この位の大きさの彩色で可愛い小鳥、知りませんか?
葉澄がトボトボと後宮の自室への道のりを歩いている頃。白い朝陽を浴びながら、後宮の外れ辺りに目を向ければ様々な花々が咲き誇り、それらは見てくれとばかりに鮮やかで色彩豊かな彩りだった。
日の昇りはじめる頃の外気はぴんと肌が張るような、早朝のひんやりとした空気が満ちるけれど。それを癒すように、朝陽は何層もの暖かな光の面紗を施してくれる――。かつては後宮の姫が住んでいた【胡桃宮】をも通り越し、もっと奥にある誰も立ち入らない場所に、筆頭女官である茶燗はよく足を運んでいた。そこには平屋造りの広い建物が一つ建っているだけで、他には花畑と庭園に、池には橋が架かっているといった至って長閑な場所だった。
茶燗がまだ後宮へ来た頃は、他愛もない話をしていた気もするけれど、近頃はそれも少なくなって、こうして赴いて話しをするしかなくなった。
『時が経つ』ということは、解釈すればそういうことなのかもしれない――。
「早いお出ましだな。今朝はなんだ?釉梨のことか?」
ふとした瞬間に声を掛けられて茶燗が後ろを振り返ると、その声の主に深々と頭を下げた。
「おはようございます。好きお天気でしたので、お話をしに伺いました。ご気分はいかがでしょうか?」
対する男は齢四十ほどの、どちらかと言うと奇抜な印象を周りに与えるかもしれないけれど、数年前までは【一国の王】だった事に偽りはない。
珍しい銀髪の癖のある髪質や得意げで自信に満ちた表情は、初めて会った時とまるで変わらず。療養中だというのに、相変わらず人の言うことを聞いてくれもしないから、時々、様子を見に来るように茶燗はしていた。
「ご気分?お前はいつもそれから始まるな。返事が変わらないのは知ってるだろ?……そうか、確か。『桜朱那の娘が来た』って話はどうなった?羚碧の仕業だろうが面白いことになっているのか?」
「そうですね、彼女もここでの暮らしに慣れてきたようで。私も、それはそれは後宮というものが楽しいと思える今日この頃です。兄には悪いですが、凰丞相にはとても感謝しています」
茶燗がしゃがんで池の水に手を伸ばすと、艶やかな金魚たちは寄ってきはするけれど、綺麗な水中で手から距離をとるように辺りを優雅に泳いでいるだけだった。
柱に寄りかかっていた前王は茶燗の言葉が面白いという風に、興味深そうな表情を浮かべている。
今は政治も落ち着いたけれど、彼は風変りで革新的な人柄だから。よく言い表せば、日々が『新鮮』そのものだった。だから本当に今は良い意味で、世間が『長閑』と言えるだろう。
「聞いたら『朱鬼』は怒るだろうな。まあ、釉梨と相性がいいならその親は構わない。大事なのは体裁なんかじゃないんだろう?」
茶燗はその言葉を聞くと、 どこか少女のような笑みを魚たちに向けて、濡れた手の水気を飛ばすようにさっと振るった。視界に入る庭園の池はちかちかと輝き、魚たちは群れを成すように楽しそうに泳ぎ続ける。それを見納めるように瞳を閉じた。若かった頃のことを見つめるように。
「……長い間に置き忘れてしまいました。そうですね、本当に大事なものは……」
見事な所作で立ち上がると、その佇まいはまるで絵師に肖像画を描くよう要求するかのように、茶燗は優しく彼に微笑み返した。
「真実を見つける瞳でしょうか?昔とは少し変わりましたが私の譲れないものです」
「相変わらずよくわからんものを掲げているな。俺の解析が正しければ、どちらも輝かしい理想じゃないか?他に愉快な話は無いのか?」
また単刀直入にものを言われて、茶燗は苦笑いした。人をなじるような毒舌ぶりは何も変わってなどいない。けれど彼は比喩的に今回の話の核心を促している。
「では、春に梅や桜が欠かせないように、私たちの間でも欠かせないお話を……。あなた様はすでにご存じかと思われますが、つい先日聞き知った――『美しい花と蝶のお話』はいかがでしょうか?」
ふと変わった二人の眼光が、何かを示すように婉艶にかち合った。
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心地良くて、お散歩をするにはうってつけな気候だった。
葉澄は国でも有数の芸術的な大きな宮を眺めながら、のんきに可愛らしい服の裾を掴んで、踊るように石畳をぴょんぴょんと歩いて行った。いつも以上にうきうきしているかもしれない。
その理由は、今朝の出来事だった――。
久しぶりに茶燗が髪を結ってくれると言ってくれたのだ。
そして片側に、まるで羽毛のようにふわっとした髪が出来上がって――これは普段の二倍は髪の量があるように見え、ホントに凄ワザだった。
あと、頭に椿の花の髪留めをぽんと付けてくれたところで、『なんか耳が寂しいわね~』と言って、大事な耳飾りを貸してくれた。
さっぱりとした性格や親しみやすい人柄は、茶燗だからこそだと思うし。陽気でいて、あの存在感のある麗しい見映えなのだから、後宮内での支持が高いのも頷ける。
その耳飾りは、小指ほどの大きさがあり簡素な花の形で、藍色で模様も施されていて、輪を開いて耳を挟むといった簡単な仕組みだった。とてもじゃないけれど、普段はこんな高価な宝飾を身に付けたことがない。
一つ首を傾げたことといえば、対に存在するだろう耳環が一つしか無いということだった。訊いたけれど教えてくれないし、片方は無くしてしまったんだろうか?
