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王宮の冒険

 (どうしたんだろう?)

 葉澄は一人、首を傾げた。

 最近は遅い時間だったけれど、王様のほうが先に来ていたのに……来ない。

「何か、あったのかな……。どうしよう」

 ――茶燗ちゃんに訊きに行ってもいいけれど、その間に入れ違いになりかねないし……。いっその事、王宮までの道を行けば――。

 そう思いつくと、葉澄は二胡を置いて駆けていった。


  ゜***。***゜***。***゜


「……はあ」

 (目眩がする……)

 鸚染は額を押さえながら、壁を伝い広間へ戻った。

 すると甘い香りが鼻に届く――。

 こんなに勝手な行いをする人物は、鸚染はひとりしか知らなかった。自分が寛ぐために、気に入りの蝋燭(ろうそく)を灯したのだ。

「やあ。とても長湯だったね。今夜も二胡姫に会うからかな?」

 長椅子で寛いでいたらしい男は姿も確認せずに、感情もそこそこに口を動かす。

 まるで他人と交わされる天気の挨拶のようだ。

「……苺羅。そなたが余の所に来るなんて、雪でも降るのだろうか……」

 一拍置いて、苺羅は嬉しそうに微笑んだ。

「ふふ。私だって仕事をしようと思う日だってあるんだよ?それにしても、本当に調子がよくないみたいだね。――眠れないの?仕事の所為で」

 怠そうに目を向けて、苺羅は口遊(くちずさ)む。けれど、状況を(たの)しむような眼差しだと鸚染は察した。

「苺羅。話をする時間がない。手短に頼む……噂の内容は知っているだろう?」

 苺羅は美しい飾りのついた簪を取り出して、うっとりと眺めながら愛おしそうに口付ける。

 その様子はまるで陽気な彼だけは『現状(ここ)とは違う場所』にいるかのように。

「『官吏が消えてしまう』っていう、アレ?面白い話だよね。――『怪奇現象』だって、皆は怪談話にしているみたいだけど、ホントばかばかしくて。まさかと思うけど、君も信じているの?」

「いや……」

 シャラン、と簪が良い音色を奏でた。それは、美しい一輪の花に蝶が留まっているといった珍しいものだ。苺羅が慣れたようにそれで髪を束ねるのが分かる。それはまるで彼のものであるように馴染んでゆくのだ。

 そして苺羅は肩を落とし気味に、素っ気なく呟いた。

「あの朱鬼(あかおに)が動いているって聞いたけど?この【鳥籠】以外には、おかしな事件はないみたいだし。……君的にはどうにかしないとだよね」

「ああ。今宵も休息(やすみ)はなしだ」

 鸚染は額を押さえた。

 ――もしかしたら、長く湯に浸かりすぎたのか。フラフラして、ろくに頭が動かなかった。

 (それに苺羅は『何』を話しに来た……?)

「ふ~ん、そうか。でもまだかな……。あ、そうだ。二胡姫は元気?近頃、椿燐街は寂しくてね。また聴きたいよ、彼女の二胡が」

「彼女は二月(ふたつき)でそちらに帰るはずだ。すぐに聴ける」

「そうだね……それならいいけど」

「……?苺羅、先程の『まだ』というのはどういった意味だ?」

 目が霞んで、苺羅の様子がよくわからなかった。

「後宮にはたくさんの美しい花がいるけれど、〝ホンモノ〟は輝いて、やっぱり騙せないものだよね」

 (……何の話だ?)

