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第九話 大理石の階段の響き


 帰国したばかりのブルグント第一皇女ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェンがケルンテン公ニコラウスに代わり、摂政となったという報は、瞬く間に皇宮中に広がった。


 クロイ公ヴォルフ・フォン・クロイは甥が摂政の地位を追われたことを伝え聞いて、歯切りしていた。


 解任の理由は、“商人との対立”である。


 そもそも、商人との対立はブルグント第一皇女にしてアルジャン女公であるユーリアが、アルジャン商人のブルグントへの通商を止めたことが原因だ。


 帝国というこの世で最も偉大な称号を手にしているブルグントは、帝国を維持するために多大な金銭を必要としている。

 それは戦費であったり、皇帝を選ぶ選帝侯たちへの賄賂であったり、用途は様々である。

 ブルグントの皇帝は商人との融和を図らなければいけないのだ。


 それをケルンテン公ニコラウスは失敗した、とみなされる。


 第一皇女ユーリアは摂政に就任した途端、融和を成功させた。だが、その実態というと、通商の優先権を新たな商人に付け替えていた。優先権を取り上げられた商人たちにはケルンテン公への不満だけが残った。


 ――全ての元凶は皇女であるのに。


 クロイ公は玉座の前に立っている摂政皇女を睨みつけた。


 象牙製の玉座には、ホーエンシュタウフェン家の紋章である三頭の黒獅子の模型が背もたれの上に飾られ、玉座全体には聖書の物語が象徴的な彫り物として施されている。

 この日、玉座の間で行われた大評議会には皇帝は出席せず、信頼している摂政皇女が任されていた。


 だが、議題は皇帝に関するものだった。


「私は四年もこの国を離れていた故、詳しいことを知らず、非常に驚いているのですが、母の喪が明けたというのに、皇后の位が空位のままです」


 摂政皇女ユーリアは、臣下たちを見下ろして言った。

 玉座は三段の大理石製の階段の上に位置し、昇降の際には、足音が玉座の間に高く鳴り響く。


 あの場所は甥の物だった。

 ブルグント宰相であるクロイ公は皇女を見上げながら思った。己の誰よりも年嵩の男たちを見下ろすのは、さぞ気分の良いことだろう。


 摂政皇女ユーリアは、このところ、喪服は着ていなかった。

 この日、ユーリアは金糸により千花文様をあしらわれた緋色のローブを美しく着こなしていた。そのローブは新たに宮廷御用達となったブルグント商人から買い付けたものだという。


「帝国としては、アウソニア方面へ力をいきたいところ。私はアウソニアの公女のどなたかを新な皇后として望みたい」


 この摂政皇女は、父親の結婚にも口を出す。

 多くの臣下は互いに顔を見合わせた。そもそも、皇女自身も継母を望むだろうか。


 ――新たに皇后を迎え、その若い皇后から皇子でも生まれてみろ。ニコラウスはおろか、皇女とて立場を失う。


 クロイ公は焦りを隠せなかった。


「……皇女殿下、陛下はこの四年間、新たな皇后陛下を望まれませんでした。これからもそうだ、と仰っております。新たな皇后陛下をお迎えすることは難しいでしょう」


 銀髪に青い瞳を特徴としている、ラーシャウ候が皇女ユーリアに言った。

 ユーリアは一呼吸置いて、淡々と言った。


「……そうですか。アウソニア政策の要となると思っておりましたのに、残念です」


 皇女の様子は、皇女が口で言うほどの態度ではなかった。


 アウソニア地域は多くの国に分かれている。現在、そこのネアポリス王国を巡り、レグザゴン王国はネアポリスに侵攻していた。ブルグントは神聖イリア帝国として、アウソニア諸国とヒスパニアと共に神聖同盟を立ち上げ、レグザゴンと戦争をしている最中である。


「皇女殿下、皇后陛下不在の中、シューレンブルク公夫人が宮廷第一の貴婦人として、皇帝陛下をお支えしておりました」


 クロイ公の口から、思わず言葉が溢れ出した。

 親の結婚に口を出す生意気な娘に対して、彼は何か言ってやりたいと思ったのである。


 ユーリアはゆっくりとクロイ公の緑色の瞳に、自身の紫色の瞳を向けた。その瞳は感情を押さえている様子が目に取れた。クロイ公には少なくとも、そう見えた。


「――そうですか。それでは、私から後ほど、薔薇の宮殿の主に礼を言いましょう」


 そう言って、ユーリアは少し微笑んだ。


「また、殿下の気にされているアウソニア政策の件でございますが、ケルンテン公がおります。ケルンテン公殿下が娶られれば……」


 と、ここまで言って、クロイ公は口を閉じた。彼は驚きのあまり、言葉を続けることができなかった。


 ユーリアの瞳が赤く変色していたからだった。

 ホーエンシュタウフェンの紫色の瞳の持ち主は時折、瞳を赤く変える。それは、内に秘めている感情が抑えきれぬ時に現れる。


「――それは一体どういうことです? この国の“殿下”は私だけのはず。それに、庶子如きが一国の公女を娶る?」


 ユーリアはそう言いながら、玉座の前の階段を降り、クロイ公に詰め寄った。

 クロイ公は口を開くも、何も言葉を紡げなかった。


 ――まずい。何か言い訳せねば。


 そう思っているのに、全くできない。


「――ケルンテン公も、この考えに賛成ですか?」


 ユーリアはクロイ公の隣にひっそりと立っていたニコラウスに訊いた。

 ニコラウスの唾を飲み込む音を、クロイ公は聴いた。クロイ公は祈るように甥を見つめた。だが、甥は口を開いて、こう言った。


「――わたしめの考えではございません。伯父の考えです。甥として、殿下に謝罪したく存じます」


 クロイ公の頭は真っ白になった。

 彼は甥に見捨てられたのだった。


「――そうですか、ケルンテン公。謝罪を受け入れましょう。ですが、そなたの伯父は疲労が溜まっている様子故、休養することを勧めます」


 それは、事実上の更迭宣言であった。


 ユーリアは、クロイ公とニコラウスの伯父と甥に背を向けると、ゆっくりとした歩みで玉座の前へ昇った。


 大理石の階段の響く音が、玉座の間に大きく響いた。

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