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鳥籠の生活

 朋鸞国は緑に囲まれ色彩豊かで、芸術にも特化した素晴らしい国だった。

 一年中、何らかの花々が美しく咲き誇り、街はその移り変わる景色とともに色を変える。国外から訪れる人々も多く、文化と進化の共存や自然を残し、色艶やかに活用するという試みは他国も重視しているらしい。変わらない美しさの中に、現代的な建造物や芸術を取り入れながら外観(けしき)を損ねないように努める専門家たちのおかげで、朋鸞国は(すた)る事がなかった。そんな朋鸞国だからこそ昔から『夢幻の都』と崇められ、慕われてきたのだろう。

 ――そして、この国の象徴とも言うべき建造物が今から登場する【天寵(てんちょう)鳥籠(とりかご)】だった。

 それは外から拝めば、まるで月を思わすほどの純白できらきらと光を放ち、闇夜になれば颯爽(さっそう)とした美しさはより度を増していく。

 その魅力に比例して、この国には伝説も多く――誰が語りだしたのか、『幻の鳥』の話は代表的だった。

 『華麗な鳥籠には、美しい不死鳥が棲んでいる』

 その不確かな情報を解き明かすため――芸妓・蝶々は動き出した。



「もう、なんて広いところなの……」

 宮殿というところは実にすごい所で――何が凄いかというと。まず、とにかく広く何階もあって、入り組んだ造りになっているからまるで迷路に迷い込んだようだった。これは数日間だけでは習得できそうもなく、まだちゃんと地図も読解できていない始末だ。

 そういえば、ここへ来て早半月近くになる。王様は仕事が忙しいらしく、お呼びが掛かる事は無く。でもやることがないのも癪だから後宮内で宮女のするような仕事(雑用・掃除)に手を出したり、あとは宮の探索に勤しんでいる。

「あら、葉澄ちゃん。頑張っているみたいね」

 突然、後ろから声を掛けられ、葉澄は微笑んだ。この声は――。

「茶燗ちゃん、よかった。でも私、別に何もしてないよ。ただ迷っているだけで、えへへ……」

 眼前には葉澄よりもだいぶ背の高い美しい女性が佇んでいた。彼女の爪は美しく手入れがされていて春色に美しく染まり、長く伸びた睫毛や程よく染まる真紅の唇、頬紅もあざとくなく優しい印象を与える完璧な女官の姿だった。結い上げられた髪の様子で少し年若く見えはするけれど、身に備わった気品は消え去る事はない。それにこんなに広い宮の中で迷うことなく移動できるなんて本当に尊敬してしまう。

「いいのよ、それで。頑張って覚えてみて。――あ、ごめんね、今は名前が違ったのよね。『蝶々ちゃん』だったわ」

 ――そうだった。今は妓女の名で『蝶々』と名乗っているんだった。

 椿燐街でもそうだけど、芸名を使ったほうがこういう仕事はしやすいらしく、翠お姉さんにつけてもらった名だけれど、響きも自分の名前と似ているし、とっても気に入っている。

 そして、今話しをしているすらりと背の高い綺麗な人は、父の妹の桜茶燗(おうちゃらん)。後宮では姓を名乗らない決まりだから、彼女と同様。きっと自分の事を知っている者は少ない。しかも彼女は何と言っても筆頭女官として後宮を切り盛りしている為、ここの雰囲気はとても良くて居心地もよかった。彼女らしい温かな空気の漂う場所だ。

「迷うくらいなんてことはないわ。迷ってしまったら誰かに訊けばいいんだから。私がここへ来た時は、それはまあ、たくさんの方々にお世話になったもの。それに比べたら、優等生よ」

「なんか私、茶燗ちゃんができてない姿が想像つかないんだけど……」

 それを聞いた茶燗は口許を覆って微笑んだ。実に、大人の女性という感じだ。

「うそうそ。そんな事ばかりだから、私なんて――」

 すると突然、彼女は何かを思い出したように手を打った。

「蝶々ちゃん、忘れちゃうところだったわ。今夜は陛下が後宮でお休みになられるから、演奏をよろしくね」

「えっ!?そうなの?……きゅ、急なのね」

 葉澄はおどおどしてしまった。だって、し慣れていないお化粧は崩れていないかとか、身嗜(みだしな)みは大丈夫かなとか途端に色々気になってしまう。

「もう可愛いんだから。本当に、あの桜朱那(ひと)の血を引いているとは思えないわ。それにあの父親(おとうさん)と住んでいて、こんなにも真っ直ぐに育ってくれて私は嬉しいわよ」