 訳がわからずに鸚染が頭を上げ、離れた苺羅を見ると彼は立ち上がり背を向ける。つまらなくなった遊びを終わりにするように、あっさりと。

「……何が言いたい?苺羅」

 苺羅は立ち止まって顔を傾けたけれど結われた髪が邪魔をして、表情を窺うことは出来なかった。

「……犯人は、〝後宮にいる〟なんて思ってる?言われたんでしょ?『後宮に行け』って、あの朱鬼に」

「……ああ、そうだが」

「まさかあの卑屈な鬼が、簡単な答えを用意しているとでも思う?まあ、そのことに関しては私も同じだけど。それと――」

 簪がまた優しい音を残す……。

 あの美しい簪は『彼の夢見鳥』のものだと、鸚染は知っていた。

 苺羅は優雅に振り向き、目を細めて笑った。これは『妖艶』と言えるのだろうか?この余裕で、酷く怜悧な微笑みが。

「釉梨?〝ニセモノの花〟には気を付けたほうがいい。綺麗だからと言って、騙されてはいけないよ?……似てはいるけれど、決して本物ではないんだから」 

「……なに、を?」

 声が遠くに聴こえて、何を言っているのか理解が出来ない……。

「『狂おしいほどに美しく、恐ろしい花』の事だよ?」

 鸚染は眉根を寄せるが、苺羅はお構いなしに去って行った。彼の『話し』というのは告げるだけでもう終わりだから。


 取り残された鸚染は、久々に聞いた『自分の名』と、訳のわからない彼の《暗号》とを反芻して壁に寄りかかり、目を瞑る。

 鸚染は甘い香りが濃くなったと思ったところで、意識を無くした。


  ゜***。***゜***。***゜


 (……まずいことになっちゃった。どうしよう……)


 王宮までの道のりを歩んでいた葉澄は、暗い夜道を進んでいた。

 王宮までの通路は少しばかりの灯りがついていたので、手燭を持っていない葉澄は迷わずに済んだけれど、勝手に王宮へ行くことは禁じられているし――王様の姿が見えない。月が出ていたので遠くまでしっかり見えたけれど、やっぱり人っ子一人見えなかった。

「どうしよう。帰らないとだよね……」

 すると、はっと葉澄は固まった。

 どこからか男の人の声がしたからだ。

 咄嗟に葉澄は目に入った扉を開けて中に入ってしまった。そして息をひそめて座り込んでいると、二人ほどの声は扉の外を通り過ぎていった。

「まずいわ……。見つかったら、確実に捕まる……」

 (まさか王宮のほうは、普通に警衛がいるの?)

 ――後宮はがらんどうだったのに……。

 不満を覚えつつも、葉澄は広い回廊をしゃがんだ体勢で他の出口はないか探す。だって、まだその辺に警備の人がいるかもしれない。

 (どうする?出口、見当たらない……)

 後宮とは違った長い廊下では外へ開く扉は無く、窓といえば、あんなに高い所にある。

 ――あれじゃ、届かない……。

 焦りながらも先へ進むと大きな階段が見えるだけで、後は左右に同じように道がのびる。

「どっちに行こう……」

 するとまた歩く靴音が耳に入り、葉澄はびくっとする。全くこれでは鬼ごっこの最中のような気分だ。

 近づく足音に、葉澄は階段を駆け上がって様子を窺った。しかし、足音は立ち止まったかと思うと確実に階段を登ってくる。

 (――なんで、こっちに来るのよっ!!)

 不意を突かれた葉澄は転びそうになるのを堪えて服の裾を持つと、音を立てないように精いっぱい走った。

 大理石らしい床は歩きづらくて滑りそうで、ひやひやと余計に焦る。

 はたまた壁を背にして様子を見ながら伝い、その身をひそめる姿は昔やったごっこ遊び(・・・・・)の集大成だと葉澄は苦笑するのだ。

 手探りで先に進むと壁に隙間があるのを発見した。どうやら中に潜り込めそうだと確信した葉澄は体力と精神を温存するために、中を覗くと即決で扉を開けて身を潜めた。

 大きな扉はいくつかあるけれど、頑として開かなかった厳重さの割には不用心な場所もあるらしい。遊びでしか体験したことのない三流侵入者でもすんなり身を隠せてしまった。こうに痺れが走るような緊張感のあるものではないけれど、幼い時を思い出す瞬間が訪れるなんて思ってもみなかった葉澄は、それだけ自由な時間に浸っているのだろうと心の中で思った。

 足音を響かせないように恐る恐る中に入ると、帳で閉め切られていたせいで分からなかった灯りが優しく迎えてくれた。見渡すと部屋はとても広く、続きの部屋もついている。

 それに、甘い、いい匂いもしていた。

 焦って来たせいで見落としていたけれど、品のいい調度が至る所に置かれていた。王の住まう宮は、雅やかで鮮麗だった。

「……ん」

 (…………?)

