ep.097 芽吹き
二日に一回といいましたが、嘘です。
しばらく毎日更新いたします。
雪が解けたばかりでぬかるんだ土の上を車は走っていく。右にも左にもだだっ広い平原が広がっていた。雲に覆われた灰空から時折太陽の光が差し込んで、ささやかに芽吹き始めた草花を撫でた。
送別に反逆軍から貰った車は古びていたけれど良いもののようで、悪路の割に車は揺れない。とはいえ、四人乗りなので、ナタリア、ライ、エルザ、リュエル、ルカの五人を乗せるとかなり窮屈だ。
「前方に人影よ!」
ハンドルを握るエルザが叫び、ナタリアは目を凝らす。冬を越した平原の茶色とほんの僅かな緑色が見えた。その狭間で立ち上がる人影が一つ、二つ、三つ。攻撃をしてくる気配はなく、ナタリアたちに向かって手を振っている。
「どうしたんですか?」
薄汚れた服を纏った男と女、それから老婆の隣でエルザは車を停止させる。泥にまみれて消耗した姿の彼らは長いこと平原を彷徨っているようだった。
「おいらたち、この辺りの村さ住んどったんだ。町の方に出てな、帰ったら家がなくなっとったんだ。ありゃ、戦車にひき潰されたんでえ。村ぜんぶな、耕した畑みたいになっとったんじゃ」
独特のなまりに大きな身振り手振りを添えて男は話した。
「この辺りって、レーヌエルベの基地は!?」
リュエルが身を乗り出すと、男は首を横に振る。
「帝国の野郎どもにやられちまっただよ。あっちさ行っても何もないだよ」
「レーヌエルベが、落ちた……?」
ライが茫然と呟いた。
「いつのことか分かりますか?」
「うーん、いつだったべか?」
リュエルの質問に頼りなく首を傾げた男の代わりに、男の妻らしき女が返答する。
「今は、二つ週をまたいだぐらい。私たちは新しい家、畑の場所、を探してる」
二週間前というと、ちょうど反逆軍と帝国軍の戦いが熾烈を極めていた頃だ。情報が入って来なかったことも納得できる。
「このまま進んでも、カイルさんたちには会えないかもしれないわね」
「ですね……。他に何か知っていることはありますか?」
今まで動かなかった老婆がずいと両手を出す。情報が欲しいのなら、対価をよこせということだ。リュエルはルカにパンと干し肉を持ってきてもらうと、老婆の手にずしりと乗せた。
「そこにいた兵士が、シデの山の方へ行くの、を聞いた」
「このババアの言ってること、信用できるんすか? センパイ」
背伸びをして失礼な発言をかましたルカの頭をリュエルがぺしんと叩く。だというのに、ルカはむしろ嬉しそうだ。
「ごめんなさい。失礼しました。……でも、根拠がもらえると助かるのですが、どうですか?」
老婆は草の上に置かれた古びた皮の鞄をごそごそとやる。アナグマを思わせる動きで鞄から取り出されたのは、ひしゃげた通信機だった。
「これが、言ってた」
老婆はリュエルの手に通信機を押し込む。がさがさの節くれだった手だった。
「ありがとうございます」
男たちと別れ、ナタリアたちは車で近くの街へと向かった。参謀長官と敵対しているわけなので迂闊に街に立ち寄るのは危険なのだが、車を動かす燃料を補充する必要があった。
車の燃料を補充し、エルザ、リュエル、ルカの三人が食糧を調達。ナタリアとライはどうしても目立ってしまうので、車で待機。用が済んだら、曇天の街を抜けて車は走り出す。
老婆の指したシデ山の方、ゴドアという地域へ。
ゴドアはレーヌエルベから南西に向かった場所であり、ハルバトアの北に位置している。共和国から帝国に渡って長く西側の国境を作るゲシュペンスト山脈の程近くだ。レーヌエルベが落ちたとなると、戦線が後退したということになる。共和国にとっては少なからぬ痛手だろう。
平原の次は森。舗装されていない道を進むのは変わらないが、木の根が所々せり出す道を進むのは容易ではない。その上、新芽をつけた木々の間を縫うようにして通る道は当然真っすぐではなかった。
