誰も知らない『彼の正体』
(まぶしい……)
朝陽を浴びて、葉澄は目をこする。
柔らかいお布団は寝心地が良くて『もう少し』と思ってしまうのは、誰しもそうかもしれないけれど、そこでパッと目を開けて朝を満喫するのも本当は気持ち良くて、爽快になれる《おまじない》だってことも知っている。
(……え?)
目を開いて早々、葉澄の頭には疑問が生まれた。
――これは、何?
「――き、きゃあ~~」
葉澄は布団を頭まで被り、奇声をあげた。
(――なんで?何でだっけ?思い出して、葉澄)
フカフカの布団の中で、葉澄は頭を抱えた。
(たしか……)
『……わたし。肩、貸しますね』
そう言うと、素直に肩に腕を回し、寄り添ってくれた。
でも、あまり寄りかかっている感じじゃなくて、もしかしたら、気を遣わせてしまったのかもしれないと、今更ながらに思った。
奥の扉を通過すると、これまた不思議な空間が広がった。
王様の部屋にしたら『質素な感じ』と口に出してしまいそうなほどに落ち着いた部屋で、シンプルであまり物も置いていなかった。確認できるものといったら、それこそ森の巨木のような存在の美しい造りの寝台に、書き物をするくらいの大きさの小さな机や簡素な椅子くらいで。あたりに咲く野花のようにてんてんと置かれている。
王様に気を配りながら、辺りを見回していた葉澄は不思議な感覚に陥った。期待が違ったのか、それはよくわからないけれど、葉澄が思い描いていた王様像とは少し違うようだった。
『すまなかった』
大きな寝台に腰を下ろすと鸚染は礼を言ってくれる。
厚かましいとか思わないでちゃんと対等に接してくれるところが、彼のいいところだろうなと、葉澄はふと思った。
『いえ、全然。……あの、今夜はゆっくりと休んでください。私は邪魔をしないようにもう帰りますから』
『それはどうだろう』
『……え?』
葉澄は首を傾げる。
『夜中は閉めるとこの部屋は開かないようになっている。鍵が必要だが、それも持って行かれただろう』
鸚染はやはり疲れているらしく、そのままバタンと後ろへ倒れ、横になる。
『えっ!?そうなんですか?』
葉澄は思いもよらない話に、それしか言葉が出なかった。
目が合っても、王様の考えている奥深くまではわからないけれど、触れる手はとても優しくて、上品な口調に葉澄はいつも振り向かされてばかりだ。
『一通りのものはあるから困りはしないが……ああ、かろうじて窓は開くな』
『あの、ごめんなさい。私、知らずに』
そう言って鸚染はやはり疲れている風に目許を片腕で覆った。
『そなたは椿燐街の者ではないと、風の噂で聞いたが。なぜこれを引き受けた?』
いきなり変化した内容に葉澄は度肝を抜かしたけれど、しっかりと仕事は全うする。
『私は椿燐街に出入りしているだけで正式な芸妓でもないのですが、お話を頂いて。嬉しかったです、誰かに届いていたんだって思ったので。椿燐街ではたくさんの方々が立ち止まって聴いてくださって、拍手をしてくれて……。もっと芸を磨こうとか意欲が湧いて、幸せな気持ちになります。この幸せがたくさんの方に届いているといいです……』
芭流だったらきっと、肘をついて横向きで話しかけてきそうだけれど、王様はちゃんと起き上がる。芭流以外に男の人の私生活を知らない葉澄にとってはとても新鮮な事だった。
(やっぱり王様だもの。だらしなくはないわよね……)
気軽にそう思うけれど、ふとした瞬間に目の前の彼は、国で一番偉い人だと知る。
本当は今にも落ちそうで危ない綱渡りをしているような、はらはらする緊張感だらけの関係なのに。実際に話をしているこの状況を知ってしまうと現実がわからなくなる……。
『椿燐街の芸妓になりたいのか?』
『はい。母も芸妓だったので追いかけているだけなのですが、いつかは仕事を通して、誰かと心が通じ合えたらと思うんです……』
そこで葉澄はウトウトとし、眠ってしまった。王は倒れそうになる葉澄の体を支え、寝台の中央まで運ぶと布団を掛けてやる。可愛らしい少女の寝顔はいつまでも見ていたいと思わせるほどに幸福感のあるものだった。
『……わからなくなるな。そなたがいると』
そう呟くと鸚染は帳を閉めて部屋を出て行く。隣の部屋からは甘い香りが漂い、もしかすれば、この良い香りを好奇心旺盛な彼女は必要以上に嗅いだのかもしれない。
『苺羅……。睡眠香か……』
自分のことを思ってか、はたまたそれ以外なのかわからないけれど。甘い香りの根源に辿り着き、鸚染はそれを勢いよく吹き消した。
゜***。***゜***。***゜
(たぶん私、いつの間にか眠っちゃったんだ……)
「どうした……?」
葉澄は潜っていた布団の中で、パッと目を開けた。恐る恐る目だけ外に出るようにして、頭までかぶっていた布団をおろすと、大胆に肌を露出させた王がすぐ隣で葉澄を見ている。
「何を騒いでいる?」
「何って……」
王様は別に怒ってるようではなかったので葉澄は安心したけれど、彼は不思議だといった風に眉を寄せて首を捻る。
「あの……どうして私、下着しか着てないんですか……?」
「男女がいれば普通の事だろう?それに子が出来るようなことはしていない」
暗に濁して訊いたのに、はっきりとものを言われた葉澄は顔を真っ赤にして、後ずさりをする。葉澄にとっての『普通』とは大層かけ離れていて、平常ではいられなかった。
