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ヘルエンジェル  作者: 斑鳩睡蓮


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ep.094 この真紅に懸けて

 反逆軍と帝国軍の戦いは終わりを告げた。反逆軍が帝国に敵対する行動を取り続ける限り、帝国軍との衝突は繰り返される。が、大規模な攻勢が失敗した以上、帝国軍は反逆軍に対してしばらくは強気な態度は取れないだろう。


 デアグレフ支部に戻ったヨゼフは、リュエルとイリーナにエヴァンの居場所を聞きに行くことにした。地下の通信室の扉を開けると、資料が部屋の中から流れてくる。中央ではゾンビのような顔つきのリュエルとイリーナが、これまたゾンビ顔負けの動きで作業をしている。被害の様子や、物資の残数確認。戦闘が終わっても戦いは終わらない。


「あのー、今いいか?」


 恐る恐るゾンビたちに声を掛けると、ゾンビなリュエルとイリーナは目を輝かせた。


「ヨゼフさん!」


「ヨゼフ! 君! 最高だよ! 本当に! 大感謝!」


「あ、えっと、それは、どうも……?」


 目だけを輝かせているゾンビ顔の女、約二名に詰め寄られる恐怖の方が勝り、ヨゼフの返事には勢いがない。


「──で、エヴァンはどこだ? それを聞きに来たんだ」


 ヨゼフが言うと、リュエルとイリーナは動きをぴたりと止めた。


「何か、あったのか?」


 ざわりと背中を走り抜けた不吉な予感。リュエルの顔が曇っていた。ヨゼフは唾を呑み込んで、リュエルの顔を罪状を告げられる被告人のような気持ちで見つめる。


「……エルシオ・リーゼンバーグさんが亡くなりました。エヴァンさんを、守って……、それで、エヴァンさんは」


 リュエルは言い淀んだ。思い出すのは、エヴァンの虚ろな翠の瞳と、エヴァンが呪いのように吐いた言葉。


『……もう、やめる。ぜんぶ、やめてやる。反逆も復讐も、……何もかもが馬鹿馬鹿しい』


 エヴァンの歪んだ顔の中に、リュエルは深い哀しみの色を見たのだ。もう歩けない、歩きたくないという声のない悲鳴をそこに聞いたのだ。


「エヴァンさんは、戦う意志を失くしてしまったのだと、思います。……でも、私たちには──」


 リュエルの舌先から滑り落ちていった言葉をイリーナが拾い上げる。


「──私たちには、まだ、王さまが必要だ。王を中心に組織された反逆軍リベリオンは王がいなければ崩壊してしまう。そうなれば、私たちは皆、帝国軍やガンマによって殺されるだろうね」


 この役目は私たちではダメなんだ、と力なくイリーナが微笑んだ。


「だから、どうしても、王さまにはもう一度、歩いてもらわないといけない。それがどれだけ酷なことであっても」


 子どもにすべての責任を背負わせ、無理にでも歩かせる。本来なら、大人がやるべきことなのに。けれど、エヴァンでなければならないのだ。《茨の王》だけが、反逆の王たりえる。


「ヨゼフさん、エヴァンさんを説得してはくれませんか?」


 リュエルに請われ、ヨゼフはたじろいだ。ヨゼフの道を照らしてくれたガンマの狙撃手がもういないこともまだ呑み込めていない。だというのに、兄を亡くしたばかりのエヴァンを無理矢理にでも立ち直らせる役をやってくれ、と。


 エヴァンを休ませてやりたい。けれど、エヴァンがいなければ反逆軍リベリオンは沈む。リュエルとイリーナの言葉はどこまでも正しい。それは頭では分かっている。


「……一応聞いておくんだが、もしエヴァンの気持ちを変えることができなかったら、どうするつもりなんだ?」


 リュエルの細い人差し指がヨゼフを指した。ヨゼフはぽかんとして首を傾げる。後ろには誰もいないし……、と後ろを向くヨゼフにリュエルは口を開く。


「ヨゼフさんが、王の座に着くしかないでしょうね」


「お、俺!?」


 ヨゼフの口から素っ頓狂な声が出た。思わず自分の顔を指差すと、リュエルは頷く。


「はい。あなたにはマクシミリアン家を動かす力があると、今回全員に伝わったわけですし、エヴァンさんの右腕として戦ってきた経歴があります。エヴァンさんを継ぐことができるのはあなたをおいて他はありません」


