甘酸っぱい『苺』の名を持つ、彼の話
『苺羅さん』――彼はとても特異な人だ。
毎日のように彼は『秘密基地』で珍しい紅茶を匂わせながら優雅に読書を楽しみ、そしてお昼寝も欠かさない。葉澄もこの異国風な場を共有させていただく代わりに、二胡を弾いてあげるのがなぜか日課になっていた。
今日も今日とて、洗濯物ならすぐに乾いてしまいそうな、からっとした気分のいいお天気だった。それならば余計に心地よい空間と化す。
この変わったお茶会に加わるようになって、どのくらい経つだろう。足を向けるのも、もう慣れっこになってしまっていた。
茶燗の耳飾りを小鳥に奪われて以来の交流だけれど、違和感があるというよりは何故か馴染みやすく、『普通に』と言っていいくらい、穏和な時間を過ごしている。でも強いて言わせてもらえばとても不思議な日常だと、葉澄は述べることができる。
何故ならば――彼との会話は大抵かみ合わない。
「苺羅さん。一つ質問いいですか?」
「な~に?お姫様」
「苺羅さんは実は異国の方なのかなと。ずっと訊けなくて。瞳の色も薄いですし、それにいつも読んでいるものって、外国語の本ばっかりだから」
葉澄は花の形をしたテーブルに積まれた本を指さして、問う。一度、試しにその本たちを開いてみたけれど数秒で挫折する羽目になった。そもそも身近な本にだってわからない言葉が存在するのに外国語をすんなり読み進められるはずもない。けれど彼はいくつかの国の字が解るらしく、数種類の違った文字がこの場には散乱していた。苺羅の仕事をしている姿は一度も見た事が無いけれど、これだけでとても頭の冴える人物なのだと頷ける。そんな天才めいた人物を野放しにしているこの王城というところは、やっぱり葉澄の考えとはかけ離れた場所だった。
「私が異国の人?それはどうだろうね。間違われたりはするけれど、成り済ますのもいいかもしれないね。話が噛み合わないと、みんなそう勘違いするかな?」
葉澄は時の動きを感じさせないくらいに硬直した。彼との会話はおもしろいけれど、内容がくねくね曲がって、最終的には何の話をしていたのかよく分からなくなってしまうことが多い。けれど無くなってしまった耳飾りが見つかるまではそれも仕方がないと思う。
彼の話によれば、あの可愛らしい小鳥は物を大事にする子らしいから、肌身離さずに持っているという事だ。真相はわからないけれど、葉澄はそう願っている。
そしてこの間名前を訊かれたのにも関わらず、何故か『お姫様』と呼ばれている、今日この頃である。
「は……はぁ。えっと、じゃあ……。本はどんな内容なんですか?中には絵本とかもありますよね?あと、表紙の絵柄がとても綺麗です。あの一番上に積まれているのとか特に」
「気になるの?内容はとても簡単なものだよ」
苺羅は他国の新聞を読みながら、目だけで葉澄を見る。見れば彼は今日もとてもオシャレな格好をしていて、どちらかと言えば普段よりもラフな装いだった。伊達だと思われる大きな黒縁の眼鏡もしている。でも彼の服装は彼だから似合うものであって、とうてい一般人では着こなせそうにない。
それに苺羅は美形で華やかで――王様とその点は似ているけれど、違うところがあると言ったら『おしゃべり』ということだろうか?
「それって童話って事ですか?気になるけど読めなくて残念です。でも苺羅さんの持っている本はおもしろいのばかりで、全く飽きません」
「そう?それなら努力した甲斐がある。私もいろいろと試行錯誤をしているんだよ?だってつまらなかったら、お姫様は毎日来てはくれないでしょう?楽しむためにここを造ったのに、また独りになったら退屈だからね」
まるで腕によりをかけた手料理をもてなすかのような口ぶりに、葉澄はぽかんとした。
(『この場を造った?』……まさか、嘘でしょう……?)
