ep.098 不退点
「あの狙撃手が死んだ、……そうですか。そして、第三位使徒 紅も逝った、と」
通信機からの言葉をアルバは思わず反芻した。
照明を点けていない上にカーテンも引かれ、暗いだけの自室。盗聴機器が仕掛けられていないことを再三確認したので、今のところ安全は保障されている。とはいえ、この通信の機密性は相手側に委ねられているのだが。
『ええ。エルシオもスカーレットも命令違反を犯しましたから。当然と言えるでしょう』
極北の氷のように、その声はどこまでも透き通っていて冷たかった。
『《茨の王》が次にどう動くのか、愉しみです。マクシミリアンがあちらに流れたことですし、いよいよ、というところでしょうか』
「それであなたは良いのですか? 第一位使徒様」
思わず問う。通信機の向こうでは帝国で《夜の女王》呼ばれる女がくすりと嗤った。
『ええ、ええ。そろそろ本当に退屈していたところですから。ああ、ナタリアたちがそちらへ向かったことは聞いていますか?』
「第二位使徒から聞いています」
『そうでしたか。ソフィア──私のことが大嫌いな小さな魔女のことですね。あの子は元気ですか?』
アルバの脳裏には先日の粗茶案件が蘇った。飲まなくて正解だったと思う。
「元気ですよ、とても」
うんざりという言外の空気感が伝わったらしく、アリアがさざめくような笑声を上げた。
『……では、そちらの様子も報告してもらいましょうか』
「はい。政治の方はあなたの方が詳しいでしょうから割愛しますね。特務部隊は現在は目立った作戦行動は行っていません。俺の、ライの暗殺が一番大きな任務でしょう。第五位使徒 青はディエゴ・マクハティンの身辺警護。第六位使徒 緑は各地で反体制組織の処分を行っています」
研究者でもあったディエゴ・マクハティンがつくった使徒は全部で七人。
第一位使徒 全能。
第二位使徒 智恵。
第三位使徒 紅。
第四位使徒 黒。
第五位使徒 青。
第六位使徒 緑。
第七位使徒 白。
第一位は共和国を捨てて帝国へ渡り、第二位はディエゴに飼い殺しにされ、第三位は第一位を追って帝国へ行ったがつい先日死んだ。第四位は行方をくらませ、執行機関と呼ばれる組織をつくった。第五位と第六位は特務部隊の犬。そして、第七位はこうして第二位に協力しながら第一位に情報を流している。以前グロモントで治安局と戦ったとき、ガンマに情報を横流ししていたのも、アルバだった。
「──使徒化計画では相変わらず、使徒クラスの再現と裏切りを封じる〝首輪〟づくりばかりです。第三世代の遺伝子操作は完璧に行われたという話ですが、赤子のまま成長しないそうです。実戦投入は当分先になるでしょうね」
吐き捨てるように口にした。
元々、使徒というのはディエゴの作った七つの秘薬によって生み出されたものだ。秘薬というのは比喩だが、体内に取り込むことでそれまでの身体機能を上書きする特殊な薬であることに間違いはない。
奇跡のような偶然によって、この世にあってはならないものが生み出されたのだ。
それは、適性のない者が一滴でも取り込めば、たちまち狂って身体を破壊されてしまう悪魔の薬だった。選び抜かれた七人だけが飲み干すことのできたもの。真実、悪魔との契約に等しかった。
そして、奇跡は七つで終わった。
ディエゴはアリアに心を奪われてしまい、秘薬の研究を放棄した。しかし、使徒の存在はあまりに魅力的で、棄てるには惜しい。そうして、共和国は使徒の奇跡に憑りつかれた。もう一度、あと一度、二度、三度、もっと、もっと……。戦争に終止符を打つための研究は、いつからかそれ自体が目的となってしまったのだ。
「……使徒化計画については以上です。また、レーヌエルベが落ちましたが、それはライたちを逃がしたカイル・ウェッジウッドらに対する第二位使徒の報復です」
カイルたちを殺さないギリギリを狙いすましたタイミングをソフィアは読み切って、帝国軍の襲撃を許した。共和国の飼う魔女は、カイルに釘を刺すためだけに一つの基地を捨てたのだ。けれど、その腹いせすらソフィアは利用してみせる。