 ――いま、何か聞こえなかった?

 葉澄は進んだ先でその目を疑った。

「だ、大丈夫ですかっ!!」

 葉澄は発見した王に駆け寄る。まさかこんなところで倒れていたなんて、道理でいくら待っても来ないはずだ。

「陛下。しっかりしてください……陛下」

 葉澄は王様に触れるのはどうかと思い、肩を叩こうとしたけれど思い留まって、耳の近くで呼びかける。

「……ん」

「あ、陛下!よかった」

 意識はちゃんとあるとわかって、葉澄は顔を和らげる。

 鸚染は頭を抱えながら床に手をつき、ゆっくりと起き上がった。

「陛下、心配しました。無事でよかったです」

 鸚染は辺りを見回すと、最後に安心しているほっと肩を落とす少女の顔に行き着く。

 そして、彼は首をひねった。

「なぜ?ここは余の私室ではないか?」

「あの……それには深いワケが」

 王はすごく疲れた顔をしていて、とても怠そうだ。

 もしかして、体調が悪かったのだろうか。心配だ……。

「……陛下。寝台までお連れします。……とても、辛そう」

 壁に寄りかかった鸚染は目を開いて、少しばかり笑む。葉澄が、何だろうと首を傾げると――。

「そなた、私を誘っているのか?」

 低い声で囁かれた葉澄はウサギのようにピクっと反応して後ずさりすると、切れ間もなく言葉を連ねる。

「えっ?ち、違います!ちがいますよ!!ムリですからっ!!」

 別に面白がっているわけではないだろうけど、これは遊ばれているというのかもしれない……。でも、いつも暗がりでしか会えない人にこうやって――近くで顔が見られて、葉澄はそっちのほうが嬉しかったから、別に気にしない。

 ――笑ったら、きっと素敵だろうと思っていたのは正解だったから、後のことはいい。

「余が相手では不足か?」

「からかわないで下さい!私は芸妓ですし、それに……」

 きれいな琥珀色の瞳と目が合って、葉澄は咄嗟に目を逸らした。

「想い合うからこそ……『恋愛』というのはステキなんです……」

「……想い合うからステキ、か。私はその感情は知らないな……。そなたは、知っているのか?」

 俯いた葉澄はゆっくりと顔を上げる。恋愛の最初の字もままならない自分が言える立場ではないとわかってはいるけれど、女の子の一生の理想はきっとそうだから――。でも訊ねられた言葉はそんな一般論を知りたがるような声ではなくて、紛れもなく自分に向けられたものだった。

 (これ……あの時と同じ)

 彼の長い指が髪を梳き、こめかみに触れて落ちてゆく……。

 葉澄は琥珀のように透き通る彼の瞳を、瞬きもせずに見つめ返すことしかできない。

 普段は髪を結っているはずなのに、どうして今夜は結い上げなかったんだろうと葉澄は自分に問いかけ、気を紛らわせるために口を開く。

「例え話です。真に受けないでください」

「だが……美しいと思う」

 誰からも好まれそうなその優しい声に対して葉澄は対応に困り、頬が染まるのを無視して不器用に手を差し伸べた。

「……わたし。肩、貸しますね」

 この時はっきりわかった。彼は、『心を持たない王様』なわけではないってことを。

 ――そう、きっと。『心を置き去り』にしてしまっているだけ。


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