38話 フレン・マリーゴールド
恐らく、数十分くらいは歩いただろう。
酷い頭痛に襲われ、関節に重く響くような痛みが生じてくる。
喉は渇き、視界はぼやけ、最早フレンの支えがなくては立っていることすらままならない。
特段傷はないというのに、薄紫の光が、どこからか漏れ出しているように見える。
「フ……レン……」
喉が掠れ、しゃがれた声が出る。
喋ることさえ、辛い。
フレンは俺の声を聞いて立ち止まった。
「レイズ……」
「も……もう……ここまでだ……」
「レイズ!」
俺は膝から崩れ落ち、地面に突っ伏した。
ざらざらとした土の匂いと感触。
どうやらまだ感覚はあるようだ。
フレンの声も、まだ聞こえる。
しかし、どうにも身体が動かない。
指を動かすことすら億劫になってしまっている。
フレンは俺の上体を起こし、寄り添うように俺の身体を支えた。
「フ……レン……行って……くれ」
「……」
フレンはしばらく動かず、俺に寄り添い続けた。
その瞳にはもう、涙はない。
ただ黙って俯き、俺の身体を支えている。
身体を動かすことを諦め、話すことを諦め、考えることを諦めると、不思議と頭痛がひいていくような感覚を覚えた。
鳥や虫の声。
風の吹く音。
それに揺れる枝葉の音。
全てが心地よく感じられ、心が安らいでくる。
もう疲れた。
もう十分頑張った。
俺を支えるフレンの温もりが、まるで温かい羽毛にでも包まれているかのような感覚にさせてくれる。
一度目とはずいぶん違う死の感覚だ。
朦朧とする意識の中で、ゆっくりと目を閉じようとした時、フレンの身体が震えるのを感じた。
俺たちの目の前。
目線の先で何かが動いているような気がする。
俺は目に力を入れ、瞬きをし、目を凝らしてみた。
少し霞んではいるが、俺の目には三匹の魔族が見える。
ゴブリンだ。
そしてその手には、ところどころ刃こぼれしているような、ボロい剣が握られていた。
フレンの呼吸が急激に荒くなるのを感じる。
フレンの身体は更に激しく震え、俺を支えていた手が強く俺の身体を締めつけた。
そして、まどろみかけていた頭の中が、一気に現実へと引き戻されていく。
「ア……ア、アイ……“アイシクル・ランス”!」
フレンの詠唱が聞こえた。
しかし、魔法は発動しない。
恐らく、集中することができていないのだ。
剣を見ることによって、フレンの精神は乱れ、すり減る。
恐怖と絶望が押し寄せ、冷静ではいられなくなってしまう。
それはどんなに相手が弱く、どんなに粗末な剣だったとしても、変わりはしない。
(まだだ……まだ……最期の仕事が残っているぞ……レイズ)
俺は力を振り絞り、腹に力を入れて口を開ける。
喉を震わせ、精一杯、渾身の力を込めて声を上げた。
「ヴゥゥアァァアアアァアア!!」
声にもならないような声だった。
ざらついた息が、喉を削り取ってでもいるような、掠れ、唸る声。
それは叫びでも、咆哮と呼べるものでもない。
低く、重く、殺意に満ちた音だ。
俺は振り絞る。
残された命を。
残された魂を。
俺は立った。
しっかりと。
ただ、立った。
ゴブリンたちは怯えたように怯み、後退りをする。
(フレン……立ち向かわなくてもいい……逃げて……逃げてくれ)
「****! ****、******!!」
「***! ***!」
ゴブリンたちが何かを言った。
そして、ゴブリンたちは退くことはなく、俺に襲い掛かってくる。
一匹のゴブリンが剣で俺を殴り、もう一匹が俺の腹に剣を突き刺す。
「……!!」
俺の腹部からは薄紫の光が漏れ出す。
痛みはある。
しかし、動くことはできない。
立っているだけで、やっとなのだ。
更に、突き刺さった剣は、こぼれた刃が俺の身体に引っ掛かる。
無理矢理引き抜こうとするゴブリンによって、身体の中が抉られ、かき混ぜられ、形容しがたい痛みが俺の脳天を衝いた。
「うわぁぁあああ!!」
後ろから、鬼気迫るフレンの叫び声が聞こえた。
フレンは俺の槍を持ち、がむしゃらに振り回しながら俺の前へと現れる。
槍の重さで身体が泳ぎ、バランスを崩しながら、まるで槍に振り回されているようだった。
(フレン……どうして……)
あからさまに素人の動きだったが、ゴブリンたちは怯み、後退する。
俺の腹部には、剣が刺さったまま取り残された。
フレンはそのまま一気呵成にゴブリンたちを追撃する。
追い込まれながら、必死に恐怖に抗う野獣のように叫び、槍を振った。
そして、フレンの槍は一匹のゴブリンを突き刺す。
俺から剣を抜くことができず、丸腰になっていたゴブリンだ。
ゴブリンは、身体を激しく痙攣させ、絶命した。
槍という武器は、この瞬間こそ、最も大きな隙ができる。
空を切った槍と違い、敵を捉えた槍はすぐに戻すことができないのだ。
(フレン……!!)