「レーヌエルベに駐留していた革命派は、後退した戦線とともにゴドアへ移りました。ライたちは彼らと接触するためにそこへ向かっています。俺も向かう予定です」
アリアは静かに話を聞いている。あまりに反応が薄いのでつい尋ねた。
「ライを殺しても構わないのですか?」
『構いませんよ? それで死ぬようならそれまでということです。そんなことより、私は貴方の方に興味があるのですよ』
知っている。そうでなかったら、アルバとアリアが話す機会すらないだろう。特務部隊の情報を手に入れることもアリアには児戯に等しい。わざわざアルバに訊く必要はどこにもないのだ。
「それは光栄ですね」
冷たい汗が背を伝う。先の一言でアリアの意識がアルバに注がれたのが分かったから。まるで蛇に睨まれた蛙だ。
『裏切者で嘘つきの第七位使徒。死にゆく貴方の愚かな足掻きを見せてください。すべてを欺いた貴方はどこへ行き着くのでしょうね?』
お前はどこへも行けない、と言われているような気がした。
「……」
ライたちを裏切り、国を裏切り、ソフィアを裏切って、自分さえも裏切った。行き着く先は奈落と決まっている。
「──あなたと同じ場所でしょうね」
そう皮肉ると、アリアが大きな笑みを浮かべた……気配があった。
ぷつんと通信が切れ、暗い部屋に静寂が戻る。停滞した空気で淀むアルバの陰気臭い部屋。棚にはあらゆる種類の鎮痛剤から包帯までが並んでいる。それらの匂いが混ざり合って、まるで病室のような匂いになっていた。ハルバトアの病院では、だから、誤魔化せていたのに。
「っ」
鎮痛剤の入った注射器を取って、腕にぶすりと突き立てる。その傷に手早く包帯を巻き直して袖を整え、手袋もはめ直す。それから、部屋を出るとディセットがやはり待っていた。
「やっほー、ディセット。いつもご苦労さん」
にぱっと笑って片手を上げる。仮面の女はふんと鼻を鳴らした。これは照れているやつだ。
「《死神》暗殺任務の方、いかがなさいますか? 小隊では足りませんよね? 《死天使》もいるとなると、最低でも中隊規模の人数が必要になるかと思うのですが」
アルバは答えなかった。ディセットの問いを宙に放ったまま、鋼色の階段を下りて、第七訓練室を目指す。第七位使徒に与えられた部隊に割り当てられた部屋で、今の時間はそこで訓練が行われているはずだ。アルバはその中から同行する者を選ぶつもりだった。
「大佐!」
天井の高い倉庫を思わせる部屋に踏み入ると、組手をしていた部隊員たちが声を上げた。つるりとした白い仮面を纏っている者はいない。仮面を決して外させてはいけないと上層部から言い含められているのだが、アルバは独断で仮面を外すことを許可していた。もちろん、この部屋の中でのみだが。
「みんな元気~?」
ひらひらと手を振る。それだけで部隊員たちの顔は明るくなった。隣ではディセットもまた仮面を外し、気持ちよさそうに桃色の目を細めている。
訓練室という名前の場所であり、また実際に訓練施設としても使われる部屋だが、第七位使徒直属部隊にとっては異なる意味合いを持つ。
ここは、本当の名前を名乗っても、仮面をつけて顔を隠さなくてもいい唯一の場所。狭い上に窓もなくて空も見えない牢獄のような部屋だけれど、名前ごと個性を殺された被検体たちの心には自由が与えられる。
この部屋はアルバが築いた小さな世界。使徒という力と引き換えにすべてを失くした自分だから、まだ忘れていない者たちにはせめて。
けれど、アルバは決して部下を本当の名で呼ばない。
部下たちには許したけれど、アルバ自身には許さなかった。よく仕えてくれている十七の名が、モモであることも知っている。知っていて、部屋の中でも番号で呼ぶ。
いつかすべてを裏切るアルバには、彼らの名を呼ぶ資格はないのだから。
「大佐! お元気でしたか?」
