星の底のVIPルームと、破滅の黒(ブラック・チップ)
無限大の質量が、星の眼球を完全にブチ抜いた瞬間。
鼓膜を破るような爆音は鳴らなかった。代わりに訪れたのは、世界から「音」という概念が消え去るような絶対的な静寂。
極限の魔力消費と、左腕に受けた死の呪いの反動。
俺の意識は、真っ白に燃え尽きていく中東の空から剥がれ落ち、重力すら曖昧な泥沼の底へと真っ逆さまに沈んでいった。神を殺した際に訪れる、精神世界へのダイブだ。
やがて落下が止まり、俺がゆっくりと目を開けた時。
そこは、息を呑むような絶景だった。
足元には床がない。赤や青に渦巻く無数の銀河と、脈打つマグマの海が混ざり合った、途方もない宇宙の空間。
その雄大な星の深淵のド真ん中に、ポツンと、漆黒のベルベットで覆われた『巨大なカジノテーブル』が置かれていた。
『——ようこそ。星の底(VIPルーム)へ、名もなき狂ったイカサマ師よ』
カジノテーブルの向かい側。
そこに立っていたのは、燃え尽きた『白い灰』だけで構成された、スリーピーススーツの長身の男。星の概念の残りカスが、俺という人間の作法に合わせて形作った『灰のディーラー』が、静かにトランプを切っていた。
「……随分と気の利いた出迎えじゃねえか。テメェが、あのクソ熱い眼球の残りカスか」
俺が油断なく身構えると、灰のディーラーは手を止め、優雅に一礼した。
『警戒には及ばない。私は既に盤面で敗北し、全額没収となった敗者だ』
ディーラーの灰の奥底で、静かな赤い火種が揺れる。
『星が産声を上げてからの四十六億年。ただそこにあるだけの「炎の概念」を、己の拳一つで殴り壊した生物など存在しなかった。……お前は、人類史上初めて星の理を出し抜いた男だ』
声に憎悪はない。自らを砕いたあり得ないイレギュラーへの、純粋な驚愕と敬意。
「ハッ。俺はただ、テメェの悪趣味な遊び方が気に食わなかっただけだ。俺のダチの人生を、勝手に暇つぶしの盤面に乗せんじゃねえよ」
俺が鼻で笑い飛ばすと、灰のディーラーは満足げに肩を揺らした。
『素晴らしい。……ならば、星の理を破産させた狂気には、相応の「払い戻し」を行わねばなるまい』
通常、神を殺して得る権能は【1の目】や【2の目】といった『サイコロ』の形をとる。
だが、灰のディーラーがテーブルに置いたのは、サイコロではなかった。
『矮小な器では、星の原初は閉じ込められない。……ゆえに、この力はお前だけの「特別枠」となる』
コトリ、と置かれたのは一枚のカジノチップ。
だが、プラスチックではない。原初の炎がすべてを焼き尽くした後に残る「究極の灰」を極限まで圧縮して創られた、光すら吸い込む赤黒い『星のブラックチップ』だった。
俺がそれに触れた瞬間。星を丸ごと一つ焼き尽くすほどの熱量と、残酷なルールが直接脳内に流れ込んでくる。
『新たな権能——【原初の灰燼】』
「……相手の盤面ごと、燃やして灰にする力か」
俺は、手の中にある恐ろしい重量感を見つめ、ゴクリと息を呑んだ。
ディーラーが静かに頷く。
『いかなる神の理が展開されていようと、そのチップを投げ込んだ瞬間、原初の炎が相手の権能を概念ごと燃やし尽くす。……ただし、チップを投げる燃料は、お前自身の「魂の寿命」だ』
使う度にお前の命は確実に燃え尽きる。使うか否かは、お前の狂気次第だ、と灰の男は嗤った。
「……ハッ。上等だ。俺の命なんて、最初から全部テーブルの上に乗っかってんだよ」
俺は星のブラックチップを高く弾き飛ばし、パシッと片手で力強く握り込んだ。
『見事な覚悟だ。ならば行け、極東の総帥よ。この先に待つ、さらなる理不尽なテーブルへと』
灰のディーラーが深く頭を下げた瞬間。
足元の銀河とマグマのテーブルが光の粒子となって砕け散り、俺の意識は急速に現世へと引き上げられていった。
「……統! 目を覚まして、統ッ!」
頬に落ちる冷たい水滴の感触で、俺はゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、涙ぐむセリアの顔と、地獄のようだった中東の空に差し込む、美しい朝焼けの光だった。
「……わりぃ、ちょっと大穴を当てて、払い戻しに時間がかかっちまった」
俺が掠れた声で笑うと、セリアが子供のように声を上げて俺の胸に泣き崩れる。
原初神が消滅した砂漠には、異常な熱波も炎の獣たちも消え去り、冷たく澄んだ静寂だけが戻っていた。
「ハッ。随分と長く寝てやがったな、極東の総帥様よぉ」
レオンが白銀のクレイモアを杖代わりにしながら、泥だらけの顔でニヤリと笑う。
翠蓮は安堵の微笑みを浮かべ、紅刃と雅も全身の火傷と疲労でへたり込みながら、親指を立ててみせた。
そして。
「……まったく。他人の命をチップにして勝つなと偉そうに説教した口で、自分が一番無茶な全賭けをして死にかけるとはな」
絶対零度の冷気を完全に収めたレヴィが、涼しげな、けれど確かな『友への情』を滲ませた顔で俺を見下ろしていた。
その瞳には、彼を何百年も縛り付けていた呪縛のような憎悪の色はない。
「ハッ。勝ったんだから文句は言わせねえよ」
俺は、左手のポケットに収まった『星のブラックチップ』の熱い重みを感じながら立ち上がった。
「おうおう! 終わったんなら、さっさと俺にも美味いメシを食わせろよな! 極東のテーブルってやつに、俺の席も用意してあんだろ?」
少し離れた岩の上で、獣の剛毛を解いて人間の姿に戻った獣王ガルドが、腹の虫を鳴らしながら豪快に笑い声を上げた。
「ああ。帰ろうぜ、お前ら」
俺は、朝焼けに照らされた極東の狂った家族たちと、新たな猛獣の王を見回し、ボロボロの身体を太陽に向けて大きく背伸びをした。
「西東京の地下に帰ったら……まずは全員で、最高に美味いメシを食おう」
人類史上初めて星の概念を出し抜き、氷のジョーカーを取り戻したイカサマ師の群れは、互いの肩を貸し合いながら、夜明けの砂漠を極東への帰路へと歩み出すのだった。