 茶燗ちゃんの、父にも負けないくらいの溺愛振りは健在らしくて、(とても嬉しいことだけど)兄妹の仲の悪さは相変わらずのようだった。

「でも茶燗ちゃん、父様にはこの事は内緒にしてね!きっと、大変なことになるから……」

「ええ、わかってるわ~。知らせる必要なんてない。だって女の子は好きなことを好きなだけやればいいんだもの。深く考えることなんて何もないの、でしょう?」

 葉澄は口許が自然と緩んで行くのを感じた。相変わらず彼女は天真爛漫でそして、かっこいい。きっとそんな台詞を言えるのは『イイ女』だけに限られていて。だからこそ発せられたものは魅力的でその言葉に意味がある。茶燗の話には説得力がある。だから本当にそれでいい気がしてくるし、そしてこうに誰かの心に響くことの言える女性は凛々しくて、ほんとにカッコイイと思う。そんな女の人になれれば、色んな事に振り回されずに余裕に何でもそつなくこなせるだろうにと、葉澄は感じた。

 (私にはまだまだ遠い話だと思うけど……)

 いつかは立派な女性になりたいなんて、やっぱりくじけずに葉澄は拳を握り締め意気込んだ。


  ゜***。***゜***。***゜


 その夜の後宮は、とても静かだと感じた。昼間は意外と騒がしかったから、そうに感じるのかもしれない。自分は道に迷うし、茶燗の手伝いもたくさん引き受けててんてこ舞いで。でもそれはきっと緊張を解すためだったのだろうと思う。彼女なりの配慮のおかげで、もう肩の力は抜けている。そしていつの間にか月が昇る夜になって、葉澄は麗しい着物に着替え、離宮に向う道中、二胡を抱えて歩いていた。空は曇っているようで、綺麗な星空は拝めなかった。

 これから目指す『彩華宮(さいかきゅう)』は、この時季には打ってつけの場所で、花々を拝むには打ってつけの場所だし、辺りには花の咲く木々が生い茂り、当然、幻想的な花の回廊も広がっていた。そしてふわりと春の花の香りがする。

白く光る外灯を辿っていくと、程なくしてこぢんまりとした建物が見えた。上品で素敵な離れだと、一目惚れしてしまうくらいに良い雰囲気の佇まいだった。

 (……それにしても)

 ――人がいない……。

 来る途中はちらほら見廻りの明かりも見えたけれど、警衛の人に出会ってもいいはずなのに、表には衛士の姿も見当たらない。

「……どうなってるの?」

 ――もしかして、場所を間違えた?でも教えてもらって来たのだから、そんなはずはない。

 葉澄は小さな声で「失礼します」と一言声をかけると、たどたどしく中へ入っていく。室中は全く静かで、灯りも少々しか灯っていなくて。そしてどうやらこの中の造りは、部屋を通過しないと次の間には行けないらしいとわかった。それを理解すると、葉澄は辺りを観察しながら先へ進むことにした。初めは広い応接間を通り、次には生活感が漂わない居間らしき場所に入る。どちらとも、まるで展示部屋(モデルルーム)のようで葉澄はうっとりした。

「きれい……。でも、何だかもったいないわ」

 見たこともない品が次々と目に入ってくる。葉澄の家もかなりの上質な品が揃っているけれど、比になりそうもなかった。だって、こんなもの日常で使うことになったら、どう扱っていいか考えてしまうと思う……。特注品だろうと思われる大理石の大きな卓をはじめ、鳥の翼を(かたど)った椅子たちに、使われていない市松模様の碁盤と緻密な彫りの駒は丁寧に造られた芸術品だった。触ることも拒んでしまうような物に生まれて初めて出会ったように思う。ここにあるもの全て、恐らく国宝級のものだらけで気が抜けない……。

 そういえば、さっきから所々に蝋燭が燈っていた。生花と一緒に卓の上に置いてあったりして、(しょく)(だい)にも火が()いている。

 ふと思ったことといったら、それらからいい香りがしてくるということ。とてもいい趣味だと、素直に思う。

 (いったい、誰がしたんだろう?)

