10話 最初の一人
夜、屋敷の周りの荒野を走る。
今回は、別の街などを目指そうとしているわけではない。
単純にトレーニングが目的のものだ。
俺は、ディバロでのあの夜に、本当に死んでしまったのだろうか。
確かに、当時の状況を考えれば、生きているほうが不思議な状況ではあった。
しかし、今もこうしてトレーニングができている中で、自分が実は死んでいるなどということは、そう簡単に受け止められるものではない。
俺の身体の話や、蘇生魔法という得体の知れない魔法、そしてアメリアさんへの疑念。
俺の中で様々な感情が揺らいでいて、身体でも動かさないとやっていられなかった。
三十分ほど走った頃、一旦休憩しようかと思い、一度足を止めて屋敷の玄関前に向かう。
すると、俺のほうを見て立ち尽くしている人影が見えた。
ユリちゃんだ。
その両手には、少し大きめの白いタオルが見える。
「ユリちゃん、どうしたの?」
「……あ、あの、これ」
ユリちゃんは、俺にタオルを差し出してきた。
恐らく、俺が走っているのをどこからか見て、気を利かせてくれたのだろう。
まったく律儀な娘だ。
「あぁ、ありがとう」
ユリちゃんの顔は、心なしか明るい顔をしているように見えた。
ありがたくタオルを受け取り、額の汗を拭う。
玄関前の小さな階段の上に座り、小休止をとるが、ユリちゃんは何か話をするわけでもなく、俺の後ろに立ち尽くしていた。
「どうしたの?」
「……あっ、えっと、タオル、邪魔かなと思って」
どうやら、俺が使い終わったタオルを回収してくれるつもりだったようだ。
ただ、汗というのはそう簡単に引くものでもないし、できれば五分か十分くらいは休憩したい。
俺は隣を軽く手で叩き、ユリちゃんに座るように促した。
ユリちゃんは、身体を小さくしながら、隣にちょこんと座る。
俺は、アメリアさんはともかくとして、ユリちゃんのことは信用しても大丈夫だと判断している。
ユリちゃんが、自分の身体を傷つけてまで見せてくれた薄紫の光は、確かに俺のものと同じだった。
それであれば、ユリちゃんは立場的に俺と似ているところがあり、俺を騙す必要などないのだ。
それに、ユリちゃんがそんな器用なことができるとは思えない。
「ユリちゃんは、仕事は終わったの?」
「……」
ユリちゃんは黙って頷く。
「そっか。お疲れ様。ごめんね、気を遣わせちゃって」
「……」
ユリちゃんは首を横に振り、少し緊張した面持ちで俯いた。
「ユリちゃんは、この身体になってから、長いの?」
「……そ、それなりに?」
ユリちゃんがこの屋敷でしていることといえば、基本的な家事全般だ。
二週間の間、俺もユリちゃんの仕事を手伝っていたのだから、間違いはない。
アメリアさんはただ家事をさせるためだけに、魔法で死んでしまったユリちゃんを蘇らせ、その身体のメンテナンスをしているというのだろうか。
俺には、それも考えにくいように思える。
「そっか。アメリアさんてどんな人?」
「……アメリアは良い人」
ユリちゃんは若いし、純粋な娘だ。
アメリアさんからの無償とも思える厚意を、正面から受け止めていても不思議ではない。
俺が捻くれているのだけなのかもしれないが。
「……アメリアのこと、気になる?」
「気になるって言うか、どうしてなのかなって。ユリちゃんが、俺のことをアメリアさんに頼んでくれたのは分かったけど、本当にそれだけなのかなって……例えば、俺やユリちゃんのような人は他にはいないの?」
「……えっと、私が二人目。レイズさんは三人目」
「もう一人いるのか……」
「……会う?」
「え? 会えるの?」
ユリちゃんは頷き、立ち上がった。
まさか、今からそのもう一人のところに行くということだろうか。
俺が立ち上がると、ユリちゃんは玄関の扉を開け、屋敷の中へと入って行く。
「この時間はアメリアもいないし、大丈夫だと思う」
ユリちゃんと俺が向かっているのは、屋敷の離れだった。
確かに、あそこはまだ俺が入ったことのない部屋もある。
以前、地図を探すために侵入を試みたことはあるが、その時は幾つかの部屋に鍵がかかっていたのだ。
それにしても、もう一人の住人がこの屋敷にいるというのは、あまり合点がいかない。
俺が、この屋敷で過ごす間、アメリアさんとユリちゃん以外に人の気配は感じなかったはずだ。
ユリちゃんは、多くの書物が並ぶ部屋を通り抜け、更に奥の部屋へと俺を連れて行った。
そして、腰元のポケットから幾つかの鍵を取り出す。
しかし、ユリちゃんが施錠された部屋の鍵を持っているというのもおかしな話だ。
それほどまでに、ユリちゃんはアメリアさんから信用されているということなのだろうか。
ユリちゃんが鍵を開け、部屋の扉が開かれる。
その先は、淡い明かりの灯る、狭い部屋だった。
あるのは、少し高価そうなベッドと、腰の高さほどの戸棚が一つ、そして少しの花が生けられた花瓶があるだけだった。
白い花は活き活きと咲いていて、ちゃんと手入れがされていることが分かる。
「……こっち」
ユリちゃんは置かれたベッドに向かい、俺もそれについて行く。
そして、そのベッドには一人の少年が眠っていた。
