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エピローグ エーの森

 “エーの森”と呼ばれるナンシーの西に広がる森は、歴代アルジャン公が狩猟地として利用してきた。また、木材の供給源でもあり、城の建材や燃料として使われてきたのだった。


 うららかな春の日差しは、エーの森の木々に降り注ぎ、木々の葉はそれぞれ違う色で風に揺れていた。揺れる木々の間を日差しが通り、煌めく木漏れ日を作り出す。木漏れ日の光の暖かさは、それを見るユラン伯の心を落ち着かせた。


 ユラン伯とユーリアは二人きりで、エーの森で乗馬をしていた。正確に言えば、騎士のエルキュール・ド・シュヴァリエと厩番を連れてきてはいるが、彼らは貴人の近くに侍ることなく、声が聴こえぬ程度の距離に控えていた。


 ユーリアは美しい白馬に乗っていた。白い鬣が木漏れ日で煌めき、馬上のユーリアの黒い喪服に暖かな日差しが落ちている。


 ユラン伯は恐れ多いことに、ユーリアから貸し出された栗毛の馬に跨っていた。

 この馬も大変美しく、ユーリアが乗る馬と更にもう二頭を合わせて四頭の馬が、ヌシャトー領主からアルジャン女公ユーリアへ献上されたのだった。


 ヌシャトーはヴィッテルの北西にあり、内乱では中立を保っていた。ユーリアが勝利したことで、慌てて美しい四頭の馬を献上したのだった。


 四頭の馬はそれぞれ、白毛、栗毛、青毛、芦毛という体毛をしており、ユーリアはそれぞれに、コンケット、ゲール、ファミーヌ、モールと名付けた。


 それは、アルジャン公国の領民が使うレグザゴン語の言葉で、支配、戦争、飢餓、死を意味していた。そのような名付けをした主君に対して、ユラン伯は思うことがあったが、黙っていた。


 馬の蹄の音が柔らかな土の上で微かに響く。


 ユーリアとユラン伯は黙ってエーの森の散策を続ける。

 ユラン伯にとって、エーの森は懐かしかった。


 歴代アルジャン公の例に漏れず、先々代アルジャン公シャルルは狩猟会をよく開いていた。小姓として先々代アルジャン公に仕えていたユラン伯はシャルル公の側近くを走り回って、狩猟の手伝いをしていたのだ。ユラン伯は鹿を射るために、弓を引くシャルル公の怜悧な横顔を今でも思い起こすことができる。


 シャルル公は甥にあたるユラン伯を、それなりに可愛がってくれていたと思う。彼は途方のない野望のために、男児を望んでいなかったが、アルジャン公を引き継ぐ可能性が低く、幼かったユラン伯のことは何の逡巡もなく、甥として接していた。


 ユラン伯はアルジャン公の甥ではあったが、ユラン伯の父親は正式なアルジャン公の弟であったとはいえ、貴賤結婚の末に騎士の娘から生まれたために継承権を認められていなかった。ユラン伯の父親も公位継承権を望んではおらず、異母兄とその一家の補佐をすることを望んだ。


 だからか、ユラン伯は己に貴種の血が流れているということの実感はなかった。だが、ユラン伯の兄は違ったらしい。


 当時、ユラン伯には十二歳離れた兄がいた。彼はエレーヌと親密であった。親密であった理由は様々だろう。エレーヌは美しく、当時は明朗としていた。ユラン伯の兄はエレーヌの夫になることを望んだ。


 それが純粋な思いだったかは、ユラン伯にはわからなかったが、少なくとも兄は内乱の最中に死んだ。

 エレーヌはユラン伯の兄の死を看取り、皇帝マクシミリアンに嫁いだ。


 結局、幼かったユラン伯には、何が起こったかはわからない。だが、牢で再会したアリアーヌは、何か含みを持っていた。しかし、それはユラン伯を揺さぶるための嘘かもしれなかった。


