幕間2
白を基調とした、シンプルながらもどこか可愛らしさの残る部屋。それが純浦のアパート。壁に飾られた造花のリースやドライフラワーのスワッグが、今の彼女のお気に入りだ。
(今日は色々と大変だった。アロマでも焚こうかな)
ふとそう思い、低いテーブルの上にアロマを並べる。どの香りを楽しもうか、そう考えているとふと鼻に香るのは無骨な湿布薬。……打たれた頬に貼られたものだ。
あの男の張り手は痛かったが……それよりも後の出来事の方がずっと純浦の心には残っている。純浦は頬に手を添えながら、彼の言葉を思い出した。
「『俺の大事な人』……かあ」
噛みしめるようにそう口にしてみれば、頬がほんのりと熱を持った。痛みではない、どこか心地よささえ感じるそれは、段々と全身に伝わっていく。
(龍崎さん、もしかして、私のことを……?)
思えば、彼はいつもぎこちないけど……危ない時は何時だって助けてくれる。爆発の時も、この間の測定器の時も……ハチ除けだってしてくれた。これはやはり、明確な好意の現れなのだろうか。
(……でも、龍崎さんは優しい人だから……)
以前に聞いた、保坂准教授と龍崎さんの小さな頃の話。敵わないとわかっていても、友達の為にぶつかっていける優しさを持った人なのだ。
(……うん、きっとそう。優しい人だから、助けてくれるだけだよ)
それに、恋愛とか、そういうのは……自分には難しすぎるから。
――『恋歌ちゃん、私、好きな人できたの』
――『応援、してくれるよね?』
思い出すのは、高校の頃。親友と好きな人が被ってしまった、青春の思い出。
あの時純浦は親友のことを思い、自ら身を引いた。それどころか親友の恋を後押しする行動も応援もたくさんして……それでも、うまくはいかなかった。苦い思い出。
恋も、人の気持ちも、わからない。押すべきか引くべきかなんて、駆け引きも難しすぎる。あの過去の体験は純浦をどこか臆病にさせている。
(……それに今は、王塚さんがいるし)
恋なんて、いっそ考えなくて済むから……だからお見合いを受けた。だってお見合いは簡単だ。2人の先にあるのは結婚と、幸せな生活。結果が明らかなものに飛び込むのは難しくはなかった。
(王塚さんといると、確かに安心できる。でも……私、彼に恋しているの?)
彼となら会話も苦ではない。一緒に遊ぶことも、趣味を分かち合うこともできるだろう。でもそれって、友達となにが違うの?
「……難しい、難しすぎる。お見合いで全部一気に済むと思ったのになあ……」
龍崎さんは優しいだけ、そう自分に言い聞かせるのに……思い出すのはあの時の真面目な声。
純浦はアロマを眺めながら、もう一度彼の言葉を口にする。
「『俺の大事な人に、二度と、手を出すな』……」
音にしてみれば、純浦の頬はまた熱を帯び始める。指先までぽかぽかと温かくなってくるそれは、どうしても心地よくて、否定できなくて。
「ああ~~……これじゃ尻軽女だよ……!」
お付き合いを前提に会っている男性がいるのに、別の人にときめいてしまうなんて。
なんて……なんて……人の心はままならないのだろうか。
純浦はひとり悶えながら、気持ちを切り替えるべくアロマを選んだ。選出されたのは椿の香り。どこか甘くて、優しい香りだ。
「……寝よう」
アロマディフューザーにオイルを垂らし、電気を薄暗くして布団に入る。
(寝て覚めたら、きっと……落ち着いているよね)
頬の痛みと共に、この熱も引いてしまえばいいのに。
そう思いながらもため息をついてしまうのは、どうしてなのか。今の純浦にはわからない。
――瞼を閉じて浮かぶのは、龍か、それとも王か。
――止まっていたはずの天秤が、わずかに……揺れた。