エルザとライが交代でハンドルを握って目的地をめざすけれど、まだ遠い。とっぷりと日が暮れたところで、ライは道の脇の開けた場所で車を停めた。甘い紫に浸かった森の中は視界が悪くなりつつあった。
「また地べたで寝るんすか……。身体痛くなるから嫌なんすけどー」
焚き火用に小枝を探しながら、ルカが不平を鳴らす。
「しょうがないでしょ! どこまで閣下の手が伸びてるか分からないんだから!」
「でもー!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐリュエルとルカをナタリアは眺める。近くのせせらぎで水汲みをしてきたところだった。たっぷりと縁まで水の入ったバケツを車の側に下ろしながら見ていると、リュエルが石に躓いた。顔から転びそうになるリュエルの襟首をルカが捕まえる。代わりにせっかく集めた小枝が宙を舞った。
ぱち、とまばたきをする。ルカとリュエルの間で何かが変わった、と思う。具体的に何が、と問われてもナタリアには答えられないけれど。以前のルカであれば、転ぶリュエルを助けなかっただろう。
「ルカは、ルカなりにリュエルを大事にしているんだと思う。一度は失ったと後悔していたようだったから」
「ライ……」
薄闇の中をよく利く夜目で狩りをしていたライはウサギを三羽抱えていた。ウサギには外傷がなく、頚椎を折られて死んでいる。ウサギの解体方法は知識としては知っていたけれど、実際にやるのは初めてだった。やけに手際のいいライと共にナタリアはウサギの毛皮を剥いで、血抜きをしていった。
温かいままの死骸に触れるのは奇妙なもので、眉を微かに寄せる。何度も命を奪ってきた身であれど、命の失った身体を触ることはなかったから。つい先ほどまで跳ねまわっていた生き物が調理されるための肉塊へと変わったのだと考えると、二つが結びつかなくてどうにも不思議だった。
小枝を拾い終えたルカが火を起こすと、料理班のエルザとリュエルが仕入れたばかりの食材とライの仕留めたウサギを使ってシチューを作り始める。温められた牛乳の、陽だまりのような香りが漂うようになった頃にはもう、世界は夜の中に落ち込んでいた。
「毎日これでもいいかも……」
シチューをおかわりしながらリュエルが呟いた。ナタリアは空っぽの椀とリュエルを見比べ、おかわりという手法があることを理解する。
「エルザ、わたしも〝おかわり〟がほしいです」
「もちろんよ」
エルザが微笑んだ。焚き火の明るい光に照らし出された目元には小さな皺が刻まれる。
エルザ・レーゲンシュタットは特殊諜報部隊の古参株だ。ライの入る前からずっと、はみ出し者の集まるこの場所にいた。もう決して若くはない。灰色の柔らかな瞳には降り積もった時と同じ色が滲む。くすんだ金の髪は幾度も色を抜いているから傷んでしまっていた。本当の色は栗色なのだと言葉にはしないけれど、皆知っている。透き通った髪の先は橙の光を受けてきらきらと輝いていた。
「カイルさんたちにゴドアで会えるといいわね」
「ですね、大尉──第七位使徒に追いつかれる前に閣下の様子とかも調べられるといいんですけどね」
それでふつりと会話が途切れた。アルバの話が出るときはいつもそうだった。ライは悲しい顔を、リュエルとエルザは寂しい顔を、ルカはそのどちらとも取れない曖昧な顔を。ナタリアは裏切り者は処刑すべきだと認識しているけれど、口にしてはいけないように思えたので唇を結んだままでいる。
以前、ルカを撃ったときにライに怒られてしまったことを思い出す。またライを失望させるようなことはしたくなかった。
「明日も早く動けるようにもう寝ましょうか」
地面の上で毛布にくるまって、一人一人眠りにつく。寝ずの番を買って出たライだけが目を開けていた。
