8話 鳴らない鼓動
いつの間に意識を失っていたのだろう。
次に目覚めたのはベッドの上だった。
真っ白なシーツに包まれ、気持ち悪さも、身体の痛みも消えている。
身体を起こしてみると、見覚えのある部屋が視界に広がった。
ここは、アメリアさんの屋敷だ。
「……レイズさん」
不意に、声をかけられる。
そこには、窓を開けて換気している最中のユリちゃんが立っていた。
「ユリ……ちゃん? 何で?」
何故俺がこのベッドに寝ているのか、何故身体が何ともないのか、何も分からない。
ただ、俺の目に映るユリちゃんは、心配そうに眉をひそめ、俺を見ていた。
「……えっと、アメリア呼んでくる」
ユリちゃんは、パタパタと音を立てて、部屋を出て行ってしまう。
未だに混乱していて、状況が上手く飲み込めない。
ふと、左腕を見る。
俺の左腕は何事もなかったかのように綺麗だった。
自分で、自分の身体が怖くなる。
少しして、アメリアさんが部屋へと現れた。
逆に、ユリちゃんの姿はない。
「アメリアさん……」
アメリアさんは俺の傍らに座り、申し訳なさそうに俯く。
「レイズさん。まずは、謝らせて下さい。本当にすみませんでした」
「あっ、え?」
アメリアさんは俺に向かって頭を下げ、しばらく静止した。
何を謝られているのかわけが分からない。
そもそも謝るとしたら、アメリアさんではなく俺のほうではないだろうか。
「あの、アメリアさん、顔を上げて下さい」
アメリアさんはゆっくりと顔を上げた。
目を潤ませ、涙を溜めているのが分かる。
「アメリアさん……泣いてるんですか?」
「あっ、す、すみません。お見苦しいところを……」
アメリアさんは、数秒後ろを向き涙を拭くような仕草をした。
そして、軽く鼻をすすりながらこちらを向き、俺と目が合う。
目の周りには少し光が反射しており、まだ少し濡れているのが分かる。
「まず、レイズさんの気持ちを聞いていながら、何も対応できていなかったこと、本当にすみませんでした。不安や、焦り、色々な感情があったと思います。私は自分の都合をレイズさんに押しつけてしまっていました」
「ま、待って下さい。いったい何の話ですか? むしろ謝るのは、俺のほうで……」
「いいえ。悪いのは私です」
アメリアさんは、俺の言葉を遮り、きっぱりと言った。
「まずは、一番大事な話をさせて下さい。レイズさんの身体の話です」
「俺の身体の話……?」
流石に意識がはっきりとしてきて、記憶が鮮明に蘇る。
急激に感じた身体の異常。
そして、俺の左腕を包んだ薄紫の光。
俺の身体に何かが起こっていることは間違いない。
アメリアさんは俺の手を両手でしっかりと握り、一度深呼吸をした。
「どうか、あなたの心がそのままでありますように」
「え?」
「レイズさん。あなたはディバロの街で命を落としました。その魂は、正真正銘あなたのものですが、その身体は、私が魔法で造ったものです」
「……は?」
何を言われているのか、まったく分からなかった。
魂が、身体がどうたらと言われても、到底理解できるような内容ではない。
『命を落とした』ということは、俺は死んでいるということなのだろうか。
にわかには信じられない。
事実、俺は今、アメリアさんの温もりを感じながら、アメリアさんと話をしているのだ。
戸惑う俺を、アメリアさんは真っすぐに見つめ、俺の返答を待っているようだった。
「えっと、よく分からないのですが」
「……はい。そうですよね。そうだと思います。私のことを信じられなくても、私の頭がおかしいと思ってくれても良いです。ただ、一つだけ、一つだけ、私のお願いを聞いてくれませんか?」
アメリアさんの手に、力が籠る。
少しだけ、アメリアさんの手のひらが、湿度を帯びるのを感じた。
「お願い……ですか?」
「はい。お願いです」
アメリアさんは、俺の手を自分の身体の前まで持っていき、祈るような姿勢で俺を見た。
「どうか、どうか、私の前からいなくならないで下さい。レイズさんの身体は、魔力の調整が必要な状態なんです。ちゃんと処置をしないと、とても辛い思いをすることになります」
「……身体が動かなくなったりとか?」
アメリアさんはまた目を伏せる。
「はい……最終的には、消えてなくなってしまいます」
「……それは、これからずっとですか?」
「……もっとレイズさんの魂が今の身体に慣れてくれば、調整をしなくてもいい期間は延びますが、いずれにしても処置は必要になります」
つまり、俺はアメリアさんがいないと存在すらできないということだろうか。
急にそんなことを言われても、あまり実感が湧いてこない。
ただ、言われてみれば、俺がここにいる間、アメリアさんは毎日俺の身体に触れていた。
それが、俺の身体の調整だったのだとしたら、確かに説明がつく。
ふと、自分の胸に手を当ててみる。
少し待つが、心臓の鼓動は感じない。
「俺の心臓って……?」
「レイズさんの身体は、心臓による血液の循環で動いているわけではありません。それに代わる物として、“魔力核”という物が頭部にあります。それが、レイズさんの身体に魔力を循環させて、身体を動かしているんです」
「……ハッ、ハハ」
最早、笑うしかなかった。
アメリアさんの言葉を、全て落とし込めたわけじゃない。
相変わらず言われていることはよく分からなかったが、ただ、心臓の鼓動を感じないという事実が、自分の“死”というものを感じさせてくる。
(それじゃあ今の俺って、何なんだ? 心臓で動いてない? 魔力核? わけ分かんねぇよ。そんなの、人間じゃねぇじゃねぇか……!!)
