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歪な知らせ

『……なん……で……なんでだ……』

 冷たい足がじんじんと感覚がなく。吐く息は白く変化し、寒さを表現していた。

 濡れた体よりも熱いはずの心の方が凍り付きそうで不可解な感覚に陥り、周りの声も遠くて聞こえない。

『……ちよ。りん……ちよ……目を、開けてくれ……。鈴蝶……』

 その時、自分の口から発せられた言葉が、寒さと共にじんと体中に響き渡った。



「……上。主上、どうしました?」

 呼ばれていることに気づき、王は机から目を上げた。心配そうな視線を向けて、側近が見つめている。

「雅茜か……。早いな」

「はい。別件で話があったので。それより大丈夫ですか?疲れているのでは?」

 その問いに、王は首を横に振った。見ていた雅茜は眉根をよせ、暗い表情になる。

「主上。後宮に芸妓が入ったと聞きました」

「ああ、今月から来た」

 雅茜の尋常ではない空気を察し、鸚染は簡潔に答える。

「やはり、そうなのですね。実は、その娘なのですが……」

 そこでチリンと扉の鐘が鳴った。これは訪問者を告げる鐘の音だ。

「失礼致します。お取込み中、申し訳ありません」

 頭を下げたのは、あまりこちらに出向くことのない男だった。掛けられた鼈甲の眼鏡がよく似合う、清楚で紳士な印象の人物だ。

「舞琳殿がいらっしゃるとは、いかがな用件ですか」

 すかさず言葉を発したのは雅茜だった。本当に頼りになる男だ。

「雅茜くん、すみません。陛下にお話しが」

「舞琳殿、何だろう?」

 鸚染は現れた高官に、即座に王の顔で話を進める。

「この間、朝議で上った案件ですが、進展がありまして」

 それを聞いて、鸚染と雅茜は目を見合わす。その事件は、朝廷内では持ち切りの話題だった。

「進展とは?」

 鸚染は神妙な面持ちで返答を待った。官吏たちが噂をするのも無理はないが、国民を不安にさせないためにも、あまり公にはできない内容だった。

「はい、そのことなのですが。『主上に頼んで来い』と言われましてね……。その上司の言づけですが」

 一瞬で、雅茜は固まった。目の前にいる彼の上司といえば、一人しかいない。御史台長官・桜朱那(おうしゅな)――〝朱鬼(しゅき)〟と怖れられる男だ。

 (しかもこの口調、怒っている……)

 鸚染は小さく身震いをした。

「――上司が言った事をそのまま述べますと、『とりあえずは後宮へ行きなさい』との事でした」

「は……?」

 鸚染は疑問符を浮かべた。意味がわからなかった。

 でもその疑問を解いたのは、隣に立っていた優秀な側近だった。

「何故ですか?理由を仰っていただけますか?」

「理由?そうですね……それが『最善だから』ですね。それでは納得できませんか?理不尽だとは思われますがそうしていただきます。もしや雅茜君が陛下に仰ろうとしていた先程の話とも繋がるのではないでしょうか?」

 雅茜は眉根を寄せる。普段の彼ならば使わないような言い回しだったからだ。彼の持っている手の内がまるで見えない。

「いくら御史台であったとしても、陛下の私生活に踏み込んでまでの事であるなら、陛下が把握しなければならないのではないですか?事件の詳細を伝えて頂かなけないこの状況で承諾は厳しいです」

「ええ、ですが……彼はご立腹のようで。譲歩する気はないかと。雅茜くんなら、わかりますね?長官にとって『陛下を後宮に行かせたくはないけれど、そうせねばならない理由』があることを。ただそれが出来ない場合、とても痛手です……お互いに」

 苦笑いで舞琳は述べる。雅茜は唇を噛む。そして口を開こうとした時だった。

「わかった」

 小さくそう口にしたのは、他ならぬ王だった。雅茜、そしてあの表情を変えない舞琳でさえも目を見開く。

「主上!どうしてですかっ!?朱那様の思惑は計り知れませんよ。利用されるだけかも……」

「ああ。だが、乗らなければ何も解決しない。舞琳殿、そなたたちはもう事を把握できているのだろう?だから、余の所へ来て頼み込んでいる」

「さあ、それはどうでしょう?今、調査中ですので」

 読めない顔で語る舞琳は、やはり御史台の副官だった。けれど王も負けてはいられない。

「そして一つ訊きたい。それは宮女がらみの内容なのか?」

 それを舞琳に投げかけると、少しの間が生じた。別に返答に悩んでいる風には見えないけれど、こちらを面白く窺うような眼差しは感じられる。

「そうですね、どうでしょう……けれど、陛下は宮女には興味はないと伺いましたので、それを頼むには難しいお話です」

 あの上司についていける男は、他にはいないと密かに囁かれているだけあって雲をつかむような返答をしてくる。どうやら本当に彼の上司はご立腹のようだ。

 そして副官の彼の口は堅く、その場に応じて言葉の表情を変えてしまえる。それに、長官は無能な者を配下に置く生温い男でもない。彼はこの朝廷という戦場の中でその技量と技術を磨き、言葉巧みに人を操る〝魔術師〟と囁かれるまでになったのかもしれない。

