7話 異常
おかしい。
何かがおかしい。
この屋敷にきてから二週間が経つが、俺の身体やディバロでの経緯について、アメリアさんから説明されることは一向になかった。
家事の合間にユリちゃんにも聞いてみたが、ユリちゃんはまだ俺に慣れておらず、狼狽えて口ごもってしまう。
ただ日々だけが漫然と過ぎて行き、魔族との戦争に関する情報が入ってくることもない。
それに、アメリアさんには、『いつ容体が急変してもおかしくない』なんて言われてはいるが、そんな予兆などまるでないのだ。
むしろ身体は健康で、部屋で筋トレなどをしても何の問題もなかった。
大陸中が大変な状況に陥っていることなど、忘れてしまうかのような平凡な毎日に、俺の中では罪悪感と焦燥感が募っていく。
やはり、フレンやジークをはじめとする、仲間たちの安否が気がかりだ。
それに戦線が拡大しているのであれば、故郷や両親のことも気になる。
ディバロから逃れた人々の中で、俺のような生活を送っているような人はいないだろう。
俺は、本当にこんなことで良いのだろうか。
もっとするべきことが沢山あるのではないだろうか。
そんな自問自答を、毎日繰り返している。
アメリアさんとユリちゃんは確かに良い人たちではある。
アメリアさんは優しく気さくな人で、よく声をかけてくれた。
毎日欠かさず診察もしてくれるし、俺の話にも耳を傾けて励ましてくれる。
ユリちゃんも、やはりまだ慣れないが、一生懸命俺とコミュニケーションを取ろうとしてくれているのは伝わってくるし、真面目で純粋な娘であることは間違いない。
しかし、そうだとしても、俺の我慢もそろそろ限界に達していた。
夜、俺は屋敷を抜け出した。
俺の行動が不義理であることは分かっている。
ただそれでも、このまま快適な生活を享受し続けることなど、俺にはできなかった。
残念ながら、地図はない。
屋敷の中を捜索したが、それらしき物は見つけられなかった。
アメリアさんに直接聞きもしたが、『人里にはあまり行かないから分からない』と、はぐらかされてしまった。
唯一探し当てたコンパスを持ち、ひとまず北を目指す。
何故なら、コンパスが指し示す南は、屋敷に面した海だったからだ。
屋敷が大陸の南端であるのなら、街や村があるとしたら、必然的に北になる。
革袋三つ分の水と幾つかのパンを拝借し、武器は洗濯に使う物干し竿の先端に包丁を括り付け、槍に見立てた。
そして何もない荒野を、ただひたすらに進む。
やがて朝になり、また夜を迎える。
いくら進んでも景色は代り映えせず、通りすがりの人や魔族、鳥すらも見当たらなかった。
気が狂いそうになりながら三回目に迎えた朝、小高い丘の上で、遂に俺は街らしきものを発見した。
飛び上がって喜び、俺はその街へと足を走らせたが、近づくにつれ、異様な雰囲気に気づくことになる。
石や土などで作られた建物は、普通の街で見るような形のものではなかった。
そして、その周辺で感じる臭いは魔族特有のものであり、目に入る者たちも全員魔族だった。
つまり、俺が見つけたこの街は、魔族の街ということになるだろう。
今まで見たことのない規模の街だ。
俺一人でどうこうなるようなものではない。
失意に暮れながらきた道を戻り、街から離れる。
元いた丘の上にたどり着いた時、目眩がして、俺はその場に座り込んだ。
腹が空きすぎたからか、それとも水分不足か、ここにくるまで節約してきてはいたから、どちらもまだ残りはある。
しかし、それらを補給しても尚、気持ち悪さは収まらなかった。
身体は怠く、立つことすら億劫になる。
段々頭の中も纏まらなくなってきた時、俺の耳に微かに砂の擦れる音が聞こえてきた。
風によるものではない。
恐らく足音だ。
音のしたほうに目を向けると、遠目に魔族と思われる姿が見えた。
当然、周囲に隠れられるような場所はない。
重い身体を必死に持ち上げ、立ち上がる。