不安や悲しみ、混乱と焦燥、様々な感情が込み上げてきて、どうしようもなく苛立つ。
湧き上がってくるのは、暴力的な衝動だった。
とにかく物にでも何でも当たりたい。
この強烈なストレスを発散する捌け口が欲しい。
知らず知らずのうちに、俺は頭を抱えていたようだ。
そして、アメリアさんの手が、俺の頭に触れる。
「“エクス・チェンジ”」
薄紫の光が灯り、俺の爆発寸前だった衝動が、急激に冷めていく。
数秒で、何か俺の感情までもが取り除かれる感覚がして、気分も呼吸も落ち着いていった。
「本当は、こんなことしたくはないのですが……すみません」
アメリアさんは、俺を優しく抱きしめる。
花のようないい香りが、柔らかな感触が、心地よい体温が、俺の身体を包んでいく。
「ちょっ、えっ!?」
そして、俺の耳元で囁くように言った。
「私は、あなたの心に寄り添っていきたい。あなたがあなたでいられるように、尽くしましょう。だから、どうかここにいて下さい」
アメリアさんは、しばらく俺を抱きしめ続けた。
強張っていた身体が、次第に弛緩していくのが分かる。
そして、いつしかアメリアさんのことが愛おしくさえ思えてきてしまう。
そして、自分でもよく分からないうちに、俺はアメリアさんの腰に腕を回した。
「んっ……」
アメリアさんの艶やかな声が聞こえて、我に返る。
「す、すみません!」
少し力を込めて、アメリアさんの身体を引き剥がすと、俺の前に現れたアメリアさんの顔は、優しく微笑んでいた。
「すぐに答えを出して欲しいとは言いません。私の願い、考えておいてくれませんか?」
「……分かりました」
「ありがとう。それで、十分です。それでは、食事にしましょうか? それとも……」
「い、いえ、少し、一人にして貰っても良いですか?」
確かに腹は減っているのだが、それよりも、俺の身体の話や、少し違和感のある俺の感情の変化について、整理したかった。
「そうですか。それなら、こちらで食事をとられると良いでしょう。準備しますから、少し待っていて下さいね」
アメリアさんは俺に背中を向け、部屋の扉へと向かって行く。
「アメリアさん」
呼び止めると、アメリアさんは動きを止め、こちらを振り返る。
表情は変わらず、にこやかなままだ。
「はい?」
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「勿論。何でも聞いて下さい」
「アメリアさんと俺は、見ず知らずの他人だったわけですよね? どうして、俺にこんなことを?」
「……それは、レイズさんの魂がとても良い色をしていたから。そして私には、あなたの命をこの世に引き留めた責任があります」
聞いても、何を言っているのかよく分からなかった。
「色……? 責任……ですか?」
「はい。私の研究している魔法を、私は“蘇生魔法”と呼んでいます。それは命を扱う、言わば禁忌の魔法だという自覚もあります。だからこそ、一つ一つの命に私は寄り添いたい。そうでなければ、私は私でなくなってしまうのではないかと思うんです」
「……」
「自分の理由ばかりですみません。勿論、レイズさんが死を望むのであれば尊重します……それは、少し悲しいですけど……」
アメリアさんは悲しそうに、目を伏せる。
言っていることはよく分からなかったが、恐らく、悪意を持って俺にこんなことをしているわけではないのだとは思う。
「それではまた。ゆっくりしていて下さいね」
扉が閉まり、部屋の中は俺だけの空間になった。




