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第13話 前編



桜が緑色に染まり、5月が迫る頃。

私たちの研究室は軽い修羅場を迎えていた。


「終わらん、学会のスライドがまとまらん!」


5月末に行われる科学魔法の学会。その資料をまとめているのだが、どうにも最近の鱗片実験データが安定せず、これまでの仮定と推測をぶち壊してくる。そのせいで資料を1から作り直している状況だ。


「本の執筆も進めなきゃいけないが、この間の青い鱗片のことも気になる……あとついでにこいつの恋愛音痴も何とかしなきゃ……やることが多いぞ?!」


「ちょっと、地球規模の危機をついで呼ばわりしないでくれます?」


そう文句を言ってくるのは、いつも通りの巡。研究室の関係者に格上げされたとはいえやっていることはいつもと変わらない。茶を飲んで菓子を食い、私の研究室でゆったりと寛いでいる。邪魔だ、せめて研究の資料でも読んでくれ。


「そう言われたくないなら、せめて何か手伝ってくれ。お前、ライターなら英訳くらいできないか?」


「Oh, I can‘t write English !」


「無駄に流暢なのが腹立つ。なら恋愛マニュアルでも読んでてくれ」


「え~……俺の100年より重みのあるマニュアルとか、存在するの?」


「偉そうにするな。お前に恋愛センスがねえから100年もかかってるんだろうが」


「ウィッス……」


力ない返事をして、巡は本棚へと移動する。科学魔法関連の研究書の端っこ、そこから桃色の書籍を一冊取り出してソファに座り込む。


「『恋のイロハとその実践について』……なんかお堅いタイトルだね、これ。恋愛指南書というより論文みたい」


「書店レビューはちゃんと高い、実践的な恋愛指南書だ。安心して読め」


「どれ……本当だ、レビュー高っ。『この本のおかげで彼女ができ、宝くじが当たり、マッチョになれました!』……本当に大丈夫か、これ」


「文句は読んでから言ってくれ。私は忙しい」


「へいへい」


巡はパラパラと本を捲っていく。本当に読んでいるのか怪しいスピードだが、まあ文句は言うまい。こいつが静かになっただけでも本を用意した価値がある。




そうして静かな環境でパソコンに向かい必死に作業をしていると、コンコンと控えめなノックがされた。私が返事をすればすぐに扉が開く。


「や、スライド進んでる?」


「杉浦教授、どうかしましたか?」


現れたのは、杉浦教授。農業科学が専門でこの間のボランティアではお孫さんと一緒に参加した、孫活が盛んなおじい様。研究の畑も違う彼だが、今日は一体どんな用事だろうか?


「突然だけど、ゴールデンウィークって時間あるかな?」


「まあ、時間は作れないことはありませんが……」


「そっか~……実はね、福引でホテルの宿泊券当てちゃったんだけど、日程がどうしても合わなくて。よかったら君たちに使って欲しくて」


「えっ……いいんですか?研究室の人とか、そちらの身内は?」


「いいんだよ、この間のひろの事もあるし。お礼だと思って、是非とも行ってきてくれたまえ」


ひろ、という名前に反応したのは巡だった。


「ひろくん、その後どうですか?」


「ああ、元気に保育園に通っているよ。早速お友達ができたみたいだ」


「それならよかったです!」


巡が笑顔で会話をすれば、杉浦教授もにっこりと微笑んだ。そして巡の手に、数枚のチケットを押し付けていく。


「という訳で是非とも遊びに行ってね」


「えっ、えっ」


「それじゃあ、私も研究があるから……後はよろしく」


そう言い残し、杉浦教授は年齢に見合わない健脚で颯爽と去っていった。残されたのはチケットを握りしめぽかんとした顔をする巡と、それを見つめる私。


「……どうしよ、これ」


チケットを差し出してくる巡。私はそれを受け取ると、そこに書かれた文字を読み上げた。


「『秋田菜の花ホテル』、有効期限はゴールデンウィークいっぱい、ね」


「しかも何枚もあるよ、これ。5、6人は行けるんじゃない?」


「……せっかくのご厚意だ。仕方ない、行くか」


カレンダーを確認しながら私がそう言うと、巡は少し微妙な顔をした。


「う~ん……でも行ってる暇あるの?研究とかは?」


「それは何とでもできる。実験データだけは大量にあるからな、最悪私が徹夜すればいいだけだ」


「え~……徹夜とか、やめなよお」


「最悪の話だ、とりあえずは大丈夫だよ。それに……」


「それに?」


私はカレンダーから視線を動かす。その先にあるのは、壁に掛けられた出勤表。もちろん私と純浦さんの予定が書かれているものだ。そこにはゴールデンウィークの予定もバッチリと示されている。


「ゴールデンウィーク……偶然にも純浦さんも、出勤予定が入っている。これを休日に変更してやれば……彼女は暇な休日が突如できる。すると……」


「すると……?」


「……秋田旅行に行く口実ができる、という訳だよ」


ニヤリと笑みを浮かべながらそう言うと、巡はハッとした表情になる。勢いよく私の方を振り向いて、わなわなと震え始めた。


「そ、そ、それってつまり……」


「ふふふ……そう、純浦さんと小旅行ができるという寸法よ」


「な、なんてこった!依留ちゃんすごい、天才!!」


パチパチと拍手をしながら私を褒める巡。ふふ、気分がいい。もっと褒めてくれてもいいぞ。


「はっはっは……天才の私にかかれば、このくらいの調整はすぐできるという訳だよ!」


「よっ!若き准教授!将来有望、いや今も有望株!!」


「ふっ……そんな訳だから、早速誘いに行くぞ。あと院生も誘っておこう。カムフラージュだ」


「うっす!」


「お前は撮影係として連れて行く。カメラを忘れるなよ」


「了解です、ボス!」



――こうして私たちは、1泊2日の小旅行をする運びとなったのだった。


――とんでもない出来事が待ち受けているとは知らずに、な。



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