案の定、フレンはすぐに槍を抜くことはできなかった。
むしろ、上体が槍を追うようにつんのめる。
そして、残ったゴブリンたちの剣が、無惨にもフレンの身体を切り裂き、突き刺した。
「ぐ……えぇ……」
フレンの呻き声が、鮮明に耳に入ってくる。
「ヴッレェエ……!!」
懸命に出した声。
しかし、そんなものは何にもならない。
ゴブリンたちは容赦なく、ふらつきながら後退るフレンを追撃し、殴り、切り、刺す。
「あああああああ!!」
叫んだフレンの側頭部を、ゴブリンの剣が捉え、鈍い骨の音が響いた。
そして、フレンの身体は地に伏し、沈黙する。
(あ……ああ……)
全身の力が抜け、俺は倒れた。
そして目頭が熱くなり、再び視界がぼやけてくる。
地面に横たわるフレンの身体。
飛び散り、流れ出るフレンの血液。
喪失と絶望。
俺は何も成すことはできず、何も守れず、ただ消える。
沸騰するような涙が俺の頬を焼き、喉の奥からは、ただ空虚な嗚咽が漏れ出た。
薄ら笑いを浮かべ、返り血を浴びたゴブリンたちが近づいてくる。
最早、恐怖などはない。
どうでもいい。
もう、どうでも。
目を閉じようとした時、鋭い氷の刃がゴブリンたちを後ろから貫いた。
血飛沫を上げ、断末魔の叫びとともに、その身体は地面に転がる。
開けた視界の先には、身体を少しだけ起こし、こちらを見るフレンの姿があった。
そして、フレンは小さく笑う。
フレンは苦悶の表情を浮かべながら、俺に向かって這いずる。
呻き、息を吐きながら、ゆっくりと、俺のところまで。
抉られた身体からは、血液が大量に流れ出ている。
内臓も無事ではないだろう。
恐らく、フレンはもう助からない。
それでも、フレンの目は死なず、一心に俺の元を目指している。
彼女の強い執念が、その身体を突き動かしているのだろうか。
やがて、フレンは俺の元へたどり着き、俺の手のひらに自分の手を重ねた。
「……ど、どうし……て……」
フレンは苦しみから解放されたかのように微笑む。
「……良かった……今度は……いっ……しょ……に……」
フレンはゆっくりと目を閉じる。
泥と血にまみれたフレンの顔は、この惨状に不釣り合いなほど穏やかに、そして満足そうに笑っていた。
どうして、こんなにも酷い死に方をして、フレンは笑うのだろうか。
俺には分からない。
フレンが何を感じ、何を考えていたのか。
そして、何を求めていたのか、分からない。
ただその笑顔は残酷で、そして儚く、美しかった。
フレンの手のひらが冷たくなっていくのを感じながら、俺は目を閉じる。
残念なことに、俺はすぐには消滅しなかった。
何もできない身体で、ゆっくりと時間をかけて、足先から感覚がなくなっていく。
どれくらいの時間が経ったのかは分からない。
薄れゆく意識の中で、微かな声が、ほんの僅かに聞こえた。
「いたいた! いたっすよ! ここ! こっちす! アメリア様!!」
柔らかなまどろみの中で、眠りに落ちる。そして目の前に現れたのは、艶やかな金色の髪をなびかせる女だった……
次話 第39話 望んだ未来
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