西東京の休日と、翠蓮の甘い独占宣告
復興が進む西東京の駅前。
行き交う人波の中で、俺はソワソワとスマホの時計を確認していた。
「……遅いな」
ポケットに左手を突っ込み、小さく息を吐く。
戦い抜いたご褒美としてもらった、久しぶりの完全オフ。そして今日は、あの祝宴で翠蓮が宣言した『一生分のデート』の第一回目だ。
(……大人の女とデートなんて、ハードル高すぎだろ)
セリアたちが見立ててくれたジャケットの襟をいじる。どうにも落ち着かない。
ふと、ふわりと甘い白檀の香りが鼻をくすぐった。
「——お待たせしました、すばる君」
振り返った俺は、息を呑んだ。
そこにいたのは、戦場を駆ける武神じゃない。
タイトな黒のノースリーブニットに、身体のラインが出るマーメイドスカート。緩く巻かれた黒髪が、春の風に揺れている。
すれ違う男たちが次々と振り返るような『いい女』が、俺を見て悪戯っぽく微笑んでいた。
「どうですか? 少し気合いを入れてみたのですが」
「あー……その。すげえ、似合ってる。反則だろ、それ」
俺が照れ隠しに視線を逸らすと、翠蓮は嬉しそうに目を細め、ためらいなく俺の右腕に自分の腕を絡ませてきた。
ニット越しに、柔らかい感触が押し付けられる。
「ちょ、翠蓮! 近い! 周りの目が……!」
「あら、デートなんですから普通でしょう? それとも、年上の女と歩くのは不満ですか?」
上目遣いで覗き込んでくる瞳には、余裕がたっぷりと滲んでいた。主導権は完全に握られている。
「……不満なわけあるかよ。行くぞ」
歩き出すと、翠蓮は「ふふっ」と機嫌良く笑い、俺の腕をさらに強く抱き寄せた。
***
オープンテラスのカフェ。
「はい、すばる君。あーん」
「いや、自分で食えるって……んむ」
抵抗虚しく、ベリーのタルトが口に放り込まれる。甘酸っぱい味と一緒に、翠蓮の笑顔が視界いっぱいに広がり、嫌でも顔が熱くなった。
「戦場ではあんなに格好いいのに、こういう時は可愛いですね」
「……勘弁してくれ」
グラスのストローを弄りながらそっぽを向く。
と、その時。
(……ん?)
少し離れた席から、妙な気配——いや、明確な『殺気』を感じた。
視線だけを動かす。
観葉植物の陰。巨大なメニュー表で顔を隠す、不自然な三人組。
隙間から、銀髪、和服の袖、真っ赤な髪が見え隠れしている。メニューを持つ手がワナワナと震え、今にもテーブルを叩き割りそうなオーラが漏れていた。
(……完全に尾行されてんじゃねえか)
「すばる君? どうかしましたか?」
「いや、なんでもねえ。ちょっと風が冷たいなって……」
引きつった笑いで誤魔化す。
だが、翠蓮は三人組の方をチラリと一瞥し、わざとらしく声のトーンを上げた。
「そうですか? 私はすばる君と密着できて、とっても熱いのですが。……ねえ、すばる君。この後、二人きりになれる場所へ行きませんか?」
バキィッ!!!
背後で、メニュー表が真っ二つにへし折られる音がした。
わざとだ。この人、完全に気づいた上で煽りやがった。
***
夕暮れ時。
カフェを出た後も、背中に突き刺さる殺気を感じながらショッピングモールを歩き回った。
「すばる君、少し路地裏を抜けて近道しましょうか」
翠蓮に手を引かれ、人通りの少ない薄暗い路地へ入る。
「……グルルルッ」
ゴミ箱の陰から、低い唸り声が響いた。
空間の歪みから生み出された野良の魔獣。大いなる淘汰の残滓だ。
「……チッ。大掃除のやり残しがいたか」
反射的に翠蓮を背後に庇う。
「すばる君、下がって。私が——」
翠蓮が一歩前に出ようとする。
「いいから、後ろで見てろ」
俺は翠蓮の手をギュッと握り返した。
「今日はデートだろ。……俺の隣を歩いてる女に、野良犬の相手なんかさせられるかよ」
翠蓮が小さく息を呑む気配がした。
俺は地を蹴る。
「——大人しく寝てなッ!」
懐に潜り込み、闘気を込めた右拳を叩き込む。
ドンッ!
鈍い音と共に壁に激突した魔獣は、光の粒子となってあっけなく消滅した。
「……ふぅ。これで邪魔者はいなくなったな」
拳を払いながら振り返る。
そこには、普段の余裕たっぷりな大人の顔じゃない。顔を真っ赤にして、胸の前で両手を握りしめる、年相応の女の子のような翠蓮がいた。
「……翠蓮? 怪我でもしたか?」
「……ずるいです」
翠蓮がポツリと呟いた。
「戦場では無茶ばかりするくせに……。こんな時だけ、そんな男の顔を見せるなんて」
ツカツカと歩み寄ってきた翠蓮が、俺の首に腕を回す。
背伸びをして——。
チュッ。
頬に、柔らかくて甘い感触が押し当てられた。
「な……ッ!?」
一瞬で顔が沸騰する。
「ふふっ。私を護ってくれたご褒美です」
至近距離で、悪戯っぽく、でもどこまでも甘い視線と交差する。
「……すばる君。私、本気であなたの心を奪いにいきますからね。覚悟していてください」
「あ……あー……」
完全にフリーズした、その時だった。
「あああああッ!! 翠蓮さん!! アンタ何してんのよォォォォッ!!」
「抜け駆けです!! 武士道への反逆です!!」
「統!! アタシにも!! アタシの頬にも今すぐベットしなァァァッ!!」
路地の入り口から、我慢の限界を迎えたセリア、雅、紅刃が、涙目と殺気を撒き散らして突撃してきた。
「お、おいお前ら!? ずっとストーカーしてたのかよ!!」
「さあすばる君、逃げますよ! 捕まったら三等分にされてしまいます!」
翠蓮に腕を引かれ、夕暮れの西東京の街へと駆け出す。
背後からは、愛と殺意に満ちた怒声が追いかけてくる。
(……ったく。平和になっても、俺の周りは相変わらず騒がしいぜ)
神々のゲームが終わった世界。
俺たちのドタバタな日常は、夕焼け空の下でいつまでも賑やかに響き渡るのだった。




