朧月夜の調べ
琵琶の音色が嫋やかに響き、涼やかな風が室中を流れていった。本当に、この時間だけは心は穏やかでいられる――幸せと呼べる空間だった。
程無くして音色が止むのがわかると、どうやら自分が眠ったと思ったらしいと彼は察した。
「そなたの音色は、心が和む」
帳の外へ声を掛ければいつものように落ち着いた、音色と同じ品の良い声音が返ってくる。そちらの方へと和やかな面持ちで男は顔を向けた。
「ありがとうございます、鸚染様。この後も精進致しますね」
そう言って、薄絹越しに彼女が頭を下げるのがわかった。
そういえば、こうして曲を弾いてもらうようになって何年になるだろう。彼女が〝後宮〟へ来た時からだから、相当に長い間と言える。
すると彼女は演奏を始めるより先に口を開いた。
「あの、一つお伝えしたい事がございます」
「ああ、何だ」
「新月より新しく芸妓を迎えることになりましたので、その娘を遣わせることに致します」
そよ風が吹いた所為か波打つように薄絹が揺れる。まるで何かの変化を表すように。
「それは、丞相の思惑か……」
「ええ。椿燐街で見つけたようで。何でも噂によれば二胡弾きの美姫で、椿燐街でも人気を博しているとか」
鸚染は溜息が出る思いだった。見えないところで囲いを作られているような変な気分で、居たたまれない。
「名は『蝶々』と聞きました。可憐で可愛らしい、名に相応しい娘だそうですよ」
「面倒な事を……」
「ですが、二胡の音色というのもまた善いものかと。一度聴いてみてはいかがですか?」
また琵琶の音が流れはじめる。馴染んだ優美な音色が絶え間なく鳴り響き、茶燗は麗しく微笑んだ。
新月までは、あと――。
あと少しで、途切れることのない日々の、新たな刻がまた始まる。