「い、いや、でも、俺はそんなの柄じゃない」


 ヨゼフがマクシミリアン家の人間を必死で動かし、反逆軍に加勢させた理由。疑われながらも必死でエヴァンを探した理由。それらは全部、王であるエヴァンのためだ。決して、ヨゼフ自身が王になるためではない。


「……エヴァンを、説得してくる」


 よろしくお願いします、というリュエルの言葉にヨゼフは嵌められたことに気がついた。リュエルは最初からヨゼフの思考を見抜いた上で、会話を誘導していたのだ。リュエル・ミレット、恐ろしい女、という意味の溜息をつくと、ヨゼフは踵を返した。


「あ、ヨゼフ。王さまは、二階の角部屋だよ」


 追い打ちをかけるようにイリーナが丁寧にエヴァンを居場所まで教えてくる。肩を竦めて、ヨゼフは投げやりな返事をした。


「はいはい、分かった分かった」





 敷き詰められた深緑のカーペットを踏みしめるようにして歩く。目的の部屋が近づくほどにヨゼフの足は重くなっていった。あれだけ会いたいと、あれだけ取り戻したいと願った相手だというのに、今は顔を合わせるのが怖い。


「エヴァン。俺だ、ヨゼフだ」


 二階の角部屋の扉を控えめに叩く。ノックのくぐもった音が響くけれど、返事はない。ノック音の残響が消えれば、静寂が戻ってくるだけ。息苦しさにヨゼフはあえぐように空気を吸った。


「入るぞ」


 イリーナに借りたマスターキーを鍵穴に差し込む。だが、鍵を回す前に扉は呆気なく開いてしまった。おそらくエヴァンが締め忘れたのだろう。用心深い普段のエヴァンなら、絶対にこんなミスはしないはずなのに。


 開いた扉から見える部屋は薄暗かった。散乱したタオルや毛布が床に落ち、廊下から入る光によって奇怪な影を落としている。何かが動く気配もなく、誰もいないようにさえ見えた。


 必要なかった鍵を鍵穴から引っこ抜くと、ヨゼフは音を立てないようにゆっくりと扉を閉める。すると、窓から差し込むか細い星明かりが部屋の中を柔らかく照らし出した。カーテンが開け放たれた窓際に、少年がもたれかかるようにして座っている。


「エヴァン」


 近づいて呼びかける。けれど、エヴァンは振り返らない。


「なあ、エヴァン。返事をしてくれ」


 もう一歩距離を詰めて、声を掛ける。けれど、エヴァンはぴくりとも反応しない。


「……っ、エヴァン」


 手が触れそうな距離になって呟くように口にしても、エヴァンは動かなかった。だからヨゼフは少年の薄い肩にそっと触れて、もう一度名前を呼んだ。


「……なに?」


 やっと返事をしたエヴァンの目は何も見ていなかった。眩しい輝きを放っていた翠の双眸は虚ろ。闇色に塗りつぶされた瞳はヨゼフすらも映さない。


「エヴァン、お前──」


「なに? ヨゼフ」


 エヴァンがこてりと首を傾げた。


「戦うのをやめるっていうのは、本当なのか?」


 ヨゼフが尋ねた瞬間、エヴァンの顔が歪んだ。ヘタクソな笑顔のような歪な顔。


「本当だよ。だって、気づいたんだ。帝国への反逆だとか復讐だとか全部くだらないってことに。なら、僕が頑張る必要なんてどこにもないだろ? 兄さんはもうどこにもいないんだから」


 くつくつとエヴァンは嗤っていた。ひどく軋んだ嗤い声に、ヨゼフの身体は冷えていく。星のような目で未来を語った少年王はここにはいなかった。


「僕が馬鹿だったから、兄さんが死んだんだ。僕が、帝国と戦うなんていう馬鹿なことをしなければよかったんだ。だから、もう全部やめにする。ごめん、ヨゼフ。僕はお前の期待には応えられない」


