各々の午後のひと時
後宮へ来て、もうひと月になる――。
葉澄は、自分の住処を見つけた小動物のように、穏やかな日々を送っていた。
時々、王様に呼ばれては仕事を全うして、そして少しだけれど幾分か会話もするようになった。素っ気ない方ではあるけれど、心優しい人だという事はこのひと月の間で分かったことだ。
そして葉澄に与えられた自室は筆頭女官・茶燗の隣の小部屋だった。――でも、ここはお城。小部屋と言っても、一部屋あれば生活できる十分な大きさだった。室内は個々で内装も異なって、自分仕様にするらしいけれど。茶燗ちゃん曰く――『葉澄ちゃんを想像して揃えてみたのよ☆』なこの室内はフリルのついた暖簾やレースの施された寝具類に敷物。天井から垂れ下がるのは花の形をした宝石のようなキラキラした装飾品だった。絨毯は小動物の毛並みのように心地よい肌触りだ。枕にしても、薔薇やハートの形をしていて可愛くて、しかも柔らかくてホワホワしている。
女の子は、やっぱりカワイイものや柔らかい肌触りのものには根負けする。自分の部屋も凝って色んなものを揃えはしているけれど、茶燗は趣味がとてもよく、私室よりもここは一段と大人っぽいものだった。
そして円形の大きな机の上に大幅に勉強道具を広げ、夜を待つのはいつもの日課だ。
「葉澄ちゃん?お勉強は進んでる?」
扉から顔を覗かす茶燗を見て、葉澄は鉛筆を置いた。
「うん。今ね、区切りがついたところ」
「そう。お勉強もあるのにここに来ちゃって大丈夫だったかしら……」
茶燗は紅茶を持ってきてくれたらしく、とてもいい匂いがする。葉澄はその場から移動して、お茶を一緒に飲むことにした。
座っていた椅子から立ち上がり、歩き出すと足がふらついて、ぐでんと葉澄は椅子にもたれる形になった。同じ姿勢で長い間いると疲れるって知っているのに、集中すると忘れてしまうから困る。
「大丈夫、葉澄ちゃん?少しは休まないとね」
優しく微笑んでくれる茶燗は本当に大好きだ。筆頭女官という偉い立場なのに、昔と何も変わらない。
「あっ!これレモンが入ってる?疲れた時は、やっぱり酸っぱいものに限るよね」
葉澄は綺麗な絵の描かれたカップを両手で持ち満悦した。茶燗は向かいに座り、焼き菓子を差し出してくれ、勧めてくれる。
「ええ、そうね。ところで葉澄ちゃんは今、何を調べていたの?」
茶燗は、山積みになった辞書や歴史書を指差して言う。
「ああ、ごめんなさい。後宮って本がいっぱいあるから借りちゃったんだけど。今、『鳳桜姫』を読んでいて、難しい言葉とかいろいろ調べようかなと思って」
《鳳桜姫》というのはお伽噺の中でも有名なもので、幻の鳥と桜家の姫との、切なくて心温まるお話のもので葉澄は最も好きなお伽噺だった。小さい頃はお伽噺としてしか読んだことは無かったけれど、小説版を知ってからはもっと好きになった。でも今は易しく直したものではないのを読んでいるから理解に苦しんでいる。
「私、古典も学んでいるから。出席が出来ないからどうしようかと思ってたんだけど、感想分を提出しようと思ったの。何か出来ることしないとね」
「偉いのね~。本なら他の小説もたくさんあるから書庫を利用するといいわ。珍しいのもあると思うし」
葉澄は目をパチクリした。国の歴史や文化には興味があるし、本はロマンチックなものが多くて多彩な国の豊かな文化を思い知る。しかも、ここはあの伝説の鳥の棲むという王城――。まだその伝説の鳥は見つけられていないけれど……。もしかしたら秘伝の書とか、伝説にかかわるすごいものがどこかに眠っているかもしれない。
「ありがとー!茶燗ちゃん。大いに使わせていただくわ!」
胸に秘めた企みを思い出し、葉澄はニコニコ顔で焼き菓子をいただいて頬張った。
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「おい。何でついてくるんだ?お前が警護する相手は、別にいるだろう」
なぜか知らないけれど、友人は自分が傍にいるとよく怒る。まあ、恥ずかしがり屋の彼だからと決めつけることにしたけれど。
「雅茜。でも蝶々ちゃんが君の従兄妹だったなんてビックリしたよ。道理でいいコだと思った。なんか親近感を感じるよ~。そうなると今度会ったら、自己紹介をしないとね~☆」
雅茜は溜息をついただけで話しを聞いてくれる。こうに嫌々ながらでも付き合ってくれる心優しい性格と知っているから、この歪な交友関係はとても面白い。
「……わかった。全面的に今の興味はそれしか無いんだな。そもそも王の所へ来るなんて思わなかった。……多分、何も考えずに引き受けただけだろうとは思う」
「そうだね。ここへ来させるって事には何かほかの理由があるんじゃないかって考えちゃうよね~」
「他って何だ?」
「ほら、主上もお年頃だし、恋愛をしてもいいでしょう?そういった意図もあるんじゃないかな~って。あとは……わからないけれど」
雅茜は立ち止まって振り返る。鶯蕾はその態度に微笑んだ。自分とタイプの違う彼が興味を示すのは、いつだって真剣な時だけだったから。
「……鶯蕾。王に護衛は必要だ」
「でもね。何かあるかもしれないのはみんな平等だよ?話によると、ある日突然に官吏はいなくなってしまうらしいし。君にいなくなられたら紫杏殿は困っちゃうよ?だから単独行動は危ないでしょ?」
「だから、それは俺じゃなくて――」
雅茜はそこで口を止めた。広い回廊を色の美しい小鳥が何故か、勢いよく通り過ぎたからだ。灯りに照らされると流れ星のようにも思える。
前方を見遣れば、誰かの肩にその美しい小鳥が留まるのが確認できた。雅茜が振り向き、人物を認識すると礼をとる。
ゆったりと優雅な振舞いで近付くのは夕焼け色の髪をした――。
「苺羅様。お久し振りです。王でしたら、今しがた自室へお戻りになられましたが」
雅茜がすかさず口を開くと苺羅は肩に乗る小鳥を撫でながら目を向けた。
「今はもう『こんばんは』の時間かな?よくわからなくて。見ると君たちはもう帰るところなの?王様に話があるんだよね」
「はい。お手数ですが、王宮に行って頂ければ居られるかと。王は疲れているようでしたので、早々に仕事を切り上げましたから」
「ふ~ん、そう……。それって原因は、ここ最近話題の〝噂〟の所為かな、かわいそうに。じゃあ、長居はやめるね」
傍で会話を聞いていた鶯蕾は目を細めたけれど、ひらりと手を振って去って行った苺羅にお辞儀をしていた雅茜は気づくことも無かった。
鶯蕾は大きく伸びをして、苺羅の行く方を見る。
「雅茜。苺羅様が朝廷にいるなんて珍しくない?服装はいつものままだけどね」
「お前がそれを言うのか……。でも、少し嫌な予感はするな」
寒気のする涼しい風が、窓から流れ込む。
「……王様は苦戦しているのかな。どうだろうね?」
ついて回る小鳥に苺羅は話しかけているように聞こえるけれど、彼の言葉はいつだって独り言だった。――正確には、ただ相手が話しを聞くかどうかというだけのことで。
「早くしないと被害者が増えちゃうから。少し、手伝ってあげようかな……」
可愛らしい小鳥は一度、苺羅の指に留まったけれど。話しの終わりとともに美しい夕闇の中へと消えていった。




