ep.093 風穴
「ごめん、ルカ。待たせちゃったね」
そう言ってリュエルは自室から出てきた。相変わらずホテルに間借りしている亡命組だが、当初とは待遇が良くなり一人一部屋となっている。
屋上でエヴァンを捕まえてホテルの一室に放り込んだ後、リュエルは、三十分ちょうだいと言って自室に引きこもったのだ。カイン・マクシミリアンとエルシオ・リーゼンバーグ。二人の死を悼むための三十分。それだけでは足りないだろうに、エヴァンが動けない今、司令塔であるリュエルに許されていたのはそれだけだった。
ルカは歩き出したリュエルの半歩後をついていく。その頬に涙の痕があることには気がついていたけれど、知らないふりをする。そのくらいはルカにだってできるし、分かる。
「王さま、どうするんすか? んー、いっそのことセンパイが反逆軍乗っ取るとかどうすっか?」
「だーめ。私はそんな器じゃないよ。……私じゃ、あんなに多くの人の想いを背負えない」
リュエルはルカの突拍子もない発言を一蹴した。
「反逆軍には王が必要。だから、エヴァンさんには立ち直ってもらわないといけないかな。でも、もし、駄目だったら──」
言いかけてから首を振る。
「ううん。まずは立ち直ってもらう努力からだよね。それに、今の戦いを乗り越えないと始まらないし──」
「リュエルさん! 姐さんから連絡です! 至急、会議室までお越しください!」
反逆軍の男が廊下の向こうで叫んでいた。リュエルはルカと一瞬顔を見合わせてから走り出す。イリーナからの〝至急〟の呼び出しに、慌てふためいた様子の構成員。どうやら緊急事態が発生したらしい。
「何が起きたんですか!?」
地下会議室に飛び込むと、会議室からは人が出払っていて、イリーナと話していた構成員が部屋をちょうど出ていくところだった。
「リュエルさん! 良い所に来てくれた! ……実は大変なことになったんだ。落ち着いて聞いてほしい。……どうやら、ここ、デアグレフ支部が軍に見つかったみたいだ。包囲網がじわじわと完成しつつある。だが、まだヨゼフが帰ってきてないから人手が足りなくて対抗手段がない」
目の下に隈をつくったイリーナは、デアグレフ支部が危険に晒されていると告げる。リュエルは小さく頷いた。
「……なるほど。その確率も引いてきましたか……、さすがはマクシミリアン大将、といったところですか」
故人へ思いを馳せる。マクシミリアン大将はデアグレフ支部の場所も戦闘開始と共に探らせていた。希望的な観測の範囲では、状況が終了するまでにデアグレフ支部の場所が見つかることはなかったが、他の支部と砦との交戦が長引いたことでデアグレフ支部にまで辿り着いてしまったようだ。
「人員不足なのはきついですが、ソフィリアから帰ってきたルカとエルザさんがいるので、ヨゼフさんたちが帰るまでの時間は稼げるかと!」
暗殺人形の二人には劣るが、ルカとエルザも立派な戦闘要員だ。特殊諜報部隊という《智恵の魔女》旗下の危険な部隊で生き抜いてきた猛者の実力はかなりのもの。先陣を切って戦うことのできる戦力だ。
「でも、かなりの数がいるみたいだ。二人で何とかなるのかい?」
「あのホテルは通りに面していますから、大勢を送り込むなら正面から攻めるしかありません。そうすると、通りの入口である二か所を防衛すればいいということになります。そして路地はかなりの道の狭さになりますから、向こうも苦戦するはず。なら、ルカとエルザさんにそれぞれ通りの二か所を担当してもらい、路地はイリーナさんの選んだ方にお任せすれば一応人数は足ります。そして、残りの人員は各方面に振り分ければ大丈夫です」
「っは! ギリギリすぎないか、それ!」
リュエルの頬を汗が伝う。けれど、リュエルは微笑みを絶やさない。
「ええ、ギリギリです。でも、やるしかないので!」
イリーナがニヤリと笑い、頭をつつく。
「君さぁ! 意外とイかれてるよねぇ! でも、そういうの、嫌いじゃあないよ!」
「それは! 光栄ですね!」
