十四話 ヤーコプ・グラーペンとの面会
久しぶりの更新ですみません。
ナタリーが声をあげて泣いた日から三日経った。
摂政皇女ユーリアはユラン伯を伴って、皇帝の寝室にいた。
久しぶりに、皇帝は寝台から起き上がり、皇帝らしい華やかな青いジャケットを着こんでいた。
「久しぶりにお父様のそのような姿を見ます」
ユーリアの声は澄んでいる。ユラン伯には空々しく聴こえた。
「近頃臥せってばかり故、仕方あるまい」
「でも、時折、お散歩などなされば、お元気にもなりますわ。私やエルヴィーラ嬢などと一緒にお散歩しましょう」
「……そうだな、だが、お前は摂政となり忙しかろう。エルヴィーラと共に散歩でもするか」
「ええ、お勧めしますわ」
ユーリアはそう言うと、父親の手を取り、執務室まで共に移動した。
ユラン伯はその後ろを歩いた。ベルク公も同じように歩く。
「――本日は、ヤーコプ・グラーペンが来るのですよね」
ユーリアが言うと、皇帝は、
「そうだ、そなたを紹介する」
と言った。
ヤーコプ・グラーペンはアルプス山脈の東部にあるチロル銀山を管理している商人だった。
ヤーコプはマクシミリアンに対して、銀山の運営権を引き換えに莫大な資金を貸していた。
マクシミリアンの資産の大部分が、ヤーコプによって支えられている。
そのヤーコプをユーリアに紹介するということは。
マクシミリアンの次代に支援すべき人間はユーリアであると示したことになる。実質、ユーリアがマクシミリアンの後継であると宣言するようなものであった。
ユラン伯はポーリーヌの件を含めて、皇帝の真意を測りかねていた。
アルジャン公国からの帰国以来、皇帝はユーリアを重用しているのは明白であったが、その心は不明瞭だった。
皇帝マクシミリアンが執務椅子に座ると、丁度、ヤーコプ・グラーペンが来たことをハンネローレ・フォン・マリアツェルという侍女が告げた。
ヤーコプはハンネローレに案内されて、皇帝の執務室に入室した。ハンネローレという侍女がユラン伯の顔をじっと見たことに、ユラン伯は気づいたが、よくあることだったので、気にしなかった。
ヤーコプは鳶色の髪に琥珀色の瞳をした、鷲鼻が特徴的な初老の男だった。
ヤーコプは恭しく臣下の礼を取った。
「面を上げよ」
皇帝が威厳を以って言った。
ヤーコプは顔を上げ、皇帝と皇帝の隣に寄り添うように立っている皇女を見た。
「お久しぶりでございます、皇帝陛下。また、お初にお目にかかります、摂政皇女殿下」
「久しいな、グラーペンよ。チロルの銀山の様子はどうだ?」
「以前と変わらず、良い銀が取れております」
「――最近は、ノイゾールの銅山も買い取ったと聞いているが」
ノイゾールとは、ブルグントの南西にある隣国ニトラにある地域だった。ニトラは南に隣接するパンノニアに支配されている。
「はい、良い銅山でございました」
「そうか、そなたの商売は順調なのだな」
「それも、全て皇帝陛下のお陰でございます」
ヤーコプの言葉に、マクシミリアンは笑った。
「そう、持ち上げることもあるまい。そなたがいなければ、我がブルグントは立ち行かぬ。そのような重要なそなたに我が娘を紹介したい」
マクシミリアンはそう言うと、ユーリアの美しい顔を見上げた。
ユーリアはお辞儀をした。
「神聖イリア帝国皇帝、マクシミリアンが長女、ユーリアでございます」
ユーリアが紫色の瞳をヤーコプに向けた。
ヤーコプは琥珀色の目を見開き、暫し固まっていたが、慌てて、
「改めまして、ヤーコプ・グラーペンにございます。殿下のお噂はかねがね、これほどまでお美しい方だとは思いもせず」
と言った。
「皇女はな、亡き皇后に生き写しなのだ」
このマクシミリアンの言葉には、懐かしい響きがあるように、ユラン伯には聴こえた。