 ヨゼフは違う場所に行った方がいい。その言葉を聞いた時、ヨゼフは自分の中で何かがぷつんと切れる音も同時に聞いた。


「……な。ふざけんなよ、この馬鹿野郎ッ!」


 エヴァンに頭突きをかます勢いで叫んだ。至近距離で突然ヨゼフが大声を出したものだから、エヴァンは目を白黒させる。


「なんだよ、兄さん兄さん兄さん兄さんって! お前は、兄さんのためだけに今まで戦ってきたのかよ! このブラコン運動オンチ! お前の理想はそんなもんなのかよ! それだけの理由でお前は全部を裏切るのかよ!」


 使う命を誰一人として忘れまいとしながら、すべての責任を細い肩に背負い続けた。その少年の身体を支えていたものが全部、兄であるはずがない。


 エヴァン・リーゼンバーグは復讐者で、叛逆者だ。大切なものすべてを真紅の炎にくべられた復讐を、弱さを踏みにじる世界には反逆を。帝国への激しい憎悪がエヴァンの身体を駆り立てていたのだから、ここでエヴァンは終われない。……終わっていいはずがない。


「お前は! 帝国をぶっ潰すんだろ! お前の大事なものを奪った奴らに復讐をするんだろ! だったら、この程度でやめるとか言うなよ! それとも、お前のその気持ちは嘘だったのかよ!」


「ちがう!」


 エヴァンの歪んだ笑顔が砕けた。


「僕は、まだあの女を殺してない! まだ、復讐を終えてない! でも!」


 エヴァンはガタガタと震える自分の両手に視線を落とした。


「……でも、怖いんだ。兄さんは大丈夫だと思ってた。なのに、兄さんは僕を逃がしたせいで殺された。もう、僕は、ひとりなんだ。もう、僕の家族はどこにもいないんだ。僕は独りになってしまったのに、他の人の命をたくさん背負わないといけない。みんなが僕を慕ってついて来てくれていることは分かってる。ヨゼフのお陰で、人を頼ることだって覚えた。でも、僕は、僕は」


 エヴァンの頬を流れ落ちる涙が星明かりに煌めく。


「……失うのが、怖いんだ。誰かの命を背負うことが、怖いんだ」


 ──だって、どれも大切なものだから。


 ヨゼフは言葉を失くした。


 最初に出会った頃のエヴァンは、心を殺して臣下に死を命じていた。臣下を死なせることを自らの責としていた。棄てることばかりを覚えた少年王に、ヨゼフは棄てるなと叫んだ。全部拾っていけばいい、人であることを選んでほしい、と。


 だから、エヴァンは今泣いている。


 ヨゼフが教えたから。全部抱えて歩く道をエヴァンに教えてしまったから。戦いを続けるということは、人を失い続けるということだ。エルシオという心の拠り所を失くしたエヴァンは、この先の死を背負えない。……なら。


「エヴァン、俺じゃダメか? 分かってる、俺はロクな人間じゃない。でも、お前の荷物を一緒に背負ってやることくらいはできる。いや、やってみせる。お前が背負えないって言うなら、お前ごと背負ってやる」


 涙に濡れた翠の瞳に向けて、ヨゼフは胸を叩いてみせた。ヨゼフがエヴァンよりも余分に取った歳はこのためのものだ。若い王の心を背負うために、ヨゼフは十五年だけ先に生まれたのだろう。


「ほんとう?」


「ああ。俺はとっくにお前のものだから」


 自信たっぷりにそう言うと、エヴァンが変な顔をした。


「それに、俺はお前を探すためにあちこち駆けずり回って、ここまで来た。なのに、お前がこの先一緒に戦ってくれないとかないだろ。それはひどすぎるだろ」


「……それは、その、悪かった」


 しゅん、とエヴァンが肩を落とす。ヨゼフはぼさぼさの赤髪を梳くように撫でた。猫の毛のようなふわりとした感触が指に絡む。その手を止め、ヨゼフはエヴァンを前にして膝をついた。華奢な手を取って、幼さの残る整った顔をじっと見つめる。