むさ苦しい男たちに囲まれ、アルバは引きつり笑いをした。囲まれるなら美少女がいいなーと。肝心の女たちは男たちの圧に弾かれ、ディセットの周りに集まってしまっている。
「はいはい、俺は元気だよ。っていうか、前に話をしてからそんなに経ってないよね!?」
「経ってますって! 大佐、俺たちを全然使ってくれないじゃないですか! 中隊で動いたのは《死神》狩り以来ですよ!」
「そっか、それもう一月前か……。俺も色々忙しくてねぇー」
ライを殺し損ねたことで特殊諜報部隊での潜入任務があえなく終了したため、アルバは特務部隊へ復帰した。戻ってからは、ディエゴの指示で要人暗殺任務を遂行していたのだ。おかげで部下たちに会いに行く暇もなかった。
嬉しそうにしている部下たちの姿に唇も思わず緩む。それだけで自分のしたことは無駄ではなかったと思えた。
「一八九、一二七。お前たちもここに馴染んでいるようでよかった」
男たちの壁の端にいる二人が目を大きくした。
「は、はい! 恐縮です!」
「第七位使徒様のお陰です!」
「そんなかしこまらなくていいから。あと、俺のコトは大佐って呼んでくれると嬉しいな」
「はい! 大佐!」
すっかりのぼせ上っている二人だが、彼らは第七位直属部隊に配属された者ではない。機密漏洩の罪状で処分されるところをアルバが拾ったのだ。正しくは、アルバによって処分されたことになっている。もう死んでいる被検体。そういう者がこの部隊にはいくらかいた。
「大佐、決まりそうですか?」
ぼちぼち各自が組手に戻っていく中、ディセットが耳打ちした。百人ほどの部下たちの顔を見ながら品定めしていたことにディセットは気がついていたらしい。
「……うん、決めたよ、ディセット」
部下たちに見送られながらアルバは部屋を出ていく。誰も選ばなかったことに違和感を覚えたディセットが、仮面で怪訝な顔を覆い隠す。
「俺が、一人で行く」
「大佐! 不用心すぎます! だって、《死神》と《死天使》は帝国の最凶兵器なのですよ! 一人では──」
「──俺が勝てないって?」
意地悪く碧眼を細めれば、ディセットがぶるぶると頭を横に振る。
「ち、違います! ワタシはそんなつもりで言ったのではなくて!」
「うんうん、分かってる。意地悪してごめんな」
くせ毛の頭を撫で、アルバは表情を引き締めた。
「一つ訂正しよう。お前たちがいたとしても、俺の勝率はほぼゼロだよ。一枚きりの手札──俺が近接戦闘特化型の使徒であるっていうのも使いきっちゃったし。ってか、正直、第六位使徒でも第五位使徒でもあいつらを殺すのは無理だろ」
だてに長く共に過ごしていない。ライとナタリアの持つ戦闘能力は異次元にあると知り尽くしている。アルバの限界が、ライをわずかな間だけ凌駕できる位置にしかないことも分かっている。ナタリアに至っては勝機が一つもない。
「だけど、俺にはビリジアンにもシアンにもないものがある」
「それは一体……」
アルバはふっと息を吐いた。
「……あいつらと過ごした時間だよ」
ライと戦ったとき、殺されようとしながらもライが微笑もうとしたことを覚えている。ライはアルバと戦えない。アルバがそうライを形作った。だから、ナタリアがいないときにそっと近づけばそれで終わる。──終わってくれなければ困るのだ。
「大丈夫さ、俺は第七位使徒だぜ?」
なおも不安そうなディセットに笑いかける。
「分かっています、大佐がお強いこと。だから、ご武運をここからお祈りしていますね」
「ありがと、ディセット」
軽やかな足取りでアルバは歩き出す。足を止めたディセットに手を振るのは忘れずに。
彼女の視界を外れたところで、咳き込んだ。白い手袋が赤く染まる。鉄錆の匂いが鼻を突き抜けていった。ずきずきと身体が軋む。鎮痛剤でも痛みは消えない。もうそんなところまで来てしまった。それでも、戻る道はないから行かなければ。
──けれど、それは何のために? 誰のために?
心が砕ける音がする。




