第二話 ブルグントからの凶報
ユラン伯はユーリアの私室の前で待っていた。
部屋の中で、ユーリアはお召替えをしている。とはいっても、喪服から喪服へ着替えるだけだった。
部屋の重々しい扉をナタリー・ド・ヴィッテルが開けた。ナタリーは素朴な顔を覗かせ、身体も部屋の外から出した。
ユーリアが着替え終わった合図だった。
ユラン伯は入室した。ユーリアは執務机に向かっている。
日の光を受けて、窓ガラスの美しい模様がユーリアに降り注いでいた。
「手紙はどなたからです?」
ユーリアが訊いた。
「それが……ラーヴェンスベルク伯とバイウヴァリー大公妃からです」
「……ポーリーヌでもお父様でもない?」
逆光で、ユーリアの表情は見えにくかったが、怪訝そうな様子がユラン伯には見てとれた。
無理からぬことだ、とユラン伯は思った。
このところ、敢えてブルグントに残したポーリーヌからの報告の手紙が届いていない。その上、アルジャン女公としてブルグント皇帝との協定路線を取っているユーリアは、そのやり取りの手紙を父親と交わしていたが、最近は滞っている。
それに、とユラン伯は思う。
ブルグント関連でポーリーヌ・ド・ヴィッテルと皇帝マクシミリアン以外からの手紙は良い報せを運んでこない。
四年前の藤の花が咲き終わり、紫陽花が咲き始めたころだった。
ユーリアが正式にアルジャン公国を継承したばかりの忙しい頃に、修道女ブリュンヒルド・フォン・シュターデから手紙が届いた。
ブリュンヒルドからの手紙を読んだユーリアの表情は凍てついたように見えた。ユラン伯は心配になり、声を掛けた。
――何か、悪いことでも書いてあったのですか?
ユラン伯の言葉を聞いたユーリアはユラン伯の顔をじっと見た。やがて、重い口を開いた。
――ブリュンヒルド様の妹分にあたられるリヒャルディス修道女がクロイ公を害した犯人だとして、鞭打ちの刑の末に亡くなったそうです。
――修道女がクロイ公を?
ユラン伯は驚きを隠せなかった。胸が酷く暴れた。
――リヒャルディス修道女であるという証拠があったようです。なにやら、犯行時に犯人は手紙を落としていたそうで、その手紙の主がリヒャルディス修道女だったとか。
――しかし……。
――リヒャルディス修道女は既に亡くなりました。ブリュンヒルド様はこれを機に薔薇の庭園管理者を辞すとのことです。
ユーリアの言葉を聞いて、ユラン伯はブルグント宮廷に嵐が吹き荒れていることを悟った。
その上、ユーリアによくしていたというブリュンヒルド修道女が宮廷を去った。
ユラン伯はこの時、ブルグントにおけるユーリアの味方が去り行くことに、一抹の寂しさと不穏さを覚えたのだった。
ユラン伯は目の前のユーリアに手紙を渡した。
ユーリアはナイフで封筒を器用に開けた。そして、そのまま手紙を読んだ。手紙を読みながら、ユーリアは口元を押さえていた。
ユラン伯は、ユーリアの口元を押さえる仕草を訝しく思ったが、四年前のように芳しくない雰囲気を感じ取った。
「――ポーリーヌが亡くなりました」
ユラン伯が何か聞く前に、ユーリアが静かに告げた。
「亡くなった? 何故でございますか?」
「ベルンハルトによれば、公式には病による急死、だそうです」
「ですが、それは……」
「――殺されたのでしょうね」
ユーリアは目を伏せた。
「たとえ殺されたとするのなら、今になってですか?」
「ユラン伯の疑問は尤もでしょう。ポーリーヌは四年前からずっとアルジャンへ手紙を送り続けていた。それが気に入らぬ者がいたから殺されたのでしょう。でもそれが、“今になって”」
「陛下は? 陛下はどうされているか書いておりますか?」
「陛下は臥せりがち、とベルンハルトが」
「……そういうことですか」
つまり、皇帝の目が届きづらくなった今が死ぬ時分だったのだ。
「ユラン伯の考えは正しいでしょう」
ユーリアは多くを語らなかったユラン伯の考えを理解していた。
「陛下が臥せりがち、ということは、政は……」
ユラン伯の言葉を聞いて、ユーリアは一度目を閉じ、再びゆっくりと開けた。彼女の瞳は赤みが強くなっていた。
「――ケルンテン公が摂政をしているとか。あの男は庶子の分際で帝位に近づこうとしているのです」
ユーリアは低い声で言った。
ユーリアの言葉には、かつてブルグント出国の旅で懐かしがっていた兄妹の情が匂わされてもいないかのように、ユラン伯には感じられた。
――情を捨て去ったのだろうか?
ユラン伯は疑問に思った。ユーリアの言葉通りに解釈してよいものだろうか。ユラン伯は慎重に考えたが、進言することにした。
「アルジャンはブルグントと財政の面で協調しております。それを止めては?」
二年前、ユーリアはリュクサン公位継承戦争において、レグザゴンと争った。
レグザゴンは長きに渡り、ヘルヴェティアという国の傭兵を雇っていた。
ヘルヴェティアは二百年程前までは、神聖イリア帝国の支配下にあったが、独立を果たしており、ブルグントとは因縁の国である。
ヘルヴェティア傭兵は強く、ユーリアは彼らを雇い入れているレグザゴンに対抗するために、アルジャン国内の軍隊だけでなく、皇帝マクシミリアンが編成した歩兵部隊であるランツクネヒトを雇い入れた。
ユーリアは皇帝マクシミリアンの武力を借りるために、ランツクネヒトを雇っただけでなく、アルジャン国内の織物商にブルグント市場の優先的通商権を与えている。
ユラン伯はそれを取りやめることを進言しているのだった。
ユーリアは静かにユラン伯を見つめた。そして、声をあげて笑うと、言った。
「確かに、私はお父様としか約束をしておりませんものね。織物商の販路として、アウソニア方面などに力を入れてもらいましょうか」
アウソニアとは、地中海に面した地域のことだった。そこは細かな国に分かれ、ラ・セレニッシマと呼ばれる都市は、東方交易の拠点でもあった。
「商人たちに連絡いたしましょう」
「ユラン伯、お願いね」
そう言うと、ユーリアはもう一通の手紙に目を通した。やがて、読み終わると、ユラン伯に言った。
「ヒルデガルト叔母様は、このアルジャンに訪問されるそうですよ」
「――こちらにですか。何のご用でしょうか」
バイウヴァリー大公妃ヒルデガルト・フォン・ホーエンシュタウフェンは、皇帝マクシミリアンの妹であり、ユーリアの叔母にあたる。
「さあ、わからないわ。久しぶりに姪に会いたい、とだけしか」
「念入りに準備が必要でしょうね。いつ頃来られると書かれておりますか?」
「三週間後です。この件もユラン伯に頼みます」
ユーリアはそう言うと、手紙をそっと封筒にしまった。
ユラン伯は久しぶりに、人や事が動いていくことに落ち着かぬ思いでいた。




