3話 異常事態
「さん。次は……朔矢」
はい、返事をするが、声が小さいと小言を言われる。
朝から、つい数日前に受けたばかりのテストが返却される。勉強は嫌いではない。むしろ好きな方だ。
しかし、テストとなると話は違う。受けるときはもちろん、返される瞬間のこの何とも言えない緊張と恐怖が、胃をきりきりと締めつける。手の動きさえ緩慢になる。
「どうした。らしくないな。ケアレスミスなんて」
絡まれても面倒なので会釈だけして受け取り、周りに見られないよう折って隠しながら席に戻る。自分の点数を知られていいことなんて一つもない。
平均52点のテストで58点。とても良いとは言えないが、最悪は免れた。安心したからか、じっとりと滲んでいた汗が急に冷えていく。
「みんな返し終わったね。ケアレスミスなんてものはこの世に存在しない。くれぐれもそのままにせず復習するように」
見事な前言撤回だった。教員が荷物をまとめて部屋を出ていくと、途端に教室がざわつき始める。点数を嘆く声、誰かの点数を探る声。なんだか疲れてしまい、大きく伸びをする。
9:40
突然、ドンと爆ぜるような強烈な衝撃が襲った。
ガタンと棚が倒れるような硬い音と、体が浮くような、持っていかれるような感覚。
次の瞬間、窓ガラスが飴細工のように砕け散る音が響く。
甲高い悲鳴。そして、喉を潰さんばかりの「机に隠れろ!」「伏せろ!」という叫び声。
「なんだこれ!」
「朔、こっちに!」
教卓の近くにいた女子生徒に腕をつかまれ、強引に引っ張られる。
「その、ありがとう」
「今はいいから!早く隠れて」
半ば引きずられるようにして、頭を守りながら身を隠した。地震による揺れではない。
ぐらぐらと揺れるのではなく、何かの衝撃波のような。崩れゆく氷の上に立っているような、不安定な振動。
一時間にも、十時間にも感じられた。
ようやく収まったころ、朔矢は顔を上げた。
氷のように冷たくキラキラと光るガラス片。そのそばに点数が悪いと、叱られると嘆いていた長身が倒れている。部活のプールの塩素で色の抜けた茶髪。田中だ。
「おい。大丈夫か。ケガをしたのならとりあえず応急処置を」
声をかけて揺さぶるも、反応がない。されるがままな様子が恐ろしくて思わず手を離すと、糸の切れた操り人形のように地面へ倒れる。へたくそな口笛のようにか細くかすれた悲鳴が。自分の喉から出たものであることに気づいたときには彼の瞳に生気はなく、瞳から輝きが失われていた。
床に落ちた白い消しゴムが、赤く染まって。すすり泣く声だけが響く、驚くほど静かな空間。
扉が開く音がして、教室を見渡していたのは、さっき出て行った教師だった。恐怖に見開いた瞳で、かすれた声を絞り出す。
「……すぐに帰りなさい」
そう言うと、ドアの付近にいたケガをした生徒の方へ小走りに近づいていく。
帰れと言われたものの、このまま帰っていいのか。非常時には人数の確認やら状況の確認のため残されるのが定石ではないのか。そもそも、ケガをしていない自分が残って手伝いをするべきなのだろう。
しかし、校舎が持つかもわからない。
はっきりと決断できずに廊下に出たはいいものの動けずに立ち尽くす。
そして何より――
今朝のニュース。不審な火事。あれも確か記憶が正しければ大きな揺れの後に起きたと報道されていたはずだ。だが、それなら揺れの影響でなったものと考えるべきでまったくの原因不明とはならないだろう。
だが、考えているひまはない。朔矢の目の前で、小さな炎が生まれていた。
「なにをしているんだ。早くここを出なさい。このままでは…」
急いで消火器をもって駆けてくる教員にすぐに校舎を出るように促される。
他に同じような人はおらず、心配になってきたが、階段を駆け下りて昇降口から出る。振り返ると、いたるところが崩れ、すこし傾いた校舎があり。見回すと、亀裂の走った道路と、電柱に突っ込んでひしゃげた車が目に入った。
大きくえぐれた路面を避けながら帰路を急ぐ。 同じように急いで移動する人々が多く、家に近づくほど道は混み合っていく。
「あ、ごめんなさい。」
肩がぶつかり謝っても、舌打ちが帰って来るのみで謝っても返事はない。誰も余裕がない。
そうだ、父は。母は。無事だろうか。
スマートフォンの電源を入れる。画面はつくが、アプリが起動しない。もどかしくて強く、何度タップしても反応がない。
強い日差しの中、汗が流れ落ちて液晶を濡らす。
道の端に寄り、通信状態が良くなるようスマホを掲げた。
視界に入った交差点に向いた巨大広告モニター。そして、自分のスマートフォン。両方の画面が、同時に切り替わった 青い背景。黒いアイコン。見覚えのないローディング画面。周囲の通行人も立ち止まり、同じ画面を見つめている。乗っ取られたように、何も操作することができない。
「なんだろう。あんた、これ何か知ってる?」
「さあ、スパムかなにかかな。私もなってる。」
少し色の落ちた派手な赤髪が顔に落ちて影を作る。
「え、ちょっと。皆そうじゃない?がちやばいって」
長いネイルがスマホの画面を忙しく行き来する。
ざざざっとノイズが走る。
画面が切り替わり、記者会見のような映像が映った。モニターと長机。しかし座っているのはライトグレーのスーツをきっかりと着た女性が一人だけ。
『……政府緊急情報室から、国民の皆様に大切なご連絡をさせていただきます』
女性が深々と頭を下げる。
どこか機械的な、冷たい声。
「突然ですが。誠に勝手ながら――この世界は来月をもちまして』
『アップデートのため終了させていただきます』
世界が、終わる?突然告げられたことで理解が追いつかない。
アップデート?なんの冗談だ。
ふざけているのか。そもそも“世界のアップデート”とは何だ。
「新世界への移行は、このアプリケーションにて行います。適合率の高い方は、次の世界もお楽しみいただけます。」
モニターにスマートフォンの画面らしきものが投影されている。
悪質ないたずらでもなさそうだった。適合率の低い人々は次の世界に行けない。そうなってしまったらどうなってしまうのか。
生じた疑問は同じだったようで、くたびれたスーツを着た髭面の男が「おい、どういうことだ。」と唾を飛ばし、問いただしている。
しかし、こちらの様子が分かっているかのようにふっと画面の中の女性は笑った。ぷつっと動画が切れ、入れた覚えのないアプリケーションが開く。言っていたのはこれのことか。小林朔矢という名前の表示の下に、
――89%。
今は、それだけが不気味なくらいはっきり表示されている。