(でも、茶燗ちゃんにはそれは当てはまらないかな?)
のんびりと思いを巡らし、葉澄は歩きながら腕組みをした。
まったく話は変わるけれど――近頃、とても気になっている場所がある。
池のほとりにある、お気に入りの四阿とは反対側に位置するところで。石で造られた階段が目を引いて、そこはいわゆる王宮と後宮の辺境地点なのだけれど、屋上庭園のようなものが設けられているのか、遠くから見ると鮮やかに草花が生い茂っているのはわかっていた。
至る所の探索に勤しむ葉澄だけれど、何といっても広大なところなのでとても時間がかかる。もし気になった場所があったとしても立ち入りが出来なかったり、後宮外の場所だったりと限られてしまって、葉澄の探検は難航していたのだ。
昨夜は王宮という絶対に入ることの出来ない場所を図らずも拝めたけれど、そんな機会は滅多に訪れるはずもなく。この【後宮】という一種の私有施設の攻略は地道に進む。
「うーん……。やっぱ、気になるな……」
何度目になるのか、『この石壁まで来て悩んで帰る』という一連の流れは、お散歩コースの中の習慣になりつつあった。
なぜ悩むのかというと、この階段を登った先はきっと王宮に続いているからで、それもこちらの方は表側なので下手したら朝廷に出てしまう可能性も大いにありえる。
王宮と後宮を隔てる壁だという事は知っているけれど、階段があったらつい上がりたくなってしまうのが好奇心旺盛な人の心情である。
すると視界に鮮やかなものが横切った――。
『何だろう』と目で追いかけてみると、綺麗な色をした小鳥だった。
「何ていう種類だろう。カワイイ子……」
葉澄が笑顔を浮かべると、そのカワイイ小鳥が目を合わせてきて、伸ばした指に留まった。
大きな目がクリクリしていて、本当に可愛い。
(人で例えると、芸能人の『クリム』に似てるかな?)
