第6話
巡の奇行を何とか止めた翌日、4月20日。
今日の仕事は休みということにした。この休日を使って、何としても巡を『壊滅』から『恋愛初心者』まで矯正しなければならない。
……あと11か月と10日で世界が滅ぶ、しかも原因がこいつの恋愛失敗とか、本当に冗談にもならない。やれることはどんどんやらなくては。
「いいか、お前に必要なのはまず基礎だ!基礎なくして応用などあり得ない!」
「はい、先生!」
勢いだけは良い返事が、休日の小さな講義室に響き渡る。
講習生1人の寂しい講義は、順調な滑り出しを――見せなかった。
「なんでこんな回答が出来上がる!私の作った例題からちゃんと学んだのか?!」
「でも依留、俺は純浦さん一筋なんだ。こんなどこの誰かも知らない一般女性に声をかけるなんて……浮気だよ!」
「じゃあ純浦さんに脳内変換して答えろ!するとどうなる?!」
「『結婚してください』」
「だから段階を踏めって言っているだろ!初対面!まだお前ら知り合ってないの!わかる??!!顔見知りですらない奴からのプロポーズって怖いの!!!!」
「でも俺は純浦さんが大好きだ。あの人が呼吸するだけで世界には花が咲き乱れる」
「こっわい!どこから来るのその誉め言葉、マジ怖いんだが?!!」
「俺は知っているんだ、純浦さんがどれだけ素晴らしい女性か!」
「んん!でもまだ純浦さんは知らないの!!ファーストインプレッション!第一印象大事にしよう?!このままだとお前、イズ、不審者なの!理解して??」
「っ!そ、そっか……まだ俺、今回は挨拶もしてない……!」
ようやく巡は冷静に自分の立場を見つめなおせたようだ。よかった、一歩前進だ。
「ふう……そう、まだ知り合ってないの。だからまずは、第一印象で好感度稼ごう?」
「でも以前もまともに挨拶できた覚えない……」
「そりゃね?初対面でプロポーズするやつがまともに挨拶できると思ってないよ?だけど今回は違う…第一印象が良ければ告白の成功確率は上昇する!」
「おお!!」
「……はず」
「……ええ?」
そう、あくまでも『はず』だ。可能性の話。
……だってそうだろう。第一印象が悪いやつよりもいいやつの方が有利だ。私にそんな告白だの何だのの経験値は少ないが、それくらいはわかる。
「と、とにかく!初対面の挨拶が最初の関門だ!いろんなシチュエーションの問題を用意したからな、予習で差をつけろ!」
「なんか通信教育みたい」
「勉強なんだから基本は変わらねえのよ。ほれ次。『目の前を歩いていた純浦さんがハンカチを落としました。どうしますか?』」
「『こちらが貴女の落としたガラスの靴です…どうぞプリンセス』」
「言葉選びが怖い!…もっと自然に」
「『ハンカチを落としましたよ、美しい方』」
「……合格、か?まあいいや、次。『この部屋に純浦さんが入ってきました。挨拶してください』」
「『初めまして貴女の運命の騎士、龍崎巡です!結婚を前提に貴女の人生を彩らせてください!』」
――ガチャ
「……初めまして、純浦恋歌と申します。申し訳ありませんが、初対面の方との結婚は致しかねます」
「「ホアアアッ???!!!!!」」
突然の涼やかな声の乱入に、私たちは揃って悲鳴を上げて振り向いた。
講義室の入り口には1人の女性が佇んでいる……細いフレームのメガネをかけた、黒髪の白衣美人……純浦恋歌、その人だ。
突然の本人登場に、私は慌てて問題集を後ろ手に隠す。巡は固まっているのか、微動だにしない。
……なんてことだ。第一印象で好感度を稼ぐ計画が、あっという間におじゃんだ。しかも確実に、巡の第一印象は『変な人』になった。これは痛い……というか詰みかけてるぞこれ!
「保坂准教授、例の実験データを送っておきました。後でご確認をお願いします」
「あ……ハイ、お疲れ様です」
何とも言えない空気の中、純浦さんは粛々と要件を告げていく。私はこくこくと頷いて返事をする。
「それから研究室前に荷物が届いていました。要冷蔵とありましたので保冷室に運んでおきました」
「ハイ……ありがとうございます」
「それでは要件は以上です。ご歓談中に失礼しました」
――ガチャ
要件を告げ終わると、彼女は颯爽と去っていった。
しん……とした講義室。私はそっと巡の顔を覗き込んだ。
「巡…気を落とすな?まだ11か月もあるんだ、挽回はできる……」
「…………」
言葉のない巡。よく見ると白目をむいて気絶していやがった。
「……巡!まだ大丈夫!!挽回できるから!!生きろ、巡!!!!」
「…ッハ!!依留、俺夢を見たんだ……純浦さんにプロポーズしちゃう夢……まだしてないよな、大丈夫だよな、振られてないよな俺!?」
……私はそっと目を逸らす。
「……すまない、巡。不甲斐ない幼馴染を許してくれ」
「う……嘘だああああ!!!!!!」
「ああ、今日は一段とうろこが降っているなあ……」
――無力な私は、守護龍が泳ぐ空を見上げることしかできなかった。