「それではお話しはここまでで。何かありましたら、また参ります」

 最後に淡々とそれだけ述べて、舞琳は室を出て行った。ぽかんとした表情の二人を残して、室内にはおかしな空気だけが漂うのだった。

「雅茜、そなたの言おうとしていた話と繋がっているとは何だ?」

 隣に佇んでいた雅茜は困惑しているままに口を開いた。

「ええ、まあ……どうお話したらいいか」

「単刀直入でいい。彼はなぜ余に忠告をしに?」

 言葉を濁す雅茜に首を傾げ、鸚染は簡潔に訊く。

「それに関しては舞琳殿がここまで足を運ぶということで、単なる怪奇事件とは片づけられそうにないと取れます。陰で動く彼らがわざわざ口を開く機会を見逃せませんし……それと御史台を敵に回したくもないです」

 鸚染は大いに頷くが、雅茜の冷や汗じみた表情に首を捻る。

「雅茜……朱那殿は余を嫌っているのだな」

 突如として、そんないたいけな事を口走る王に雅茜はため息を吐いた。

 (冷たい目をする王も見ていられないけれど、八つ当たりを彼に向けるあの方も純粋というか……)

 そしてもう一度、雅茜はため息を吐く。王様は実は可哀相な人種(ひと)なのかもしれないと。

「朱那殿は、主上に文句があるわけではないと思います。ですが、今の状態が気に食わないようで」

「……?」

 話の内容がわからない鸚染には話の進む方向もわからない。それに、要望の糸口も見えて来ないのだろう。ただ首を捻って人形のように固まっている。今は実に穏やかで可愛らしい表情をしているけれど、それは彼がこの場に安心している証拠でもある。

「――もしかして、あの『蝶々』って可愛い芸妓。実は、雅茜の従兄妹(いとこ)だったりして~」

 ふと遠くから現れた声に、鸚染と雅茜は二重で驚いた。どうして、鶯蕾がここに――!?と。

 そして透かさず口を開くのはいつだって雅茜の役目だった。

「鶯蕾!?お前、まさか、サボってるんじゃないだろうな」

「ちがうよ~。ねぇ、雅茜?ところで答えは合っているの?」

 そう言いながら、鶯蕾は舞うかのように椅子の肘掛けに座る。衣服は色取り取りな上に身軽で、どこからどう見ても剣を所持する武官には見えない。しかも、音も立てずに入って来たということはこの男、開かれていた窓から侵入したのだろう。

 (全く……王城所属の武官だとは、とうてい思えない)

 雅茜は朝から何度目かのため息を吐いた。鶯蕾はといえば雅茜に興味深げな視線を投げかけてきて、理解し切れていない王は口を挟まずにその様子を窺っている。

「そうです。朱那殿の一人娘です」

 数秒だった。その間で辻褄があったのだろう。途端、鸚染は立ち上がり声を放つ。

「朱那殿の娘が、あの『蝶々』……。何故だ?」

「主上も気になりますよね~。これってどう考えても朱那殿の策略っていうか」

 王の場合は、鶯蕾のように冷やかしているわけでも、謎の答えが知りたいわけでもなく、ただただ、本当に状況の理解が出来ないだけのようにただ呆然と立ち尽くす。

「……すみません、主上。もっと早くに知っていればよかったのですが。あの『朱鬼』と恐れられる朱那殿も、愛娘には甘く。自分のしたいようにさせているところがあります。……なのでその当てつけが、あなたのもとへふりかかった模様です」

 王はやっと体の力が抜けたようで、無気力に椅子に沈み込む。

 身の覚えのない被害を食らう羽目になるなんて、王という立場は〝最善〟で、最悪。それにこの事件を早急に解決出来なければ、国の安寧が危うい事態になりかねないという特典までついている。

「朱那殿らしいが……」

「何がどうなのかは知らないけど、朱那殿の言う通りにしといた方が、身のタメかもね~」

 何が面白いのか、外の天気と同じように朗らかに微笑みながら、鶯蕾は『他人事』と決め込んでいるに違いなかった。その様に雅茜は訝しげに眉間に皺をよせる。

 (まさか鶯蕾のやつ。話の内容を全部、聴いてたんじゃ……?)

 まさに口調がそうとしか聞こえない。

「のんきに話すのは勤務が終わってからにしてくれと毎度言っているだろ。お前の部下たちは、それでいつも探し回るハメになると泣きついてくるんだ、俺に」

 それを聞いて当の本人は腹を抱えて笑い、王は聞かなかったふりをして書類に目を通し始める――。てんでバラバラな性格の3人がどうしてこうやって集結するのか未だに雅茜にも分からない。今この空間は特異なもので、収拾のつかない(いびつ)な空気が流れる。

 そして笑い終わった鶯蕾は、はあと息をついて表情を変えた。その顔は彼が真剣な時にしか見られないものだ。

「私もゆっくり世間話でもしていたいけど今日はそうもいかないみたい、なんだよね……」

 カタと音が鳴ったけれど、それが王の置いた筆の音なのか鶯蕾が深く座って片膝を立てたからなのかはわからなかった。

「要請が出たんだよ。王城内の警備に当たれってね……」

 歪な空間は冷たく綺麗に研ぎ澄まされる。この嫌ではない、ピリっとした鳥肌が立つような空気もこの三人だから生み出せるものかもしれないと、雅茜はふと感じるのだ。


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