩るため。そして、欠けたジョーカーを取り戻すため。
極東の最弱王を総帥とする、歴史上最もイレギュラーな王たちの集団が、ここに産声を上げたのだった。