「ホントに苺羅さんは面白いですよね。武勇伝にしても割り増しすぎですよ~。また『ごめんね。嘘だよ~』って、からかう気でも引っかかりませんよ。学習能力は一応ありますからね」
「今回は嘘じゃないんだけどね~。まあ『造らせた』が正解だけど。お陰で少しはお城が楽しくなったよ。そう思わない?」
苺羅はいつも以上に突拍子もない事を、まるで子供を諭すように囁く。――葉澄に向かって。
この人は本当に何者なのか――正体を知りもしない葉澄にとっては、現実に異国の人と言葉の通じない会話を続けているようなものだけれど。感覚的に生きているような彼を見ているのは、葉澄にとってとても興味深いことだった。
「あの、苺羅さんは『偉い人』なんですよね?でもお城が嫌いなんですか?わざわざお城に来ているのに?」
温かい空気を移動させるようにそよ風が吹きぬけ、一掃していった。それでいなくなってしまったのは花のいい香りと、解りもしない、鳥肌の立つような冷たい風だった。
「……う~ん、どうかな。でも王城にいるのは、私の仕事のようなものだから。ここで君と出会えたのはとても幸運だよ。あの子には感謝しないと」
「……『あの子』って、あの小鳥ですか?私は複雑な気持ちですけど……そうかもしれないですね。『出会い』って、そういう予期できないものですもんね」
「ねえ、お姫様?君は王様の事をどう思っているの?毎晩、会うんでしょう?」
「お、王様のことって……。何で、ですか?」
葉澄は動揺が隠せずに、ティーカップを両手で持って喉を潤す。
「だって、嫌なら毎晩会いに行かないでしょう?君の代わりだっているのに君は頑張るから。王のどういう所がいいのかなと思って」
「でも、呼ばれるので……」
「断ることだってできるよ?」
葉澄は眉根を寄せた。苺羅は優しく見えて、けっこう痛いところをついてくる。それに、まさか抱き枕になるために会いに行っているなんて言えるはずもなかった。王様はあの日に述べたように手を出すこともなく、本当にひと肌恋しいだけのようで最近はそれもお勤めの一端と思って頷けるようになった。しかしあれ以来、衣服はちゃんと身に付けている。
「……陛下は、綺麗な水晶の瞳を持ったお人形にふとした瞬間、命が吹き込まれたような神秘的な人だなって思いました。何だか、心ここにあらずじゃないけれど。私を見てくれているようで実は別の何かを見ているような不思議な方ですね。――あと、表現も芸術的ですし、変わった印象の方です」
「それで、彼のどこがいいの?」
「え!?『いい』って……どういう意味ですか?心の優しい人なのだとは、思いますけど……」
「ほんとにそれだけ?もっと追求したくなっちゃうけど……まあ、いいや。――心に鍵をかけてしまった王様は君の心を惹いたわけだ。何かお話が書けそうな展開だね」
苺羅は微笑んでまた手元に目を向ける。葉澄は頬杖をつき、彼を見つめた。
「苺羅さんは陛下と仲がいいんですか?なんかそんな感じがします」
「え~?どうだろう。私は彼に嫌われていそうだからね~。兄弟のように育ったけれど、素っ気ないんだ」
「え!?そうなんですか!じゃあ昔から陛下は、ああに……」
「『見てくれない』?」
「へっ?」
「違うの?さっき言っていたでしょう?『私を見てくれているようで実は何か違うものを見ているよう』だって。彼の目には何が映っているんだろうね」
少しいつもと印象が違うように思った。普段の苺羅さんは真面目な事は言わないから。
「さあ、何でしょうね……」
「彼に見てほしかったら、彼を知らないとだね。でないと、彼の目には君は写らない」
「どういう意味ですか?」
苺羅に対して葉澄は違和感を持った。仲がよくないような事を言っていながら、何もかもを知っているような口ぶりだったから。
「日が陰ってきちゃったね。天気が悪くなるのかな?」
苺羅が呟くと葉澄はふと空を眺めた。雲に隠れて日差しが見えない。
葉澄は読んでいた本に栞を挟んで立ち上がり、おおきな欄干まで足を進めた。ここでは本当に城内のあらゆる景色を拝める、いわば堤防のような感じだ。
肘をついて眺めていると、まだ行った事も無い綺麗な形をした宮が見えた。あれは後宮だけれど、立ち入りは禁止になっている。
「あれは……」
このお城はとても綺麗なところだ。この国の人々はそれを生まれた時から知っている。でも葉澄を含め、そこで暮らすという事や中にはどんな景色が見えるのかと言うことを知らなかった。
遠くにある目を惹く宮を、葉澄は見つめた。
「『お姫様の住むところ』だね」
後ろから温かく優しい声がして、葉澄は振り返る。
――どうしてわかったのだろう。自分が何を見ているのか。
もしかしたら彼は超能力者なのだろうかとも思えてしまう。でもきっと、そうに言われたら、今なら納得できてしまうのかもしれない。
「今は長らく使われていないけれど、昔は綺麗なお姫様がいたんだよ。興味があるの?」
「い、いえっ。ただ綺麗だなと思って……。でも、入れないところですよね?」
「そうだね~。でも、向こうにはよく、『あの子』が行くみたいだから。なんだか惜しいよね」
「そ、そうなんですか!?見かけないと思ったら、そういう事だったんですね。……そう、なんだ」
葉澄が悔しそうな顔でまた景色を眺めると、いつ近付いたのか、今まで優雅に紅茶を飲んでいた苺羅はもう手の届くところにいる。
そして、葉澄の頭をなでると、その延長で髪を愛でるように梳いた。
「お姫様は、『美しい花と蝶の話』を知っている?」
「えっと……いえ」
訳がわからずに、葉澄は戸惑う事しかできず、苺羅はその様子を微笑ましいといった眼差しで眺める。遠目から見れば、この状況は仲睦まじい兄妹にでも映るだろうか。
「『悪い事』をするときは気を付けて。私のように上手にやらなくてはね……。大事な物を見落としてしまわないように……」
言われていることが理解できないのに、葉澄はその言葉に、なぜか素直に頷いたのだった。




