37話 何のために生き 何のために傷つき 何のために苦しまなければならないのか
どれほどの距離を流されたのだろうか。
大木を薙ぎ倒し、山肌を削り取った土石流は、勾配のなだらかな山の麓まで俺たちを押し流し、止まった。
こういう時、防御魔法というものは便利だ。
もし生身で土石流に呑まれていたとすれば、俺たちは文句なくあの世行きだっただろう。
身体は痛むが、動けないというほどでもない。
俺の腕の中でうずくまるフレンもまた、全身泥にまみれてはいるものの、意識はしっかりとしているようで、その目ははっきりと俺を捉えている。
まだアドレナリンが出ているだけかもしれないが、激しい痛みに襲われているようには見えなかった。
「……ゴホッ……ゴホッ……フ、フレン……無事か?」
「あっ……え、えっと……」
フレンは自分の手のひらを開閉したり、顔を触ったりなどしながら、何度も瞬きをする。
そして、頬を強張らせながらも、顔を上げた。
「だ、大丈夫……だと思う」
「それなら良かった……」
俺は少しだけ笑って見せる。
すると、フレンも少し表情をやわらげた。
痛む身体を起こし、フレンを解放する。
後ろを振り返ると、青かったはずの山肌は抉られ、赤茶けた地肌が地面を裂いたように剥き出しになっていた。
当然、マックの姿などは見えず、根こそぎ引き抜かれた大木や、到底人の力では動かせそうもないような岩石が転がっている。
俺は恐怖した。
自然というものがこれほどまでに圧倒的で、理不尽な存在であることを、水分を含んだ泥の匂いと、穏やかな風の音とともに理解する。
「……」
「……」
俺とフレンは、互いに顔を見合わせた。
「無事で良かったよ。フレン……」
「そ、そうだね……」
俺たちは、泥だらけの顔を見ながら笑う。
そして肩を抱き合って、確かな温もりと柔らかな感触を確かめ合った。
奇跡のような出来事に、思わず歓喜の声が静かに漏れ出す。
互いの身体が少し離れる。
そしてフレンは一つ溜め息をつき、胸を撫でおろした。
その姿に安堵しながらも、俺の身体は徐々に倦怠感を思い出し、再び目眩に襲われる。
自分自身の終着点が決まったことを、改めて自覚した。
飲むはずだった薬の一粒すらも、俺の手元にはない。
あの時、薬の入った瓶を拾っていれば、俺の身体はまだ数日は生きながらえることができただろう。
しかし、その選択にもう戻ることはできない。
俺は恐らく、遠からず動けなくなり、最終的には消滅する。
それが数時間後なのか、もしくはそれより早いのか、遅いのかは分からない。
ただ、不思議と俺の心は落ち着いていた。
むしろ、自分の選択が誇らしくすら思える。
俺は、フレンを守ることができたのだ。
フレンさえ、生きていてくれれば、望みは繋がる。
どうせ俺の命は、今のペースでいけばクリスと会う前に尽きてしまっていただろう。
これで良い。
これで良かったのだ。
潤したばかりのはずの喉が渇き、額や背中から汗が噴き出ているのが分かる。
そして、自分でも気づかぬ内に震えていた手のひらを、強く握り締めた。
「フレン……」
「うん?」
「落ち着いて聞いて欲しい。薬、失くしちまった」
「え……?」
フレンは絶句し、力なく両腕が垂れ下がる。
「この土石流だ。間が悪く、手に持っていたもんだから……仕方ないさ。それよりも……」
「仕方ない……? えっと……それじゃあレイズは……」
フレンの肩が小刻みに震え始める。
そして、次第に呼吸が荒くなり、その瞳には涙が溜まってきていた。
俺はフレンの肩を掴み、指に力を込める。
そして、俯きかけたフレンの目を、真っ直ぐに見つめた。
「フレン。大事な話だ。ちゃんと聞いてくれ」
「……」
フレンは涙を拭いながら口をつぐんだ。
身体は震えているものの、しっかりと目が合い、溢れ出そうになる涙を堪えているのが分かる。
「……よし。まず……俺は、もうすぐ動けなくなる。それを止める方法はない。分かるな?」
フレンは黙って頷く。
頭が揺れるような感覚があり視界が歪みかけるが、歯を食い縛って堪える。
気づくと、俺自身の息も上がってきているようだった。
「……マ、マックは、俺たちを探しにはこない。そんなことをしても、何も得なんてないからだ。だからフレン。君は……俺をここに置いて、サウスディアを目指すんだ。街道に出られれば、運が良ければマックと合流できるかもしれない。そして昨日頼んだ通りに……」
俺の言葉が終わるのを待たず、フレンは首を横に振った。
涙の雫が零れ、フレンは俯く。
「な、何でだ? 俺たちの手元には、食料も、水もないんだぞ。サウスディアまではまだ何日もかかる。生きるためには、時間を無駄になんてできない!」
俺の言葉を受けても、フレンは泣きながら首を振るだけだった。
身体の不調。
そして焦りが、怒りへと変わりはじめ、フレンの肩を掴む指に更に力が籠る。
「い、痛い……」
フレンの呻くような声を聞き、俺はフレンを離す。
「フレン……た、頼む。君は……君は生きなきゃならない……」
「……それは、何のため?」
「……は?」
俺たちの間に沈黙が流れた。
フレンは何故、俺の言葉を拒むのだろうか。
昨晩話した時は、俺の願いを聞き、約束してくれたはずだ。
それなのにどうして。
「……フ、フレンのためでもある。死んだら……死んでしまったら、それで終わりだろ?」
「……」
安っぽい言葉だ。
体調が万全であれば、もっと気の利いた言葉をかけてやれたのだろうか。
恐らく、そんなことはないだろう。
どちらにせよ、それは心から湧き出る言葉じゃない。
フレンを守りたい。
フレンには幸せになって欲しい。
その想いに嘘はない。
ただその想いと、フレンが俺に求めるものとでは、本質的な乖離があるのだと思う。
何と言葉をかければ、フレンを奮い立たせることができるのだろうか。
分からない。
むしろ、こんなことを考えている時点で、俺は間違っているのかもしれない。
俺はどうすればいいのだろう。
どうすれば。
「……うん。そうだよね……死んだらそこで終わりだもんね……大丈夫。約束は守るよ。だからもう少し、もう少しだけ傍にいさせて欲しいの……」
「……分かった。それなら……ここは、危険だと思う……移動しよう。俺も、行けるところまで、一緒に行く……」
俺はフレンの手を取り、足をふらつかせながら立ち上がる。
フレンもまた立ち上がって、俺を支えるように身体を寄せた。
「レイズ、ごめんね……」
フレンの呟くような謝罪の言葉に、俺は少しだけ口角を上げて見せた。
そして、背中に背負っていた槍を抜く。
槍を杖の代わりに地面に突き立てながら、俺たちは生い茂る木々の中、南へと向かった。
彼女は笑う。とても穏やかに、そして満足そうに……
次話 第38話 フレン・マリーゴールド
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