それは、一瞬息が詰まるくらいには、気持ちの悪い光景だった。
眠っている少年は、年はユリちゃんより少し上くらいに見える。
胸までかけられたシーツの上に見える肌は、殆どが腐ったような紫色をしていて、顔の一部分だけが肌色を保っているだけだ。
身体全体を、俺やユリちゃんと同じ薄紫の光がうっすらと覆っていて、辛うじて呼吸をしているような息遣いが聞こえてくる。
「……エレンさんって人」
「エレン?」
「……二百年くらい前に、アメリアが初めて蘇生魔法を人に使ったみたい。でも、まだ目覚めない」
二百年前というのは、あまりピンとくる数字ではない。
エルフが長寿だということは伝承にもあったが、それが本当だとしたらアメリアさんはいったいいくつなのだろうか。
「それは……えっと、どうして目覚めないの?」
「……昔は、今よりも魔法の研究が進んでなかったからって言ってた」
「そうなんだ……」
もう一度、エレンの顔を見る。
酷い顔だ。
これでは、元々の顔がどんな顔をしていたのかもこれでは分からない。
エレンのことを見ると、今の自分の状態が恵まれたもののように思えてくる。
「……アメリアは、エレンさんの身体を毎日拭いて、魔力の調整もやってる。そうする責任があるからって言ってた」
(また“責任”か……)
もしも、眠り続ける少年に二百年もそんなことをしているのであれば、それは大変なことだろう。
それを責任という一言で片づけるのは、むしろ乱暴にも思える。
ふと、戸棚の脇に一枚のキャンバスが立てかけられているのが目に入った。
手に取ってみると、それは三人の人が描かれている姿絵だった。
中央に描かれているのはアメリアさんだろう。
今と大きな違いはないが、少し髪が短く、あどけなさの残る顔つきをしている。
そしてアメリアさんを挟むように、二人の少年が描かれていた。
一人は背が高くスラっとした細身の少年で、爽やかで知的そうな印象を受ける。
そしてもう一人は、逆にアメリアさんより少し背が低くて、やんちゃそうだ。
「……左がエレンさんなんだって」
俺の手元の絵を覗き込み、ユリちゃんが言った。
左の彼は、やんちゃそうな少年のほうだ。
俺の持つキャンバスは、どう見てもアメリアさんの思い出の品だろう。
そして、ここに眠るエレンという少年も、二百年面倒をみるくらいアメリアさんにとって大切な存在なのだと思う。
こうして見ると、アメリアさんの人柄が透けてくる。
慈愛に満ちた笑顔も、その強すぎるほどの責任感も、それは本当の彼女なのだろう。
「二人とも、そこで何をしているんですか」
不意に声をかけられ振り向くと、そこには寝間着姿のアメリアさんが立っていた。
「アメリアさん……」
アメリアさんは、少し厳しい表情で俺とユリちゃんを見ている。
そもそも施錠されていたということは、アメリアさんにとってこの部屋を見られることは、本意ではなかったのだろう。
アメリアさんはゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。
そして、俺の前にきてその表情を少し緩めた。
「レイズさん、すみません。私は、エレンのこともあなたに隠していました。他にも、あなたに話していないことがあります。レイズさんにとって、残酷にも映るであろう現実を話すのには、もう少し段階を踏んで、時間をかけようと思っていたんです。本当にごめんなさい」
アメリアさんはまた俺に頭を下げた。
そして、少し吹っ切れたようにも見える表情で、顔を上げる。
「私も色々考えました。そして、レイズさんには、隠すより本当のことを打ち明けるほうが良いのかもしれないと思いました」
「本当のこと……ですか?」
「はい。これからは包み隠さずお話すると約束します」
「それは、ありがとうございます」
「それと、今度シアイン帝国に一緒に行きましょう。レイズさんのお仲間やご家族への想いを、これ以上ないがしろにすることはできません。その代わり、私の用事にも少し付き合って下さい」
アメリアさんの言葉に、気持ちが高揚してくる。
俺はやっと、母国に行ってフレンたちや両親を探すことができるのだ。
自分の身体への不安は消えないが、それでもそれは、俺にとって願ってもない話だった。
「分かりました。宜しくお願いします」
アメリアさんは頷いた後、ベッドに横たわるエレンの姿に目線を落とした。
「エレンのことも、このような状態ですから、レイズさんにはご心配をおかけすると思い、話していませんでした。彼もこの家の住人の一人です。どうか宜しくお願いします」
確かに、いきなりエレンの姿を見ていたら、今以上に気味悪く思っていたのかもしれない。
今なら、俺がエレンに抱く感情は、それよりも同情のほうが勝る。
「それは、はい。その、エレン君のこと、俺にできることがあれば手伝います」
アメリアさんは少しだけ微笑み、俺のほうを向く。
「そうですね。もし、お願いすることがあれば、お声がけしますね」
俺たち三人は、エレンの部屋を後にし屋敷の本館へと戻る。
部屋を出る時、アメリアさんがユリちゃんに、もう鍵をかける必要はないと言っているのが聞こえてきた。




