予兆
6:30 灯ヶ崎市内
日の出が早くなってきたのだろうか。
カーテンの隙間から差し込む朝日で、目が覚めた。
「おはよう。眠れた?」
「ああ、まあ。」
カリカリと爪の音をならして一目散にボーダーコリーのナツが走ってくる。そのふわふわの毛皮をなで回しながら目をやると、柴犬のこむぎが、頭を敷物から落としたまま寝ていた。なんてやる気のない寝方なのだろう。「ああ、起こしてきましょうか」と言わんばかりのナツにうなずくと、こむぎの体をちょいちょいと前足で揺する。
「マイペースだね。こむぎは。」
真面目なナツをねぎらいながら声をかけるとこむぎは迷惑そうにため息をついた。
不思議な物事が多い最近だが、この時間は癒しだ。深夜でも早朝でも、時も場所も選ばずに起こる地響きのような衝撃。 けれど、もう慣れっこになってしまっていた。ニュースをつけてもネットを開いても、その話題ばかり。すでに被害が出ている地域もあり、家屋の倒壊や地割れまで起きているという。
しかし、幸い、朔矢の住む町では大きな被害は出ていなかった。そのせいか、どこか他人事のようで、危機感も薄かった。
「朔。今日、体育あるんでしょう? 体操服忘れないようにしなさいね。届けたりできないから」
「昨日も聞かれたし、もう入れたから」
「あらそう。そうそう、お父さん。私、今日は帰り遅くなりそうなの。ただでさえ人が少ないんだから」
「そうか」
父のぼそっとした返事を聞きながら、まだ眠気の残る頭でパンを口に運ぶ。 そのとき、掛けてあったハンガーがカタカタと揺れ始めた。まただ。
「うそ。また? さすがに怖いわよ」
確かに異常だ。今週に入ってから、もう数十回は揺れている。
それでも、母は仕事に遅れてしまうからと、ドタバタと準備を続けている。収まると、母は何事もなかったように時計を確認する。 この状況がどれだけ日常に溶け込んでしまったのかを、朔矢は改めて思い知らされた。
父がテレビをつけると、速報のテロップが点滅する。
『――繰り返します。さらなる揺れに警戒し……』
最近はずっとこればかりで、新しい情報は特にない。専門家を名乗る髭面の職員も、連日の対応で疲れているのだろう。隈の目立つ顔で、「前代未聞」「不明な点が多い」と煮え切らない解説を繰り返している。
「気を付けろよ」
「うん。でも大丈夫だよ」
父がスマホを見ながら忠告するのも、もう何度目だろう。 ただ、今日はいつもと違うニュースが流れた。
『本日未明、灯ヶ崎市内のアパートで火災がありました。関係者によると、出火原因は不明で――』
思わず父と顔を見合わせる。父がずり落ちた眼鏡をかけ直す。
「二人とも、急がないと遅れるよ」
沈黙を打ち破るように、母の声が二階から聞こえ、階段をおりてくる。
「これ、ここの近くじゃないのか」 「多分」
そう答えると、父は少し悩んでから、「そうか」とだけ言って食器をキッチンへ運んだ。
「なに、ちょっと聞いてるの?」 降りてきた母が「これ大変じゃない!」と叫び、道が通れないかもしれないからと急かしてくる。
メディアは、しきりに「自然発火」という言葉を使っていた。原因はまったく分かっておらず、究明のめども立っていないという。 常識的に考えればあり得ない。何もない場所で、何の原因もなく火災が起きる。あってはならない現象だ。
しかも、それが一か所ではない。一日に十件を超える日もある。 たいていはボヤ騒ぎで済んでいるものの、安心などできなかった。
だが、どれだけ普通でないことが起きようと、学校は普段通りにある。 会社も同じだ。経済は止まらない。
いつの間にか天気コーナーに切り替わったテレビには、スーツ姿の人々が駅へ吸い込まれていく映像が映っていた。 その勤勉さの象徴のような光景が、どこか不気味だった。
テレビに見入っていたせいで、飲んでいたコーヒーをこぼしてしまう。 母が小言を言うので我に返り、急いでパンを口に押し込み、ジャケットを羽織った。