 ユラン伯は、木々に目を向けて馬を歩かせている主君の美しい横顔を見た。その横顔は懐かしいシャルル公に似ているように見えた。


「ユラン伯」


 不意に、ユーリアがユラン伯を呼んだ。


「なんでございましょう、ユーリア様」

「此度のことで、そなたに苦労を掛けました」


 それは、旅路のことであったのか、アリアーヌの処刑のことだったのか。ユラン伯には図ることができなかった。


「苦労だとは思っておりません」


 ユラン伯がそう答えると、ユーリアは少し笑った。


「もう、私たちの間にある溝は解消されたと思って良いのかしら」


 ユーリアの言葉を聞いて、ユラン伯はアリアーヌの件の方だと思った。

 確かにアリアーヌがこの世にいないとなれば、処刑か助命かと議論する必要はない。

 それは当たり前すぎる話ではあるが、残酷なことでもあった。


「……わたしはユーリア様に仕え続ける者ですから」

「呆れたら、離れても良いのですよ」


 ユーリアはクスクスと笑った。


「ユーリア様、ご冗談はお辞めください」

「ねえ、ユラン伯、正式な仲直りついでに、私の夢を話して良いかしら?」

「なんでございましょう?」

「――ディジョンを取り戻したいのです」


 ディジョンは、かつてアルジャン公国の宮殿があった。シャルル公もエレーヌもアリアーヌもそこで生まれ育った。だが、シャルル公が戦死し、内乱が勃発した際、内乱を扇動したレグザゴンに奪われた。


 それ以来、アルジャン公の住まいはナンシー城である。ディジョン宮殿はレグザゴン王の別荘となった。


「それは、途方もない夢ですね」

「母も取り戻せなかったディジョンですからね。美しい宮殿だったと聞くディジョン宮殿を私は見てみたいのですよ」

「――ユーリア様の夢のためでしたら、わたしはお手伝いしいたします」


 ユラン伯は心の底からそう思った。


「ありがとう、ユラン伯」


 ユーリアは嬉しそうに言った。

 ユーリアが心底、嬉しそうなそぶりを見せるのは、久方ぶりのことだった。それだけ、今回の内乱までの道のりは平坦ではなかった。


「ユーリア様の夢は、ディジョンだけでしょうか」


 ユラン伯は訊いた。


「……そうね、今はそなたしかおりませんので、もう一つ夢を言いましょうか」


 ユーリアはコンケットをユラン伯が騎乗するゲールに近づけた。それに伴い、ユーリアとユラン伯の身体が近づく。向かい合わせになるように身体を近づけたユーリアは、ユラン伯の耳元で言った。


「いずれは、ブルグントへ戻り、ブルグントの継承権を盤石なものとしたい。――それが目標です」


 夢とは言わずに目標と言ったユーリアの言葉を聞いて、ユラン伯はぞくり、とした。


「――その目標は必ず果たせるよう、わたしもお手伝いいたします。それが貴女様の生き抜く理由となりましょう」


「そうね、それが私の生れてきた意味でしょう」


 ユーリアはそう言うと、微笑んだ。そして、でも、と続ける。


「そのためには、アルジャン公の立場を盤石なものにしなければ。皇帝陛下に私が有用であると示します」


 ユーリアはコンケットをゲールから離した。ユラン伯に背を向け、ふふ、と笑う。


「落ち着いたら、領主たちを招いて狩猟会でも開きましょうか。このエーの森、私は気に入りました」


 ユーリアはそう言うと、コンケットを走らせた。

 ユラン伯は慌てて、ゲールを走らせ、コンケットに着いていく。


 木漏れ日が美しいエーの森を、アルジャン女公とその侍従長が馬で駆けていく。

 遠くから見ていたエルキュールは慌てて追いかけていく。


 ユーリアは美しい木々を見ながら、愉快そうに笑った。

 ユラン伯は主君の美しく、無邪気な笑顔がこれからも続くことを心から願った。



第二部完

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