 至る所にそれらから違った色の輝きが見えて、まるで妖精が棲みついているみたいに可愛らしい明かりをつくってくれる。家で真似したいくらいだった。そして、その燭台ですら一つ一つの形が異なり、独創的な作りになっていて、本当にこの裏には妖精が隠れているんじゃないかとも思えてしまう。

 葉澄は溜息をついて、また奥にあった扉を開ける。もう何が出てきても驚かないかもしれない。

 今度は何が現れるのか――葉澄は目を凝らして、室内に入った。そうしたのは室内が今までよりも暗かったからだけれど、時間が経てば目も慣れて、何の部屋だかはすぐにわかった。

「寝室ね」

 たぶん、今まで見てきた中では一番小さな部屋で、けれど露台へと続く窓がとても大きなものだったから狭いとは思わなかった。これこそ、目の錯覚というやつだろうか。そしてここにも鼻を喜ばせるいい香りは微量に漂って、一つの灯が温もりのある(あかり)を放っていた。

 そんな事を気にしながら、見れば部屋の中央にある寝台の天蓋は魅力的で何段もの(ひだ)が重なり、まるで薔薇の花を手本にしたように素晴らしかった。

「すごい。やっぱ、お城は格が違うわね」

 近づいて見てみると、薄絹にキラキラしたものが(ちりば)められていて、星みたいだなと単純に思って。一度は体験で眠ってみたいとも思うけど、実際は落ち着いて眠れそうにない。

 何だか桁違いの数々に感覚が麻痺してしまって――後宮も素晴らしい所だけれど、王様の暮す所は別世界で自分がこの場にいること自体が夢の中の出来事のようにしか思えなかった。

 でも、王様はどこにいるの?これじゃ、ここに来た意味が……。

 (――え?)

 後ろから腕を掴まれる感覚がして、葉澄はハッとした。

「――な、なに!?」

「……二胡を弾く姫は、そなたか?」

 どこかで聞いたことのある声に葉澄は振り返り、その顔を見て目を見開く。そしてそれを理解して、耳に囁かれた声がとても冷たいものだと思い葉澄は二度驚く。

 (――この人は)

「わたしは、その……」

 そこで、肩を押されて寝台につまずいた葉澄は仰向けに柔らかな寝台に倒れ込んでしまった。ほわりと沈む感覚がしたと思うと、その上に彼が覆い被さるように葉澄の顔の横に手をついた。

「目的は一つなのだろう?どうする?」

「ど、どうするって……」

 この状況の意味がワカラナイ……。それに組み敷かれているので身動きが取れなくて、葉澄にはどうしようもなかった。

「妓女なのだろう?ここへ赴いた理由ならわかる。……すぐに終わらせよう」

 冷え冷えとした声に、葉澄は息を呑んだ。

 ――この人は、本当にこの間会った彼なのだろうか?でも、あの美しい容貌を忘れるはずはない。あの優しく、桜が好きだと言ってくれた人。でも疑ってしまうくらいに空気が怖い。

 彼はそう告げると、葉澄の細い腰に手を伸ばし、綺麗で入り組んだ仕組みの衣装を

手際よく剥がしていく。

「い、いや……やめ……」

 次第に彼の顔が近付いてきて、葉澄はびっくりして目を瞑る。その時、振り上げた手が何かにぶつかった。ハッとして目を開けると彼は手を止め、怪訝な表情をしていた。

「ごめんなさい……私……」

「好みではなかったか?そなたはどうしてほしい?」

 彼の手が視界に入り、葉澄の頬に長い指が優しく触れる。首を傾けて訊かれた言葉は、状況とは裏腹に優しいと感じた。

「あの……こういう事は、気持ちがなければきっとダメです……」

「やはり、そなたは違うのか……よかった」

 口走った葉澄は彼の言い分も聞かずに慌てて起き上がるとその場を脱して、刺繍を施した手拭いを自分の持ってきた水筒の水で濡らした後、彼の頬にそっと当てた。大急ぎで走って行ったり来たりしていたので、乱れた衣服は度を増して肩まで露わになってしまっていたけれど、もうそんなことは葉澄にとって些細な事だった。

「申し訳ありません。本当に……」

 俯いて述べると、伸ばしていた手の上から覆うように大きな手が重ねられて、葉澄は咄嗟に手を引っ込める。

「目的が違うのなら、そなたを相手にする必要はないな」

 触れる手はとても優しいものなのに、紡がれる言葉は深い〝人間的な〟感情があまりにも薄くて、葉澄は心に雨水が溜まっていくような冷たい感覚を覚えた。

 (――そうか……)

 この人は『王様』であって、きっと桜の木の下で出会った『あの人』とは違う。口を噛み締めて葉澄は顔を曇らせる。

 すると背中に何か温かいものが掛けられ、彼が動けば、この間嗅いだものと同じいい匂いがした。ところで彼は寝台ではなく、少し離れたところにある立派な造りの長椅子に横になった。