季節が春に移ろった共和国領に入っても、まだ夜に毛布は手放せない。身体の奥まで突き刺す寒さとは違う、手足を這うような寒さが残っているからだ。
髪をほどいたナタリアは、毛布の下で赤子のように手足を縮めた。ごつごつとした固い地面の感触が伝わってきても、どんな環境でも寝られるよう訓練された身体なので気にはならない。ふと一度は閉じた目を開けてみると、燻っている仄かな炎に照らし出されるライの顔が目に入った。
ゆっくりと身体を起こして毛布を握って、ライの隣に身を寄せる。ライの藍の瞳が少しだけ大きくなった。
「ナタリア、どうしたんだ?」
低い声が優しく響く。勢いを失くした焚き火では、焼けて崩れた木の間から漏れる赤い光が時折明るくなる。まるで呼吸をするように。
「理由はありません。自分でもわかりません。ですが、あなたの隣が……その、良いように思えたのです」
半ば自分の膝に向けてナタリアはそう言った。なぜだかライの顔を直視できなかったのだ。ふ、とライが吐息をこぼす音がした。視線を少しだけ上げると、ライは笑っていた。
「うれしいな、なんか」
「それなら、よかった、です。わたしも、うれしい、です」
ぎこちなく言う。うん、とライはやっぱり優しく頷いた。
「レーヌエルベが落ちてしまったから、この先どうなるか分からなくなったな」
「はい。順当に行けば、ゴドアで革命派と合流して反逆軍との協力体制を確立していくことになるでしょう。ですが、不確定要素が多すぎます」
カイルたちの居場所がゴドアであるかすら怪しい。老婆に貰った通信機はバッテリーが駄目になってしまって、通信を繋げることもできなかった。
「……それに、アルバもいるからな」
ライの視線は焚き火の薄明かりを彷徨う。
「アルバのことを、俺は何も知らなかったんだ。もう少し、知ることができていたら、違ったんだろうか。アルバが俺より強いということさえも、気づけなかったんだ」
「大丈夫です。純粋な性能ではわたしの方が優れていますから、わたしがあなたを守ります」
眉を下げてライが微笑む。最適な返答ではなかったようだ。けれど、ナタリアではライのこころを守ることはできなくて。
「……申し訳ありません。まだ、わたしにはこころが、わからないのです。わかったのなら、よかったのですが……。改善が必要なことはわかるのです。ですが、少しでもわかったと思えばすぐにすり抜けてしまって」
「いいんだ、それで。俺たちは不完全だ。でも、知ろうと努力することは間違いじゃない。……きっと、それでいいんだと思う。ナタリアは充分に、人になれてる」
ナタリアは目を見開いた。琥珀の瞳がライの顔を映して煌めく。
「人に、なれてますか、わたしは?」
「うん。だって、君は俺を心配したろう? それに、嬉しそうだ。君の目がそう言ってる」
まだライと出会ったばかりの頃もライはナタリアに同じことを言った。その時ナタリアは、目は喋らない、気のせいだ、と返答した。けれど、今は──
「そうだとしたら、それはあなたのおかげです。あなたが、わたしに教えてくれたのです、ライ」
虚を突かれた顔をしてからライはくしゃりと笑った。この黒い夜よりも青い綺麗な藍の双眸がとろけるように笑んでいる。
──あなたの目が〝うれしい〟で満たされていることも分かるのだ。
ライの頭がナタリアの肩に乗った。一枚の毛布で二人ぴたりと身体を寄せているから温かい。
「休んでください。わたしは運転していませんから、見張りは任せてください」
「じゃあ、そうさせてもらう。ありがとう、ナタリア」
ライはナタリアの肩に頭を乗せたまま目を閉じた。程なくして耳元の呼吸音がゆっくりになって、ライが眠ったことを知る。睡眠効率を考えると横になって寝かせた方がよいことは分かっていたけれど、ナタリアは動かなかった。ライがここを選んだから。