――まさかこの国の若き王がこんな難のある人物だとは思わなかったから。
「……いえ、あの……どうして、ですか?」
「私は抱き枕がないとよく眠れない。なにしろ、女人は抱き心地がいい。そなたの肌に触れたら良い肌触りだったから、衣服が邪魔になった」
葉澄は俯いて、露わになった肩を隠す。
「だが、そなたと親密にはならない」
その言葉を聞いて、葉澄は違和感を覚えた。風が吹き抜けたように、心が冷たくなった気がしたから。
「私は……陛下と仲良くなりたいです。男女の事はわからないけれど、陛下の事もっとよく知りたいです……私は」
「……純粋に言っているのだからそなたは見過ごせないな。心地が良いのはその所為か」
葉澄は優しい微笑みを見せる彼に見惚れ、頭の中が真っ白になった。王様は何と言えばいいのか当てはまる言葉が見つからないけれど、何かを達観していて、とても大人に見える。
「……あ、えっと……陛下はその、ちゃんと眠れましたか?ご気分は……」
昨日よりも顔色は良かったからちゃんと眠ってくれたのだとわかったけれど、面と向かってのドキドキとした空気に無視をするために葉澄はそう訊いた。
普通なら大声を出して渦中の混乱のさまを体現したいのに自制心の方が先に来て、どうもあやふやな心地だ。
寝台から降りた王様はすぐに朝の準備に取り掛かり、近くにある引き出しから綺麗な腕輪や髪飾りを身に付けていき、高価な着物に身を包む。
「ああ、上々だ。ところで、そなたは経験がないのか?」
「??」
着替えを見ないように後ろを向いて髪を手櫛で整えていた葉澄は呼びかけられると、咄嗟的に王を覗き見る。葉澄は訳がわからずに首を傾げ、つぶらな瞳で鸚染を見つめた。
「ないのだろうな。……汚れていない」
即座に王はそう口にした。
「あの?」
「いや。今ならもう扉も開いているだろう。余が後宮への近道を案内する」
「わかりました……わたしだけじゃ、迷ってしまって。大変そうですから」
葉澄は言いながら、苦笑いをした。王冠をつけ、すべての支度が整った彼の姿は偉大で近寄りがたい――本当の王の姿だと、葉澄はそう感じたのだ。
きらきらとした朝陽を浴びた廊下は、まるで帳の揺らめく回廊を歩いているようで、自分自身がその中を進んで行くと優しい光に包み込まれるみたいに神秘的な景色だった。隣を優雅に歩く人物の長い髪は、それを反射させるように煌めきを見せる。葉澄は自分の薄手の着物の上に、男物の上着を貸してもらったので、少し大きなそれを羽織って、王とともに後宮を目指した。
「そなたはどこから入ってきた?」
「えっと……彩華宮から走ってきたので、一階の扉です。高いところに窓はあったのですが、外への扉がなかったんです」
葉澄は昨夜のことを思い出しながら、言葉を綴った。呆れるほどに出口が無くて、本当に参ってしまったと、ため息が出そうになる。
「そうか……。そちらの通路は入り組んでいて厄介だな」
「そうなんですか。どうりで迷うわけです……。こんなに広い通路じゃなかったですから。それに陽が出ているのと、無いのとでは、全然印象が違いますね」
「印象が違うと言えばその姿、何だか様になっているな。今、巷では男物の衣服を年若の女人たちは自ら買って着ていると聞いたが。それはこういう事なのか?」
葉澄は少しの間答えられなかった。実際に彼の言っている事は当たっていて、街の女の子はよく彼氏の服を借りてゆるく着こなすのがなんだか流行っている。葉澄には出来ない荒技だけれど、流行を知っている王様にも感心してしまう。
――いったい、どこでそんな情報を仕入れるのだろう?王様の愛読書は、実は女性向け雑誌なのだろうか。
「えっと、私なんか街の女の子たちとはちょっと違うと思いますけど……。陛下は、巷に興味が?お詳しいですね」
王は腕組みをして、少し考える仕草を見せる。
「まあ、城下の出来事や流行は目まぐるしく変わるからな。雑学は……記憶してしまっていると言ったらいいだろうか」
言葉を濁す王に葉澄は首を傾げたけれど、見えてきた豪勢な扉に気付くと葉澄は緊張が解れて笑みをこぼした。
そして背の高い王を仰ぎ見る。
「ありがとうございました。あのもしかしてここって、渡り廊下への扉でしょうか?」
「ああ、そうだ。私も用がある時はこの道を使うことが多いが――」
言葉を途中で切ると、王は何かを察したように真剣な目つきになり、辺りを見回してから微笑みを返してくれた。
「すまぬな。では、また」
(――えっ?)
不意に背にあった扉が開き、葉澄の体はそれと同様に――押された大きな扉とともに後宮側へと誘われる。
本当に一瞬の出来事だった。バタンとした材木の鈍い音だけが回廊に静かに響き渡った。
「――陛下。おはようございます。早朝からのお務めご苦労様です」
見廻りの武官たちが通路から現れると、彼らは即座に頭を下げる。
「見廻りご苦労。何か変わったことはあるか?」
二人の武官は目を見合わせ考える素振りを見せたけれど、何かを思い出すように口を開いた。
「先ほど、猫の鳴き声のような声が聴こえたので探してみたのですが、見つからず――」
「思い当たることと言いますと、女官の飼う猫が迷い込んでしまったのではないかと思いますが。見つけ次第、保護いたします」
鸚染は今まで一緒にいた少女を思い、笑みをこぼした。
「猫か。では、余も注意してみるとしよう……」