最後はほとんど互いに向かって叫びながら、二人は別方向へと走り出した。リュエルはルカとエルザに作戦を伝えるために。イリーナは残っている構成員を三方面に振り分けるために。残っている時間はわずか。デアグレフ支部が陥落すれば、全部終わりだ。王はもう一度軍に捕まり、共和国からの脱走兵であるリュエルたちには処刑か投獄が待っている。ここまで来て、失敗なんて犯せない。
「たくさん殺していいって、センパイ言ってたっすもんね」
ナイフを両手に握り、ルカは嗤う。反逆軍からの応援は十人にも満たない五人。通りの端から端までを塞ぐには到底足りない人数だ。そして、それは反対側の防衛に回ったエルザも同じ。
この少人数で帝国軍に挑め、というのは無茶ぶりというもの。本来ならば起こりえなかった状況が、少しずつの動きのずれによって完成されてしまった。……もしも、これがカイン・マクシミリアンの打った手によって生み出された状況だとしたら、やはりカインは帝国軍きっての知将だということだ。《無名の魔術師》リュエル・ミレットを確かに出し抜いたのだから。
「ルカさん! 前方に敵影を捉えましたッ! どうします!?」
ニィと唇を歪ませ、ルカは地面を蹴って飛び出す。
「全部! ボクの獲物っすよ!」
質問の答えに全くなっていない返事。そのままルカは走ってくる帝国軍の中へ飛び込んだ。両手のナイフがギラギラと獰猛に舌なめずりをするように輝く。気の向くままに両手を振るった。
曇天に鮮血の雨が降る。命のいろ。肉のいろ。真っ赤な花がかしこに咲く。視覚が狂うほどに鮮烈な赤、紅、朱。
ケタケタと誰かが嗤っている。鉄錆の濃厚な匂いと降り注ぐ赤に酔いしれた獣が嗤っている。人の皮を脱ぎ捨てた化物の姿に人は怯え、立ち竦む。足を地面に縫い付けてしまえば命取り。怪物の振るった刃がその胸を斬り裂き、喉を貫き、心臓を解体する。
ケタケタと、ケタケタと、ワライがトマラナイ。
敵影を確認し、エルザは無言で手榴弾のピンを同時に四つ抜いた。風切り音すら聞こえるくらいの勢いで腕を振る。投げられた手榴弾は綺麗な放物線を描いて敵影のど真ん中に落ちていく。それが続けて三つ。
「我ながら完璧な狙いね」
エルザがそう呟いた瞬間、爆音と爆風が吹き荒れた。金色に茶色の混ざったエルザの髪が烈しくはためく。出鼻をくじかれた帝国軍はさらに手榴弾を投げ込まれ、陣形が完全に乱れた。
「じゃあ、掃除をしましょうか」
帝国軍が横に広がったと同時にエルザは足元の機関銃を両手に掴む。そして、躊躇いもなく引き金を引いた。エルザ愛用の機関銃が唸りを上げ、閃光と共に銃弾を吐き出す。地面を轟かせるような音が街中を駆け抜ける。無防備なまま弾丸の雨を受けた帝国軍は、面白いようにバタバタと倒れていった。
その凄惨な結果をエルザたちが見るのは、機関銃が吐き出した煙の晴れた後。とびきり派手で容赦の欠片もない攻撃に、反逆軍の人員は目と口を大きく開けて固まるばかり。そんな彼らにエルザはふわりと微笑んだ。
「私はもともとこういう人間よ? 私はね、医者だけれど、人殺しに対する躊躇いなんてとっくに棄てているの。だって、人を生かすためにはまず、自分が生きていないと駄目でしょう?」
相手が高火力の機関銃を持っていることを把握した帝国軍は、第二陣目からは防弾用の盾を装備してきた。けれど、やることは変わらない。まずは手榴弾を投げ込み陣形を乱す。それから機関銃の掃射で無防備な兵を叩く。最初よりは必要な弾数は増えるだろうが、通用はするだろう。
「やるわよ!」
手榴弾から抜いたピンが高い金属音をかき鳴らす。
「チッ! 攻めてこいっすよ!」
ルカは舌打ちをこぼした。帝国軍はルカの殺戮によって第一陣を失ったのち、防衛体制に移行。自ら突撃をして道を開くことをしなくなったのだ。ルカが敵を殺しに行くためには前へ出なければならない。
「……ふん、まあいいっすよ。お望み通り! 殺しに行って! やるっすよ!」
ルカは跳んだ。先の戦いで使い物にならなくなったナイフは棄てて、新しい刃に持ち替える。血を追い求めるだけの獣になったルカは容易く理性を手放した。ケタケタと嗤いながら、人を屠る。けれど、その実、帝国軍の内部まで深く誘い込まれているとは知らずに。