「はあ、そうでございましたか。亡き皇后陛下にお会いしてみとうございました。しかしながら、瞳のお色が陛下に似ておられますな」
「――ホーエンシュタウフェンの紫を引き継いで生まれて来たのは、このユーリアだけであった」
マクシミリアンの声音は感慨深げであった。
「さようでございましたか。美しいお色でございます。紫色の瞳をしたこのお方こそ、陛下の後継に相応しゅうございましょう」
ヤーコプの言葉は、瞳の色のことだけではないだろう。
彼はここに来るまでの間に、皇女ユーリアがアルジャン女公として何をやってきたか、調べに調べただろう。
「――まあ、嬉しいことを言ってくださいますね。グラーペン卿」
ユーリアはふふ、と高貴な響きを以て笑った。
「グラーペン卿、私は多く支援を必要としております。女の身でございます故、そなたの助けが今まで以上に必要でございます。これからよろしくお願いしますね」
ユーリアは嫣然と言った。
多く支援を必要とする、というのは、皇帝となるための選帝侯への巨額の賄賂のことを意味していた。
ユーリアは女であるため、その分不利となる。それを金銭で埋めようとしていた。
ヤーコプはユーリアの言葉を受けて、頭を垂れていた。
ユーリアの紅色のローブに包まれた華奢な背中を見て、ユラン伯は三日前のことを思い出していた。
三日前、ナタリーが泣き叫んだ後、ユルシュルはナタリーと共にユーリアの執務室から退室した。
ユラン伯とユーリアだけが部屋に残されたのだった。
静かになると、ユーリアは緑色のローブを引きずりながら、夕刻のオレンジ色の光を流し込む窓辺に立った。
緑色のローブに包まれたユーリアの背中は微かに震えていた。ユーリアの右手は口元まで伸びていた。
――ユーリア様? 泣いておられるのですか?
ユラン伯がユーリアに尋ねるも、ユーリアは返事をしなかった。
――アルチュール・ド・シュヴァリエが死んだときもお泣きにはならなかったのに。
ユラン伯は、年若い主君の震える背中を見て思った。
此度のことは、真相に辿り着いて、余程堪えたのだろうか。
ユラン伯には、ユーリアの心情全てを推し量ることはできない。だが、泣いているという事実だけあればよかった。
ユラン伯は己の心臓の音が大きく聴こえるような心持ちだった。ユラン伯は一歩一歩、ゆっくりとユーリアに近づいた。
――あのときは、何もできなかった。
四年前のユーリアの毒殺未遂の折は、ただ見ていることしかできなかったが。
今ならば。
ユラン伯はユーリアの背中に立ち、両腕を伸ばした。頼りなげな背中を包むようにして、白く美しい首元に軽く腕を回す。
ユーリアの身体はさして暖かくはなく、冷えていた。次いで桐の花の匂いがユラン伯の鼻を掠めた。
ユーリアに抵抗する様子はなく、ユーリアは顔を振り向かせ、ユラン伯の顔を見上げた。
紫色の瞳は涙で濡れており、ユラン伯はこの世で最も美しいものを見たと思った。ユーリアの目から涙が溢れ、白い頬に涙が伝っている。
ユラン伯の腕が微かに震えた。ユラン伯は一瞬、ユーリアが震えたのか、と思い違いをした。
静かすぎるほど静かなユーリアの執務室に、ユラン伯とユーリアの鼓動が響いているかのようだった。この世に二人だけがいるかのように、ユラン伯は錯覚をした。
黄昏時でも、ユーリアの紅い唇は目立った。
――エルヴィーラ嬢を呼びましょうか。
ユラン伯はそう言うと、ユーリアから腕を離した。
ユーリアは黙って頷いた。
今のユーリアは、あの時着ていた、恋を象徴する緑色のローブでなく、高貴な紅色のローブを纏っている。
――まるで何事もなかったかのように。
ユラン伯は紅色のローブに包まれたユーリアの背中を見て思った。
あからさまなシーンが来ました。
ヤーコプ・グラーペンのモデルはフッガーです。