なーんて考えていると、小鳥は腕を登ってきて肩に乗る。
ニコッと笑って、『このコ、人懐っこいな~』なんて甘い考えでいられたのも束の間だった。――耳に痛みが走ったのだ。
ワケが分からずにいると、肩から飛び立ったそのカワイイ小鳥が、何かを加えて葉澄を見ている。
「――あっ!!」
邪魔するもののない片方の耳を触ると、さっきまで付けていた耳飾りが無くなっているではないか。
「返して~~!あ、ちょっと。ちょっと、待って!!」
訴えなど聞いてくれるはずもなく、小鳥は石壁の向こうへ飛んでいく。
さっきまでは妖精のようだと思っていた気持ちは剥げ落ち、今となっては、コソ泥としか思えない。
けれど、ここは冷静になって考えなければならなかった。
――そう、身勝手な行動は許されない。だって、ここは規制の厳しい王城だ。
むーっと唇を尖らせて、葉澄は仁王立ちで腰に手をあて石垣を眺めるが、その見せかけの虚勢心もやすやすと砕け散った。
「……覗くくらいだったら、平気よね?」
そう口走ると、葉澄は静かに駆け上がる。
まるで悪い事でもしているように抜き足差し足に登っていって、横幅の広い階段に咲いている小花たちに緊張をほぐされながら。螺旋の何段もある階段の頂点に辿り着いた時、実に驚いて、息だけが漏れた。
「……これ、って」
見た事もないような可愛らしい花が咲き、不思議な形をした葉っぱの植物が茂っている。地面は一面に芝が生え、綺麗な色の石が所々に埋め込まれていた。
階段を登り切った葉澄は、ぽかんとした表情で突っ立った後、美しい景色に促されるように中へと進んでいった。考える余地もなく足が動いていると言った方が、今は正しいのかもしれない。
そこに小鳥の姿は見えなかったけれど、それ以上に目の前のありさまに圧倒させられていたから、小鳥のことなんてその時はもうすっかり忘れてしまっていた。
立ち入った場は大きな露台のようになっていて、色とりどりな花の回廊を通り過ぎると、最も奥には腰かけられるくらいの大きな手摺りがあって、そこから辺りが見渡せるようになっているらしい。
「……何だか、秘密基地みたい……!」
まるでお伽噺の世界のように実に今日の衣装にピッタリの風景だったので、葉澄は体裁も気にせずに、裾のふわーっと広がった衣服を揺らせて、クルクルと踊ってしまった。とても気分がいい――。
「誰かな?私に会いに来てくれたのは……」
不意に、優しく落ち着いた声が聴こえて、葉澄はそちらを振り返った。
向いた方向には傘を大きくしたような屋根の付いた四阿があって、一人の男の人が座ってこちらを眺めているのがわかった。
のんきにはしゃいでいる姿をバッチリ見られてしまっているに違いない。
恥ずかしいと思いながらも、『こっちにおいで』と手招きされて、葉澄はその人の近くに歩み寄った。
「君は舞姫なの?それとも歌姫かな?」
近づくと彼の容姿が鮮明にわかり、葉澄は再び驚くことになった。
彼はまるで、絵本から飛び出したような甘い容貌の持ち主で目の色も薄く、着ているものも異国のものだろうと思える白黒の格子柄の領帯や男の人には珍しい桃色の変わった形の上着を羽織っていて、鍔の広い帽子も被っている。
何というか……変わった人に巡り合った。
「あの、ごめんなさい。私、小鳥を追ってきたんですけど……」
「う~ん。声を聞くに、君は『歌姫』かな。やっぱりそうだろうね~」
「え?えっと、あの……」
(意味が通じてないって事は、まさかほんとに異国の人……!!どうしよう……)
頭を触られて、侵入者を前に彼はなぜかご満悦といった表情だった。
「ふふふ、ごめんね。困っている姿が可愛くてからかってしまったよ。小鳥を追って、君はここに来たんでしょう?」
「え……あ、そうです。大切な耳飾りを盗られてしまって。この位の大きさの、カラフルで可愛い小鳥なんですけど、知りませんか?」
何だか調子の狂う人だなと思いつつも、葉澄は詳しく説明をする。すると、彼は『ああ』と何かを思い出したように、にっこり笑った。
「それって、きっと私の可愛い『お友達』だね。悪い子じゃないから、許してあげてね。見かけたらちゃんと返してあげるから。待っていて」
「本当ですか!よかった。私のものじゃないから、焦っちゃって。ほんとによかった……」
「そんなに大事なものだったの?……ねえ、そういえば。君は新しく来た『芸妓の子』だよね?」
「えっ?」
葉澄は驚いた。どうしてそんな事を知っているのだろう。というか、そもそも疑問を覚えなかった自分自身に問題があった。真っ昼間だというにも関わらず、優雅にお茶をしている人物を目の前にして、どうして身分を量らなかったのだろう。
――だって、この人、すごく偉い人だ。
「名前は、何て言うの?君の名前は?」
「わ、わたしは……蝶々です」
すると彼は頭を横に振る。『違うでしょう』と幼い子どもに言うように。
「ううん、そうじゃなくて。『君の本当の名前』だよ……本当の」
葉澄は少し躊躇ったけれど、なんなく挫折した。理由は、この見つめられている状態から早く逃れたかったという単純な気持ちから。
「名前は……葉澄です。葉っぱの『葉』に、水が澄むの『澄』という字で、葉澄です」
それを聞くと、彼は何故かまた嬉しそうに微笑んで、そしてまた頭を優しく撫でてくる。
「そう……よくできました。その方が、やっぱり君には似合っているね。じゃあ、私も自己紹介しなくては。私は『苺羅』だよ、ばいら……。よろしく」