タノシクタノシク殺していたら、いつの間にか敵はいなくなっていた。代わりにルカの後ろで戦闘が起きている。悲鳴に怒号に銃声に、激しい音がルカの鼓膜を叩く。
「……あ?」
ルカの殺し損ねた人間が僅かしかいない反逆軍の人間を襲っていた。その先のオンボロホテルには、リュエルがいる。
「──ッ! ボクはまた──」
殺すことばかりに夢中になって、リュエルを傷つけたあの日のことを思い出す。ただタノシクて銃を撃ってナイフを振って殺していたら、リュエルが返事をしてくれなくなったことを思い出す。
「センパイッ!」
この道を決して帝国軍には行かせちゃだめ。大丈夫、ルカならできるよ。
リュエルの言葉をようやっと思い出した。頭のよくないルカだけれど、リュエルの命令くらいはきちんと守ってみせたかった。だから、早く、応援に駆け付けないと。
けれど、そう、最悪なことは重なるというもの。
反転して加勢に入ろうとしたルカの前に、第三陣の帝国軍の兵士たちが現れた。
「ちょっと、こちらの旗印の方が悪くなってきたみたいね……」
最後の手榴弾はたった今敵陣の真ん中で破裂した。陣形はわずかに乱れて、予定通りの機関銃での掃射を始める。けれど、防護用の盾が意思を持った生き物のように乱れた箇所を覆い隠す。その上で機銃掃射の中を帝国軍はじりじりと進んでくる。
「……とっておきを出すわ!」
ひとつだけしか持ち合わせのない特殊爆弾。黒い鉄球に封入された特殊な火薬による爆発の威力は高く、一発でこの通りの半分くらいは吹き飛ばすことができる、というシロモノだ。
「緊急事態だし、ちょっとだけ街を壊すくらいは許してほしいわね」
呟きながら、手榴弾を詰めていたアタッシュケースから黒い鉄球を取り出す。手榴弾に比べるといくらか重みは増している。それでも、エルザの肩でもまだ肩を壊さずに投げ切れるくらいの重さ。
「みんな! 私がこの爆弾を軍側に投げたら、すぐに走って地面に伏せるのよ! 絶対よ!」
了解、の声が唱和すると同時に雷管に刺さったピンを一息に抜く。そして、エルザは息を吸い直して鉄球を投げた。深く踏み込んだ足を無理矢理にも引き戻し、走る。地面と熱いキスを交わしにいく勢いで身を投げ出す。
閃光。
激しい爆発がすべてを薙ぎ払う。エルザも反逆軍の人間も爆風にあおられて地面を転がった。崩れた建物の欠片がガラガラと音を立てて、地面に落下する。振動と煙が収まるとすぐにエルザは立ち上がった。土埃を被った機関銃をもう一度手に取り、前を見据える。
真正面の帝国軍の姿はない。けれど、きらりと陽光を弾く盾がさらに奥に見える。仲間である反逆軍の構成員は地面に転がったまま。
「……手詰まりってやつね、これ」
ぽたり、と赤い血の雫が紙片を染めた。極限まで減らした通信係は五人ほど。それが同時に叫んでいるから、もう誰が何を言っているのか分からない。
「リュエルさん! 鼻血出てる!」
「え?」
イリーナに声を掛けられて初めて、リュエルは資料に滲んだ血が自分のものであることに気がついた。鼻を押さえながら顔を上げれば、イリーナは鳥の巣のように乱れた髪をしている上に、ひどい顔をしていた。
先の爆発でオンボロホテルは地下まで揺れた。地下室の被害状況としては、積み重ねていた資料は雪崩のように崩れ落ち、足の踏み場がなくなったくらいの軽微なもの。しかし、外の被害はこんなものではないだろう。
「……地上部隊との通信を」
鼻血を服の袖で拭いつつ、リュエルは地上との連絡係を呼んだ。
「状況は?」
『こ、こちら、正面防衛部隊。ルカさんが、頑張ってくれてますが! 駄目です! 人数が多すぎます! このままでは! 突破されます!』
『こちら、後方防衛部隊! エルザさんの特殊爆弾で第二陣はクリア。ですが、第三陣が来ます! 倒しきる前に我々の弾薬が底を尽きます!』
『こちらはっ、路地裏防衛部隊っ! 人数自体は多くありませんがっ、他へ人員を送る余裕はっ、ありませんっ!』
