36話 命の天秤
見上げる空には雲一つ浮かんではおらず、眩しいほどの日差しが照りつけていた。
昨日の雨が嘘のような快晴で、地面もある程度は乾いている。
微かに水分を含んだ泥の匂いがするが、恐らく、馬車の移動に大きな問題はないだろう。
「今日は進めそうっすね!」
「あぁ。そうだな」
「準備終わったよ~」
マックとともに空を見上げていると、俺用で準備していた服に着替えたフレンが、髪を結びながら洞穴の中から現れた。
かなりダボダボの服ではあるが、ところどころを結び、上手く着こなしている。
何と言うか、フレンが着ると服その物がまるで別の服のように見えた。
「悪いな。色々と不自由をかけて」
「ん~ん。むしろ、貸してくれてありがとね」
フレンは笑う。
その穏やかな笑顔は、俺の影にかかりそこに太陽の光は届かない。
数時間が経ち、俺たちは緩やかな山道を登っていた。
標高はそれほど高くない山で、普段から人も往来するため、一応道は整備されている。
歩きやすい山ではあるが、山の中は障害物も多く、油断することはできない。
こういうところには、グレゴリーたちのような輩が住み着いている可能性もあるのだ。
「何か思い出すな~」
フレンは軽く空を見上げながら、ふと呟いた。
独り言にしては大きくはっきりとした言葉だ。
恐らく、俺に言っているのだと思う。
「……どうした?」
「ん~、ちょっと昔のこと。レイズと初めて会ったのも、こんな感じの山の中だったよね? 覚えてる?」
「ん? あぁ、覚えてるよ」
「レイヤ1の魔法士が、報酬欲しさにソロで依頼を受けるなんて、今考えれば無謀だったよね」
「そうかもな」
俺とフレンは、ともに苦笑いをした。
冒険者は、駆け出しの頃が最も死亡率が高くなる。
実力や経験不足もあるが、最たる理由は無茶をしがちであるということだ。
その頃は、俺やフレンも類に漏れず無茶をしていたと思う。
「あの時のフレンは、結構尖ってたよな。泣いてた癖に、石なんか投げてきてさ」
「まぁね~。だって、人の仕掛けた罠に嵌って動けないなんて、恥ずかしかったからさ。レイズはヒョロくて弱そうだったよね」
「うるさいな」
フレンの足元に目線を落とす。
裾を捲ったズボンから見える足首には、木こりの仕掛けたトラバサミによる傷跡が、薄く残っている。
「へ~、レイズ殿って昔は細かったんすか? 今はゴリラみたいな肩幅してるのに」
「そうそう! 背が高くて細いから、ホントもやしみたいな感じ!」
「まぁ、それだけ鍛えたんだよ」
マックが会話に入ってくる。
マックもまた、当然のように人当たりが良い。
グレゴリーたち自警団の脅威が去ってからというもの、フレンとマックはこの二日間でそれなりに打ち解けていた。
「それでさぁ。嫌がる私に『いや、泣いてる女子を、お、置いてけないから……』なんて言って、そのわりに全然目が合わないの。『初心すぎでしょ!?』って感じでさ~」
「へ~、そうだったんすね~」
マックがにやつきながら俺を見てくる。
確かに、その頃の俺は都会に馴染めず口下手で、パーティーを作るのにも苦労していた。
だからこそ、俺も一人だったのだ。
「それは別に言わなくていいだろ……」
「ごめんごめん。でも、その時何匹かのゴブリンに襲われたんだけど、レイズは意外と頼もしくて、正面から立ち向かっていってさ。結果的に二回も助けられちゃったんだよね」
「まぁ、ゴブリンたちに止めを刺したのは、フレンの魔法だったんだけどな」
「それなら、むしろフレン殿がレイズ殿を助けたってことじゃないっすか?」
「あ~、確かにそうかも!」
俺たちは、三人で笑い合った。
最期の旅とは言え、雰囲気が良いに越したことはない。
俺としても居心地の良い、奇妙なパーティーだ。
そんな雑談をしながら、山の中腹へと差しかかった頃、日は空高く真上に昇っていた。
