第七話 日常の中に沈む
「よかった!無事だったのね!」
家に戻るとパンジーが笑顔で出迎えてくれた。
「もう、パパすごく慌ててたから、私たちもすごく心配で死んじゃってるんじゃないかと思ったじゃない。」
目をウルウルさせてそういいながら俺の肩を殴ってくる。本気で心配させてしまったらしい。
俺は俺の勝手な行動でこの家族全員を心配させてしまった。しかもこの家族の収入を減らしてしまった。どうお詫びすればいいのだろうか。わからないがただ謝るしかない。
「本当にごめん。心配かけたし、羊も2匹ダメにしまった。俺が勝手なことしたばっかりに。」
「謝らないで。私たち家族の客があの山で死ななかった。それは何よりも素晴らしいことなんだから、ほかのことは些細なこと。誤る必要なんてないんだよ。」
出会って間一日しかたっていないのにこんなことを言われるなんて思ってもみなかった。草原で寝転がっている俺に声をかけてくれたことといい、朝から俺を心配してくれていたことといいこんないいこと今まで出会ったことがない。
「ごめん。ほんとに。」
何よりそんな心優しい子に心配をかけてしまったことが本当に申し訳なく、そんな自分が情けない。
「謝らないでよって言ってるじゃないの。」
「ごめ、いやこれは違くって、えっと…これからはその、この恩を返せるように頑張るから。この家の仕事の手伝い。」
俺はパンジーに連れられて家の少し離れた場所にある大きな建物にやってきた。
中は大きい倉庫のようになっているが地面に藁が敷き詰められている。窓や、壁のすのこ上の隙間のおかげで日の光が当たりそんなに暗い様子はない。ただ、その窓や隙間で換気はしているのだろうが羊の糞尿のニオイだろうか、鼻に少しツンとくる堆肥のようなにおいはする。臭い。
「午前中羊たちにご飯を食べさせるために放牧しているうちにここを定期的に掃除するのがいつも午前中にやる事よ。掃除道具はこれを使うわ。結構ハードだから覚悟してね!」
そういって箒を与えられた。掃きだした藁や糞尿は肥料にするらしいので一か所に集める必要があるとのことだ。
羊小屋の端から箒で掃いて藁をかきだしてゆく。初めのうちは楽だったが掃きだしてゆくうちに藁の量が増えてゆき重くなる。
しかも藁は糞尿でしっとりとしているためなかなか動かしずらい。確かにこれはハードだ。
ひたすら藁をかいて外に集める単純な作業だ。しかし、落ち込んだ時こそこういう単純作業が心地よい。
なんだか脳内で考えが整理されていくような気がする。
「そういえばなんでわざわざ夜のうちに出かけたの?朝出かけてもよかったじゃない?」
掃除を始めてしばらくたち、半分ほど終わったタイミングで掃除をしながらパンジーが訪ねてきた。俺も掃除をしながら答える。
「ああ、あの日の朝ダリアさんにオーディンにはいくなって怒られたんだよ。だから朝出かけるわけにはいかなかったんだ。」
「お父さんにそんなこと言われたのに行ったんだ。すごいね。」
パンジーのほうから聞こえてきた一定のテンポを刻みながら藁を掃く音がそこで途絶えた。それで俺はパンジーのほうを向いて自傷気味に答えた。
「ああ、あの時は俺のほうが絶対に正しいと思っていたから。実際にはダリアさんのほうが正しかったわけだけれども。」
少し間があった後パンジーは答えた。
「そっか、パパが正しかったんだよね。でも、パパにダメって言われても行動できる勇気がすごいよ。」
「いや、ただ現実を知らずに無茶しただけだよ。俺が甘く見てた。」
この家を飛び出したときは本当にできると思っていたし、あの上に立ったら次は何が見えるのだろうという思いでいっぱいだった。俺はそこに付属する困難や自分の力なんてこれっぽっちも考えられていなかった。
「でも現実を知らなかったとしてもその勇気はやっぱりすごいよ。」
そう言った彼女の目はどこか遠くを見ているようだった。
お互いにばつが悪くなってしまったのでお互いにまた無言で掃除を続ける。
「死んじゃったりケガしちゃったり、挫折したりするのはイヤだけど私はそういう無茶なことは続けてほしいな。それを見ると私も勇気をもらえるんじゃないかって思えるから。」
パンジーが何か言ったように聞こえたが箒で藁を掃く一定のリズムにかき消されてその言葉は俺には聞こえなかった。
「次は新しい藁をひきます。」
パンジーは羊小屋の隣の倉庫を開けてそう言った。倉庫の中には藁がいっぱいに重ねられていて、その量に圧倒してしまう。
「これは、すごい量だな。」
「でしょう。でもこれ全部は使わないわ。この荷台三往復分でオッケーよ。」
荷台に藁を積んで羊小屋のほうに移動しようとするが引き留められる。
「ああ、ちょっと待って、藁をひく前にこっちの倉庫に来てほしいの。」
「ああ、そうなのかごめん。」
パンジーが手招きしている方に進む。そこも何かの倉庫のようだった。今度は何だろう。倉庫を開けると大量の黄土色をした粉が置かれていた。
「これはおがくずよ。木を切ったときに出るカスのことね。羊小屋に敷く藁はこのおがくずを混ぜるの。そうすると水分を吸ってくれるから掃除もしやすくなるし、畑に使う肥料にもなりやすくなるのよ。」
