王太子の来村Ⅱ 9
その頃、タルナスはグイニスの部屋にたどり着けずにいた。途中で待ち構えていた領主のベブフフに掴まってしまったのだ。早く田舎の村を出ようと、やんややんやの催促だ。
うるさいが耳を塞ぐわけにもいかない。グイニスが寝ているからという理由で、なんとか振り切ろうとしたが思い通りに振り切れてくれない。
その時だった。村の鐘が鳴り出した。火事や緊急事態の時にならす鐘だ。
「何事だ?火事でも起こったのか?」
ベブフフがすぐに村に人をやっている。タルナスは不安になった。早くこの隙にグイニスの元に行こうとしたが、ベブフフがさっき以上に周りを固めた。タルナス付きの親衛隊の兵士に命じる。
「殿下をお守りせよ。何事かあるか分からん。」
ちょうどその少し前に、若様の部屋では若様が目を覚まして起き上がった所だった。結んでいた髪が乱れてほどけ、そんな状態で目をこすったりしている姿にセリナは可愛くてみとれていた。
「お目覚めですか?」
ベリー医師が脈を測る。
「…大丈夫です、ベリー先生。」
マントや上着や靴などは脱がせて貰っていたが、後は準正装のままだったので、上等な衣服に皺が寄ってしまっていた。
(…これ、皺をとるの大変だわ。)
内心セリナは思うが、フォーリかジリナがこの皺を取るべく火熨斗やこてを使っている姿を想像するとおかしかった。特にフォーリがしているのかと思えば、余計におかしさが増す。
「ね、若様。髪を結び直しましょうか。」
セリナの声に若様は、驚いたようにきょろきょろしてセリナを見つけ、赤面した。
「せ、セリナいたの…!?」
「いましたよ。」
「なんで、従兄上に閉じ込められているはずでは…!?」
「出たんです。お許しを貰って。」
セリナは努めて明るく答えた。若様は目を丸くして、それからほう、と息を吐いた。
「良かった…!良かったよ、セリナ。君の疑いが晴れなかったらどうしようって、思ってたんだ。やはり従兄上はちゃんと見抜いて下さる。」
心から喜んでくれる若様に、この後の状況は伝えられないと思う。ジリナとオルが捕まっているとは。
「じゃあ、若様、髪を結び直しましょう。」
若様はどこか不安そうに周りを見回した。
「…フォーリはまだ戻ってないの?」
(まさか、フォーリでないと髪を結び直して貰いたくないって言うの!?)
セリナが一抹の不安を覚えたとき、ベリー医師も同じ不安を覚えたのか、こんな助言をした。
「殿下がお待ちですから、直した方がよろしいかと。それと、こちらをどうぞ。」
そんなことを言いながら、白湯を差し出した。
「寝起きですからお飲みになって下さい。」
「うん、ありがとう。」
何かを飲んでいる時でさえ、可愛らしくて美しい。しかも、服装が乱れているのでどこか色っぽい。
「じゃあ、直しますよ。」
「…うん。」
若様は素直に立ち上がって椅子に座った。セリナは真後ろに立ち、櫛を持って髪紐をほどいた。夕日のような朱色がかった美しい赤い髪がほどける。何度見ても、思わずため息をついてうっとりしそうになった。
その時だった。
鐘が鳴り始めた。めったにならない鐘がなっている。火事などの緊急事態を知らせる鐘だ。
「……あれは、何?」
若様が突然、緊張した声で尋ねた。
「分かりません。たぶん、村で火事か何かあったのかと。おそらくそうですが、ここまで火は来ないですよ。」
「火事?」
「ええ、たぶん。」
若様が急に緊張して、体を強ばらせているのが分かる。
「若様、大丈夫ですよ。心配しなくて大丈夫です。」
ベリー医師が言って、若様の顔を覗き込んだ。表情を確認している。それくらい、若様の様子が変だった。
若様は髪も結ばないまま、急に椅子から立ち上がった。
「…ふぉ、フォーリはまだ?」
「じきにくるはずです。大丈夫ですから。私達もいます。何も心配はないです。」
若様は心を閉ざすように身を縮こまらせる。宮廷医のランゲル・カートンと名乗った医師の護衛、ニピ族のミンスがすぐに窓から出て行った。おそらく、フォーリを探しに。
「若様、ミンスが探しに行きました。彼もニピ族ですから、すぐに見つけてきます。フォーリはじきに来ますから大丈夫ですよ。」
ランゲル医師も優しく若様に伝える。なぜか二人は、一定の距離を保ったまま近寄ろうとはしなかった。
「若様、大丈夫ですか?お顔の色が真っ青ですよ。」
思わずセリナが尋ねると、若様はうつむいたまま大声を出した。
「……セリナは行って!ここにいないで!ここから出て行って、お願いだから!」
突然の拒絶にセリナは戸惑った。さすがに傷つく。だが、夜中に悲鳴を上げて泣いていた時のことを思い出した。
「この音、聞きたくない…!嫌だ、フォーリはどこ?」
若様は両耳を押さえて叫んだ。体が小刻みに震えて、両目に涙が浮かんでいた。
(…音って鐘の音?)
「この音、聞きたくない…!なんか、嫌な事を思い出しそうだ!」
「若様、布団を被って…!」
セリナは言いながら、布団を引っ張ると恐怖のためか身を縮こまらせたまま、立って震えている若様の頭から布団を被せた。
「ほら、これなら少しは聞こえないでしょ。」
「嫌だ、聞こえるよ…!それに、布団もいやだ…!」
セリナは考え、覚悟を決めた。
「じゃあ、これを聞いて…!」
大声で子守歌を歌う。
「ねーむれー、ねーむれー、わーがーいとしの子ーよー。」
必死になって歌う。フォーリが来るまでなんとか時間を稼げれば。先生方が近寄らないのはきっと、何かあるからだろう。
「若様…!」
窓が開いて、フォーリが入ってきた。すぐに窓を閉める。
「ふぉ、フォーリ…!こ、この音聞きたくない!嫌なことを思い出しそうなんだ!何かわからないけど、思い出したくない!」
「若様、よく耐えました…!もう、大丈夫です。だから、安心して下さい。」
急いでフォーリが布団を被ったまま、立って震えている若様を抱きしめた。
セリナはほうっと大きく息を吐いた。
「…せ、セリナが変な調子で歌を歌ってたんだ。だから、なんとか耐えられた。」
フォーリが振り返って頷いた。セリナも頷いて退室する。その時、二人の医師がにっこりして頷いた。ベリー医師が「よくやった。」と小声で褒めてくれた。なんか嫌な予感がする。
(きっと、犯人は父さんだけじゃないんだ。)
セリナは自分でも呆れるほど早く、もう、オルが犯人の一人でおかしくないと受け入れていた。
(たまにやってきていた商人達。彼らも犯人のうちの一人。でも、捕まえたような話はしていたわよね。)
そう、他にまだいるはずだ。一体、誰なのだろう。若様が嫌がることばかりをする人は。