そろそろ身体に違和感を覚え始めてもおかしくはない。
早めに休憩を提案しておいたほうが良いだろう。
「マック、そろそろ休憩にしないか?」
「そうっすね。もう少し行ったところに水場があるっす。そこで一息いれるっす」
「分かった。そうしよう。フレンも良いよな?」
「うん。勿論!」
二人の了承を得て、俺たちはマックの言う水場を目指した。
そこから数分歩き、開けた沢に行き着く。
マックは御者台から降りると、沢に近づき流れる水を覗き込んだ。
「雨の影響っすかね~、前にきた時よりも増水してる感じもするっすが、底の石もはっきり見えるし、綺麗そうっす」
俺とフレンも沢に近づいてみると、確かに水は澄んでいて透明だった。
何なら水浴びでもしたいくらいに思える。
もっとも、沢はかなり浅く、それは叶わないだろうが。
「自分はここでチャッピーに水を飲ませるっす。二人は、先に下で顔でも洗ってくると良いっすよ」
マックの指差した先を見てみると、緩やかな斜面を降りた先のほうが、水深も深く沢が広くなっているように見えた。
足場が悪く、馬車ごと行くことは難しいだろうが、人間なら難なく往復できるだろう。
それにマックから離れたほうが、薬も飲みやすい。
「そうだな。そうさせて貰うよ。フレンも行こう」
「うん。そうだね」
マックは沢の高い位置に留まり、俺とフレンは斜面を降りて沢のすぐ側まで近づく。
そして、水面に手を伸ばそうとした時、目眩がした。
軽く顔を洗っている内に身体が怠くなり、爽快感を得られるはずが、気分は段々と悪くなってくる。
いつもの症状が、やはりきてしまったようだ。
この分では、本当にクリスがサウスディアにくるまでもたなくなってしまう。
「レイズ……? 大丈夫?」
自分でも気づかぬうちに、俺は顔をしかめていたようだ。
水面に自分の顔が映り、フレンはそんな俺を覗き込んできている。
「あぁ……大丈夫だ」
俺はポケットに手を突っ込み、薬の入った小瓶を取り出した。
そして蓋を開け一粒の薬を取り出そうとした時、腹の底に響くような、重苦しい地鳴りが響き渡った。
「こ、この音は……?」
フレンは動揺し、辺りを見回す。
たいして風も吹いていないというのに、木々は大きく揺れ、山がざわめいている。
「レイズ殿ー! フレン殿! 早く上がってくるっす!!」
上にいるマックの、鬼気迫るような叫び声が俺たちを呼んだ。
それに応えるように上を見た時、それは訪れた。
沢の奥から、大量の泥水と大木を巻き込んだ黒い波が、うねりを上げてなだれ込んできている。
昨日の大雨で地盤が緩んでいたのだ。
それはまるで、全てを飲み込む大蛇のように見えた。
その流れは速く、とてもじゃないがマックのところまで戻ることなどできない。
「フレン! 走れ!」
「あっ、ちょっ、きゃっ……!」
俺が叫んだ後、俺たちの足元の大地が激しく震え、フレンはバランスを崩し転倒してしまう。
「くそっ!!」
俺は踵を返し、フレンの元に手を伸ばす。
そしてその瞬間、俺の手中から薬の入った小瓶がすり抜けるように落下し、甲高い音を鳴らしながら地面へと転がった。
俺の命を繋ぐ唯一の欠片だ。
背筋が凍る。
まるで心臓を締めつけられたような感覚だった。
死の恐怖。
そして目の前には、怯えながら手を伸ばすフレン。
それらを天秤にかける時間などない。
俺は迷いなくフレンの手を取り、庇うように抱き寄せる。
「フレン! “プロテクト”だ!」
「プ、“プロテクト”!」
黄色い発動光とともに魔力壁が俺たちを覆う。
直後、轟音とともに強烈な衝撃が俺たちを襲い、俺とフレンの身体は、無慈悲な奔流に飲み込まれていった。
彼女が生きていてくれることだけが唯一の希望だった……
次話 第37話 何のために生き 何のために傷つき 何のために苦しまなければならないのか
是非、見て頂けると嬉しいです!




