ep.090 翠星が落ちる
「……さてと、アレを何とかするか」
エヴァンの悲鳴を無視してエルシオは銃を構えた。笑い続ける女──スカーレット・ミラへ銃口を向ける。ミラが首を傾げてニタリと嗤う。
「狙撃手のアンタがこのアタシにケンカを売ろうだなんてバカじゃないかァ?」
「……オレだってそう思うさ」
苦し紛れに笑ってみせた。近接戦闘能力がほぼないエルシオには、近接戦闘特化型のミラにこの間合いに入られた時点で勝ち目がない。
それでも。
もう一丁の拳銃を左手で握る。二つの銃口でミラを狙う。一つ目の弾丸はミラの心臓。そして二つ目はミラが避けると予測される位置におけるミラの眉間。ミラの速度を考慮すれば引金を引くタイミングはほぼ同時。
「ムダだよ、バァカ!」
ミラが跳ぶ。エルシオの想定とは違う動き方。予想よりも遥かに、速い。
「──ッッ!?」
鮮血が宙を舞った。エルシオの左腕が飛ぶ。焼け付くような痛みよりも先に困惑が来るほどの速度。痛みが来る前に右手で銃弾をミラへ向けて叩きこむ。けれど、ミラは嗤いながら弾丸を容易く躱す。エルシオでは、どうあがいても《血塗れのミラ》には届かない。
それでも。
唇を噛んで悲鳴を殺す。翠の双眸で悪魔のような女を睨みつける。
「アハハハハハハハッ! 鳴けよ? なァ? アンタの大事な腕がなくなったんだ、泣き叫べよ?」
「……ふざけんな、腕くらい、いくらでも、くれてやるよ」
ミラの手が腕を失ったばかりのエルシオの左肩を掴む。エルシオはずるりと崩れ落ちる。ちかちかと視界が白く黒く明滅する。口の端から血を流して絶叫を飲み込んだ。遠のきそうな意識を無理矢理掴んで、引き金を引き続ける。
「なんで鳴かないのさァ? ああ、そっかァ! 弟がいるもんねェ? おにいさん?」
からからとミラが嗤っている。軽くなった左肩からは血が止まらない。目が霞む。けれど、エルシオには何を捨てても守らなければならないものがある。だから、折れるわけにはいかない。
手榴弾のピンを口で引き抜いた。ピンを吐き出すと軽い金属音の代わりに水音がする。まだ右腕がついているうちに手榴弾をミラに向かって投げつける。
「なッ!?」
ミラが反射で顔を庇った瞬間、歯を食いしばって立ち上がる。地面を蹴って左手が持っていた拳銃を右で拾い、引金を引く。爆発の代わりに激しい煙を吐き出している手榴弾。白い煙の中でさえ、射撃の天才は標的を完璧に撃ち抜いてみせる。さすがに心臓は避けられたけれど、肩口を狙った弾丸は狙いを過たずにミラの肉を穿つ。
「こんなのじゃあ、効かないねェ?」
煙が晴れた。肩から血を流してもなお、ミラは嗤っている。
「……いいや、十分だ」
エルシオは不敵に笑う。エルシオへ手を伸ばそうとしたミラがふらつく。
「オレの弟は天才だから」
白煙は毒ガスだ。ミラに撃ち込んだ弾丸は毒塗りだ。それもエヴァンの作った劇毒。エルシオは身体を慣らしているから平気だが、全くの新しい毒を吸い込んで身体にすら毒を受けては頑丈なミラでさえただでは済まないだろう。致死量を優に超えているのだから。
「アハハハハハハハハッハハハハハッハッハハハハ!」
ミラは自分の肩の肉を弾丸と一緒に抉り取った。血肉が床を汚す。鈍色の弾丸がからんころんと音を立てる。ミラは毒が回る前に毒に侵された部分を切り捨てたのだ。
「ッ!」
血に汚れた手でミラは顔に当てて嗤っている。雨に濡れたように真紅の露が女の顔を滑っていく。
「今のは結構アタシ好みだったなァ!」
でも、もう遊びは終わりにしないとねェ、とミラは血の海を踏みつけながらゆったりと歩いてくる。血をとめどなくこぼしながら気力だけで立っているエルシオの元へ。
弾はさっきので最後だった。弾倉が空っぽの拳銃は軽い。エヴァンの作った毒ももう使い切ってしまった。それに身体の感覚も朧げだ。身体を動かす機構がすべて壊れてしまったように動かない。
気づけばミラの腕が腹から生えていた。ミラが腕を振ると、エルシオの身体はいらなくなった玩具みたいに投げ捨てられる。ぽっかりと開いた穴から鮮血がこぼれていく。
「……ここまで、みたい、だな」
膝が床を打つ。糸が切れた人形のように崩れ落ちる身体を他人事のように認識する。もう流れる血すら残っていないみたいだった。
ごめん、エヴァン。ごめん、約束守れなくて。
声の代わりに微かな呼吸音だけがする。声も出なくなってしまった。けれど、時間稼ぎくらいはできたはずだ。ライとナタリアがここへ来るまでの時間を。なら、それでいい。
それで、いい。はずなのに。
──もっと、一緒にいてやりたかったなぁ……。
あの夜、アリアの手を取ったあの夜にエルシオはエヴァンを、たったひとりの家族を、何をしてでも守ると誓った。守ることを選んだそのときから、エルシオはエヴァンと道を違えた。本当は、復讐なんかよりもずっとエヴァンの方が大事だったから。
けれどもう、エヴァンはエルシオがいなくても歩いていける。
だから、きっと、大丈夫。
そうしてエルシオは呼吸を止めた。永遠に。
***
「エルシオ!」
ライは叫んだ。ガンマの保有する区画の一角は紅く染まっていた。中心には血だまりに倒れているエルシオがいる。全身をおびただしい返り血で染めたミラが哄笑を上げている。けれど、ライにはエルシオしか見えていなかった。左腕がもげ、腹に大きな穴を開けているエルシオの身体を抱き起こそうとする。
「エルシオ、返事を──」
ナタリアはぐったりとして青白い顔のエルシオを見下ろした。しゃがんでそっと手首に触れる。脈はなく、体温が徐々に失われようとしていた。
「ライ、駄目です。エルシオ大尉はもう、死んでいます」
「……ああ」
両手をエルシオの血で汚したライがゆらりと立ち上がる。ナタリアもそれに倣った。ここにエヴァンの死体がないのはエルシオが上手くやった証だ。あとは、ナタリアとライでエルシオの役目を引き継ぐだけ。
「アンタたち久しぶりだなァ! これから《茨の王》を殺しにいくんだけど、一緒に行かないか?」
二つ名の通り真っ赤に染まったミラが破顔する。ライの目に宿る光が炎のような激しさを帯びる。怒り、という名前の感情だろうか。ナタリアはまだ知らないこころの動きだ。けれど、二人のやるべきことは何も変わらない。
「……ナタリア」
「はい」
ライは低く告げる。それは命令、あるいは宣言。そして、確定事項。
「これから《血塗れのミラ》を殺す」
「了解しました」