「へぇ、そうなんだ。すごいなぁ。」
素直に感心した。おがくずにそんな効果があったなんて。今までそんなこと全く知らなかった。ましてやおがくずや藁なんて触った記憶すらほとんどないのにそんなものがこんなに役に立つものだったなんて衝撃的だ。
おがくずを荷台に入れて藁とおがくずを混ぜそれを羊小屋に入れてならす。それを3回行うと時刻は昼をとっくに過ぎていた。
昼食のパンとチーズをひとかけらずつ食べ次の仕事に取り掛かる。次の仕事は放牧していた羊を羊小屋に戻す仕事だ。
「羊を戻すときは牧羊犬にてつだってもらうの。今回はハンターとレミーに手伝ってもらうわ。」
「おー犬だ。近くで見るとでかいしカッコいいな。お手。」
犬の姿に頬を緩めた。牧羊犬のハンターとレミーは二匹ともシュっとしていて耳が垂れた毛の短い犬だった。ニコニコしながら手を出す。
「ガウガウ!」
「うわあ、吠えるなよ!かみつくなって。」
めちゃくちゃ吠えられた。急いで離れたが不審人物だと思われているのだろう。グルルと低い音を出して威嚇している。
「ガウ!」
「ヒッ!」
「何やってんの?」
パンジーはハンターとレミーを落ち着かせ、俺のことは敵じゃないと教え込んでいる。そしてそれがわかったのか威嚇してこなくなった。
「今日は時間もないから私がお手本を見せるね。あ、でも口笛吹いている姿見られるのは恥ずかしいから見ないでね!」
「そんなんで俺口笛吹けるようになるの?」
「えっと、口に入れてこうぷーッてやるの!ぷーッて!」
「え?どういうこと?」
パンジーは説明が下手だった。そして俺は全く口笛が吹けなかった。
パンジーは口笛を巧みに吹いて牧羊犬に指示を出す。
初めて見た時とは違ってどういう仕組みになっているのか観察していると何となくわかった。
どうやら音の長さで指示を使い分けているらしい。二匹は音に従って方向を変えながら駆け巡る。その先では羊が必死に反対側に逃げようとは知っている。しかしその羊たちははぐれることがなく羊小屋のほうに向かって走っている。まるで手品のようだった。洗練されていて美しい動きだ。
やはりこの動きは何度見ても飽きないだろうなと思った。
羊をすべて誘導し終えて犬たちはパンジーの元にやってきた。
「今日もお疲れ様。」
パンジーがハンターとレミーをなでているが二匹の犬はそれでも高貴な表情を浮かべている。
この犬たちの姿はペットの犬とは似ても似つかない。まるで違う生き物のように見える。ペットのような無邪気さやあざとさ、人懐っこさは全くない。代わりに自信と厳しさとプライドを持っているように感じる。
かといって絆がないわけではない。むしろとても強く感じる。ペットがペット、すなわち愛玩動物だとしたらこちらは頼れる相棒といったところだ。
「すげぇなぁ。感心したぞ。」
俺が手を差し出す。
「ガウガウ!グルル!」
「ヒエッ、また吠えられた!」
「だから何やってんの?」
気を取り直して作業に取り掛かる。あとは羊小屋の塀のカギを買って羊が逃げないようにするだけだ。その作業をしていると犬と羊、そして口笛その連動した美しい動きを思い出した。
「俺口笛吹けるようになってもこんなことできるようになるとは思えないんだけど。」
パンジーに話しかける。
「私も初めはできなかったよ。でも、できるようになったのは本当に最近。ずっと練習してきたから。」
ずっと練習してきたからか。
「俺も練習したらできるようになるかな。」
「何を?」
エメラルド色の瞳がぎらりと輝いき、こちらを見つめている。俺は少しぎょっとした。
「そりゃ…口笛だよ。」
一日はあっという間に終わってしまったが充実した一日だったように感じる。
山に登って失敗してしまったが、今まで体験したことがない仕事をした。現代でいろんな電子音に囲まれて空気清浄機やエアコンが生み出した管理された空気を吸い、寸分の狂いもなくまっすぐで均一な道路やタイルの上を歩き不自然な正常さで管理された通りにあくせく働く。そこにはコンクリートジャングルで無機物なモノクロの世界しかなかった。
しかし、ここの日常は藁やおがくず堆肥など自然のものを使い、生き物とともに生活する暮らしで草原の緑、青い空、羊や雲の白など命が宿ったカラフルな色彩であふれていた。
都会の杓子定規で失われていった自然の恵みがある。それが豊かに思える。同じ平凡な日常でもこっちで自然のまま、自然の移り変わりを感じながらのんびり生きるのもそれはそれでいいじゃないか。
それはそれで?まるでほかに自分がやりたいことはあると言いたげじゃないか。
俺はこの選択肢が妥協だとでも言いたいのだろうか?俺は命を失う失敗を仕掛けたのにまだ望むのだろうか。
心配をかけちゃだめだ。この生活も幸せなことじゃないか。ダリアさん、パンジー、そしてお母さんたちの顔を思い出せ。もう一度あんないい人たちにあんな顔をさせるのか。
心に刻み付ける必要がある。この生活をこれからずっと送るんだ。俺は自分の心にそう言い聞かせた。何度も言い聞かせた。
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