「エヴァン、俺の王のままでいてくれるか?」


 エヴァンの身体が震えた。しばらくの沈黙が揺蕩う。その後、エヴァンは唇を綻ばせた。綺麗な沼底の翠はさやかに瞬いて。


「うん。面倒くさい右腕がいてくれるなら、もう少し、頑張ってみるよ」


「いい子だ」


 つい再び手がエヴァンの頭に伸びた。やっぱり柔らかくて触り心地のいい髪だ。


「……子ども扱いするな」


 エヴァンは憮然とした顔をした。けれど、頭を撫でるヨゼフの手を払いのけることはしない。


「ヨゼフ」


「なんだ?」


 聞き返すと、エヴァンは俯く。


「……マクシミリアン大将は、どうなった?」


 沈んだ声。聡いエヴァンがカインの選んだ答えに気づかないはずがない。だから、この問いへの答えは決まっていた。ヨゼフはエヴァンの髪を触る手を止めずに口を開く。


「死んだよ。……最期まで、格好いい父親だったさ」


 そうか、とエヴァンは囁くように頷いた。


「確かに、あの人は、とても格好良かった。口には出さなかったけど、お前のことを大切に想っていたと思う。それに、大将が手元に僕を置いていたのはおそらく、僕を守るためだった」


 反逆軍の王、帝国にとっての大罪人であるエヴァンが無事でいられたのは、カインが手を回していたからだ。帝国軍の軍服を着せて側に置いたことで、エヴァンを衆目から隠した。厳格な人物として知られるカインが規律を踏み越えるような真似をした理由は、ただエヴァンに可能性を感じたというだけでは説明がつかない。


「僕の父さんには親友がいる、って話を聞いたことがある。その親友の名前は……」


「カイン・マクシミリアン。そうだろ?」


「知ってたの?」


 ヨゼフはカインの書斎にあった写真立てを思い出す。エヴァンに似た顔の青年が若い父親の隣で笑っていたことを。治安局に焼却処分されないよう、カインがその写真だけは守り抜いたことも。


「ああ、知ってた」


「ふうん、そっか。……知ってるのは僕だけかと思ってた」


 どうにも残念そうにエヴァンが言うものだから、ヨゼフは噴き出さないようにするのに必死だった。ここで笑い出したらきっとエヴァンはへそを曲げる。


「俺も、知ってるのは俺だけだと思ってたよ。まあ、俺たちは親友っていうより、王と臣下だけどな」


「違う。ヨゼフはただの臣下じゃない。僕の右腕で、僕の心だろう?」


 ヨゼフは橙赤の目を大きく見開いた。破顔して、エヴァンの手を握る。ヨゼフよりもほんのり温度の高いその手は、もう震えていなかった。


「その通りだ、俺の王さま」


 エヴァンがわらった。窓から降る明るい星の光。けれど、一番の輝きは赤髪の少年王の瞳が放つもの。


「──行こう、エヴァン。みんながお前を待ってる」


 ヨゼフに手を引かれ、エヴァンはようやく立ち上がった。薄暗い部屋を出て、明るい廊下へと足を進める。最後に一瞬だけ、何となく振り返った。笑ってしまうくらい散らかり放題の部屋だ。それはエヴァンのぐちゃぐちゃの心模様と同じ。けれど、大丈夫。


 視線を上げると、ヨゼフの朝焼け色の目が微笑んだ。初めて二人で死線を潜り抜けたときの空と同じ色をしていた。


 それからエヴァンは顎を引いて歩き出す。


 燃えるように鮮やかな赤い髪を揺らして、もう一度。


 たとえ、リーゼンバーグの名を持つ者がたった一人になろうとも。





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― 新着の感想 ―
[一言]  星に火が入りましたね……!! いずれ炎になるそれが復讐な以上、この時間はほの温かくても、再び戦火で苛烈に照らし出されるのでしょうね……でもエヴァンくんにはヨゼフおじさんがいる!となれる回で…
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