「……あ、あの」

 葉澄は気を取り直して起き上がり、動揺を隠せずに口を開く。薄暗い中では、彼がどんな表情をしているのかは葉澄にはわからなかった。

「そなたの好きな曲を」

「え?」

「そのためにここに来たのだろう?」

 そして葉澄は息を整えながら、少し考える。この状態で何が弾けるだろうと。薄明りの中、虚しく冷たい雨音が耳に届く。

 (思い出した……)

 彼はこの国の王様――鳳鸚染(ほうおうせん)。異端児でその姿は『妖狼(ようろう)』と恐れられ噂されていた先王陛下の唯一の子息。

 その公子は幼い頃から天の使いのように美しいと囁かれ、彼は確かその見目麗しい姿から『夢想(ゆめ)の方』と言う名で城下には知れ渡っていた。そしてもうひとつあった彼の噂が……。

 『心のない美しい人形(ひと)』――。

 これが、彼との〝初めまして〟ではないけれど、本当の彼との〝はじめて〟の出会いだった。


  ゜***。***゜***。***゜


「蝶々ちゃんは、王様と仲良くなれたかしらね」

 呟いた声は闇夜に消え入り、聞いてくれるのはあの三日月だけだった。

 本当に春はいい。暗いはずなのに、日の光と同じ希望をもたらせてくれる。

 新しく後宮へ来た、太陽のような少女は『光を無くしてしまった月』に光りを与えることが出来るのだろうか。

 そして茶燗は、先程から気になっていたことについて溜息を吐いた。

 (とても気に入っている時間なのに……)

「どうなされたのですか?隠れているなんて、あなたらしくないと思いますが?」

 すると思った通り、木陰からふらりと男が現れる。その彼は、派手な扇で顔を覆っていたので、表情まで窺うことはできなかった。

「苺羅様、いかがお過ごしでしたでしょうか?近頃は後宮へお越しにならなかったので、飽きてしまわれたと思っていました」

 すると、くすりと笑う気配がした。きっと楽しんでいる

「もしかして待っていてくれたの?茶燗は気が利くから、とても嬉しいよ。他の娘とはやっぱり違うよね?」

 扇上から覗く視線と交わり、冷たい時が流れる。まるで逢魔が時のような彼の瞳は垂れ目がちで、優しい印象を与えはするけれど。その奥にある瞳の色は謎に包まれていて、きっと彼の本性を気づける人は誰一人いない。

 彼の求める答えはすぐ逃げてしまって、掬い上げられそうにないから――。

「『違う』とは、年の功のことを言っているのでしょうか?苺羅様、私に会いに来てくださるならば、夜更けではなく日の当たる時刻にしていただかないと。そうであれば、たくさんお話しができましたのに」

 茶燗は自らの顎に手をあて、麗しく微笑んだ。それに対して、苺羅は小さく笑みを零すしかなかった。

 本当に丹花の唇がよく似合う。彼女は艶麗な女性で、後宮へ来た時からその魅力は変わらない。一見しただけなら淑やかな女性かと思ってしまうけれど、口を開けば、止まることの知らない車輪のように婉美な声音が響く。

 芸事も多彩にこなす彼女は後宮一の才知の持ち主なのに、ひけらかそうとはしないから、その心にはとても惹かれるし、彼女のうねる栗色の髪はより魅力を引き出してくれた。

「私は、君だから会いに来るのだよ。でも君は『引っ張りだこ』だから限られてくるだろう?私は相変わらずの牽制は好みだから気にしないよ」

 露台で風に当たっていた茶燗は手摺りに背を預け、寄りかかる。夜風はとても気持ちがよくて、やっぱりこれは、独り占めしたい時間だと思った。

「……こうして、わざわざ私のところにいらっしゃるくらいです。余程、お話ししたい事があるのですね……」

 苺羅は扇を操りながら、何故か楽しそうに口を開く。

「本当に相変わらずだね、茶燗は。少しは茶番に付き合ってくれてもいいと思うけど?……つれないんだから」

 そう言って、彼は扇を閉じた。紅色の色彩は姿を消し、それと同時に控え目な鈴の音が遠慮がちに鳴った。

「……それがね、協力してもらいたくて。『君に』お願いしに来たんだよ。聞いてくれるね?」

 自分の美しく彩られた春色の爪を見つめながら、茶燗は少しだけ目を細めた。


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