どの通信も後ろに銃声が響いている。すべてが限界を迎えていることばかりがよく分かる。どこもかしこも人手不足。人手が足りない以上、いくらリュエルが参謀として優秀であろうと作戦を立案するに足る人数がいなければ話にならない。
「っ、このままだと、私たちが押し負ける──!」
まだ血の止まらない鼻を押さえながら、リュエルは歯噛みした。イリーナも通信機に向かって怒鳴っているが、多くの支部と砦が同時に攻撃を受けている以上、応援を呼ぶことは絶望的。
「王さまはどうなんだ!? 王さまなら、この状況を打開する策を持っているかもしれない!」
イリーナが叫ぶけれど、リュエルには首を横に振ることしかできなかった。
「エヴァンさんは、駄目です。彼は、今、指示を出せるような状態じゃない」
「それはどういう──」
「エヴァンさんはお兄さんを亡くしたばかりです。たった一人の家族を失ったエヴァンさんが、もう一度立ち上がることができるのか、……正直私には、分かりません」
「ま、待ってくれ! 王さまには兄弟がいたのか!? 私は全員ガンマに殺されたと聞いているけど!」
イリーナの言葉にエヴァンがエルシオの存在を隠していたことを知る。エルシオはガンマの《魔弾の射手》だ、──だった。関係性を探られれば、要らぬ疑いを招くことは想像に難くない。だが、イリーナが下手に吹聴して回るとも考えづらい。だから、リュエルは素直に肯定を返すことにした。
「はい、いたんです。事情は詳しくは言えませんが。……まあ、今、理由について話す時間も余裕もないんですけどね!」
ヤケクソで笑う。イリーナも額から流れる嫌な汗を拭きながら笑い出す。
「通信はどうなってる! みんなまだ生きてるかい!?」
通信係の女が慌てたように立ち上がった。
「そ、それが不思議なことが起きているんです!」
「どういうことですか?」
「敵が、減っていると! そういう報告が各所から上がっています。《死天使》と《死神》の現在位置から離れた場所でも同様にです! そして、それはここも例外ではありません!」
リュエルとイリーナは思わず顔を見合わせた。状況が掴めない。リュエルが口を開こうとしたところで、一本の通信が全体に向けて入った。ざ、という雑音の後に声がする。
『あー、俺だ。ヨゼフ・マクシミリアンだ。援軍を出すのが遅くなってすまん。マクシミリアンを動かすのに時間が掛かっちまってな』
ヨゼフはそこで一度言葉を切った。
『マクシミリアン家当主、ヨゼフ・マクシミリアンの名の下に、マクシミリアン家はこれより反逆軍に全面的な支援を約束する。……そして、それは、前当主であるカイン・マクシミリアンの遺志でもある』
リュエルの中で線が繋がった。カインの奇妙な動きはすべて、マクシミリアン家をエヴァンに託すためだったのだ。そして、同時にすべての責任を一人で背負うために「クリムゾン」作戦を敢行し、自らの死を持って終わらせた。カインが陸軍大将として手を抜かなかったため反逆軍は追い詰められたが、それも自由を手にしたヨゼフがマクシミリアンを動かして反逆軍に加勢することを見越してのこと。
「……私の負けです、カイン・マクシミリアン大将」
呟く。リュエルは最初から最後までカインの手のひらの上だった。カインの都合のいいように行動をし、カインの敷いた策を破ることはついぞできなかった。けれど、リュエルを破った名将との再戦は二度と叶わない。なにせ、勝ち逃げされてしまったのだから。
『──ってなわけで、この戦い、俺たちが勝つぞ』
最後にヨゼフはそう言って、通信が切れた。あちこちで歓声が聞こえる。狭い通信室の通信係たちからも、通信機越しに聞く他の支部や砦からも。
リュエルとイリーナは同時に息を大きく吐き出した。このまま床に座り込んで散乱している紙の中に埋もれてしまいたいところだが、戦闘自体はまだ終わっていないのでそうするわけにもいかない。ぱちんと頬を軽く叩く。それから、リュエルは明るい水色の瞳を輝かせて、各地に指示を飛ばしていく。
長い一日がようやく終わろうとしていた。