どうやら相手もこちらに気づいているようで、一直線に向かってきた。
見えてきたのはグレート・タイガーが三匹と、それを従えているであろうオーガが一匹だ。
グレート・タイガーの推奨討伐レイヤは3、オーガは4となる。
身体が動けば何とかなりそうだが、足元も覚束ない状態でやれるだろうか。
いや、やるしかない。
「おおおおおお!」
気合を入れ、槍を振る。
動きは鈍重で、グレート・タイガーのスピードにすら追いつけない。
何とか一匹目の喉元に槍を突き立てるが、その間に周囲を囲まれる。
槍を数度振っただけなのに、息は切れ、汗が噴き出す。
「フー……フー……」
「*****!? *****!」
オーガーが何かを言った。
魔族が、何か言葉のようなものを話すのを聞いたことはあるが、こんなにはっきりと聞いたのは初めてだ。
ただ、俺には何を言っているのか分からない。
「*****? *****!?」
「何言ってんのか、分かんねぇよ!!」
オーガに向かって槍を突き出すが、キレがない。
デカい棍棒で防がれる。
次の瞬間には、後ろから二匹のグレート・タイガーが襲いかかってきた。
バックステップを踏みながら、オーガと距離を取ると同時に反転し、槍を横振りする。
一匹目のグレート・タイガーを薙ぎ払うが、二振り目は空振り、文字通り空を切ってしまう。
「くそがぁ……」
俺の間合いの中に入ってきたグレート・タイガーは、勢いよく左腕に噛みついてきた。
「があぁ!」
激しい痛みとともに、骨が軋む感覚を覚える。
咄嗟にグレート・タイガーの勢いを利用し、背負い投げの要領でぶん投げた。
地面へと叩きつけられたグレート・タイガーはダメージを負うが、決定打には至らない。
痛む左腕を無理矢理持ち上げ、槍を構える。
気合で何とか立ってはいるものの、もうフラフラだった。
俺の身体に何か異常が起こっていることは、最早間違いない。
腕の傷を確認するため、少し目線を落とす。
俺の目に映ったのは、目を疑うような光景だった。
俺の左腕は、血にまみれるわけでも、変な方向に曲がるわけでもなく、ただ怪しく、薄紫に発光していた。
(何だこれ……?)
グレート・タイガーの唸り声が耳に入り、我に返る。
次の瞬間には、オーガが棍棒を振り上げ、襲いかかってきていた。
咄嗟に槍で受け止めようとするが、そもそも物干竿だった槍は無情にも粉砕される。
逆に間合いを詰め、拳でオーガの脇腹を捉えるが、力が入らず、手応えはない。
そのまま棍棒で殴り飛ばされ、俺は意識を失った。
酷い頭痛がして目が覚める。
しかし、身体には力が入らず、身体を起こすことさえできない。
やっとのことで目を開き辺りを見回すと、黒い鉄格子と床に敷かれた臭い藁が見えた。
どうやらここは、牢屋のようだ。
よくあの場で喰われず、生き残っているものだと思う。
普通だったら、グレート・タイガーとオーガの餌になってしかるべき状況だったはずだ。
朦朧とする意識の中で、アメリアさんとユリちゃんの顔が浮かんでくる。
これは、二人の厚意を踏みにじった罰なのかもしれない。
少しして、金属同士が擦れる嫌な音が鳴り、牢の扉が開いた。
現れたのは、体格のいいホブ・ゴブリンだ。
俺を運び出して調理でもするのか、それとも仲間の前に引きずりだして処刑になるのか、分からないがきっとろくなことにはならないだろう。
最早、抵抗することも言葉を発することさえもできなかった。
されるがままに担がれ、運ばれていく。
やがて、四方を石の壁に囲まれた狭い部屋へと入った。
そしてその中央には、見たこともない鉱石が、青い光を放ちながら宙に浮いている。
薄暗い部屋で、その光は神秘的で美しくすら見えた。
俺は宙に浮く鉱石など、聞いたこともない。
そして、ゴブリンがその鉱石に触れた時、鉱石の色がたちどころに赤く変わる。
鈍い光で、純粋な赤というよりは、赤黒く少し禍々しさを感じるような光だった。




