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頂の景色  作者: からげんき
第二章 高い壁を越えて
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第八話 崖っぷちの未来

 羊飼いの朝は早い。日の出前の東の空の色が変わってくる頃にはもう活動を開始しないといけない。まずは水くみを行う。家畜用の水25キロを4回川からくむ作業を行う。初めのうちは25キロの水が持ち上がらなくて10キロを5回行ったところでダリアさんに代わってもらったけれども今日はやっと25キロを4回で運べるようになった。


 それが終わったら今度は羊たちのミルクを絞る作業だ。羊は一日に2回朝と夕方にミルクを出す。俺がこの作業を行ったのは2日目からだ。初めは全くミルクが出なかったがコツがわかってきて今では普通に絞れるようになった。親指と人差し指でわっかを作り上から順番ににぎってゆくと乳しぼりができる。


 俺が乳しぼりをやっているとパンジーがやってきた。


「おはよう。今日はもう水くみ終わったんだね。」


 昨日までは水くみを終わらせる前にパンジーがもう乳しぼりに取り掛かっていた。


「慣れてきたんじゃない?」


「そうだね。昨日初めて一日の仕事の流れを一人でできたし、今日はやっと25キロの水を運べるようになったからな。」


 そうなのだ。この生活にも慣れて少しずつ余裕が生まれ始めた。掃除の時間は短くできるようになってきたし自分の成長を肌で感じる。日進月歩だ。


「でもまだまだパンジーやダリルさんには負けるよ。長年やってきてるんだからなんというか、息をする感じっていうか、体に身についてるっていう感じがする。」


「それ褒めてるの?」


 パンジーは乳を搾りながらそう言っている。羊が俺の周りで順番待ちしているのでパンジーがどこにいるかはいまいち見えない。


「褒めてるよ。乳しぼりのスピードだって俺よりも早くて効率よくとるから俺の何倍もミルクを取っているし、何より俺は口笛が吹けないから羊の誘導ができない。」


少し沈黙が続いた。ミルク回収用のバケツにミルクが注がれる音だけが続いている。少し気に障ることを言ってしまったのだろうか。



「そうだね。」


 パンジーは少し小さい声で答えた。そして淡々としゃべり始めた。


「確かに私小さい時から家のお仕事をしてる。だから家のことは意識しなくてもわかる。一日中寝ながらだって仕事はできると思う。


 でも町にも行ったことはないしましてやこの地から出たこともない。だからほとんど何も知らないの。でも友達から噂は聞くの。町のおしゃれな服とかとっても甘い食べ物とか車とかいう動く部屋のこととか、映画っていう動く絵のこととか。私は乳の絞り方とか口笛を吹く方法じゃなくてそういうほかのことをもっと知りたいの。


「ごめんね。だから私が今できることは私にとってそんなに誇らしいことじゃないんだ。」



「そっか。ごめん。」


 思えば初めにあった時も目を輝かせて町のことや異世界のことを聞いてきたっけ。俺は今のところまだこの生活は日常という感じはしない。できることができるようになっていって面白くなってきたタイミングだ。


 でも、できることはそのうち当たり前のことになる。


 パンジーはそうやってずっとできて当たり前の中で刺激が何もない中で毎日同じ繰り返しをしてきたのだろう。しかもこの家の家業を継ぐといっていた。ずっとやることがわかっていて何の変化も望めない退屈な日々が続くことが約束されてしまっている。



 そんな中俺を見つけたんだろう。俺は紛れもなく非日常で刺激的な存在だったはずだ。


「そういえばさ。初めて会った時、どうして声かけてくれたの?」


「え、なんでそんな話いきなり?」


「いや、なんというか話のつながり的に。」


「つ、つながり?つながりあったかなぁ。」


「いや、でもさ教えてよ。気になっちゃって。」


「恥ずかしいから言わない。」


「何かはずかしいことあるんだ。そう答えた時点でちょっと恥ずかしくないの?」


 少し意地悪して聞いてみる。何となくだけどどうしても聞きたい。


「いや、うっ、わかった言うよ。何となく話のつながりってのもわかってるから。」


 パンジーはため息をついて言った。


「仕事もひと段落ついてどこか羊が見渡せる場所で本を読もうと思っていたの。そんなときにあなたを見つけたわ。初めは怪しい人だって思ったから無視しようと思っていたの。でも、チャンスなんじゃないかって、もしかしたらこの人を助けたら町に招待されてそのあと…とか何かうまいこと家のしきたりを変えてどこかに連れて行ってくれるんじゃないかとか。もしかしたらそんな未来に変わるかもしれないって思った。だから話しかけたの。」



やっぱりそうだったか、俺の予想はある程度当たっていた。でもこの予想は当たってほしくなかった。内臓がぐわっと熱く重たくなった気がした。


「ごめん。期待通りにいかなくて。俺じゃ何もできなかった。許してくれ。」


「いいの、いいの。私が勝手に期待しただけなんだから。そんなに謝らないで。他人に勝手に期待しておいて許さないなんて変でしょ。許すに決まってるじゃない。」


「ごめん。ありがとう。」


 ここで感謝しかできない自分が情けなく感じた。


 日が昇り、明るくなるといつも通り羊を外に出して羊小屋の掃除をする。羊を出すのはパンジーに任せ、俺は羊小屋の掃除を一人で行うことになっていた。一人で任せられるようになったのも手際が良くなった証拠といえるだろう。今日は調子がよく作業もいつもより早く終わったので近くの丘を散歩することにした。


 すると、丘の上で本を読んでいるパンジーが見えた。そういえば俺と会った時も本を読む場所を探していたって言っていたし、実際本を持っていた。何を読んでいるのか聞いてみるか。


「おーい!」


「ひゃあ!」


 甲高い叫び声をあげてパンジーは持っていた本を後ろに隠す。


「なんで隠すの?」


 何の本を読んでいたんだろうか。隠す必要はあったのだろうか。


 「お父さんだと思ったから…。」


 ダリルさんに見られたくない本?本当に何を読んでいたんだ。俺もみないほうがいいかも。誤って引き返そうと思った時にパンジーはその本を差し出してきた。


『数学』


 その本の表紙には大きくこう書かれていた。どうやら家の手伝いの間に勉強をしていたようだ。しかし、またしても疑問が思い浮かぶ。


「勉強やってるところを親に見られたくないの?」


 ふつうはむしろ親に勉強をしろと言われて無理やりやるのが普通だろう。でも隠しているということは内緒で勉強しているということだ。なんだかよくわからない。


「パパはね、この生活をしていくなら勉強なんて必要ないっていうの。実際にそうするなら私もそう思う。でもね、やっぱり私はここから抜け出していったことのないところに行きたい。」



 朝に話したことがよみがえる。もしかしたら俺は俺が思う以上に彼女の大きな希望だったんじゃないか。


「それをするには私にはうんと勉強して頭がよくなってここに入るしかないの。」


 パンジーはそう続けて本に挟んであった紙を差し出す。そこにはこう書いてあった。



我々ハ君ヲ待ツ


マダ見ヌ才能ノ原石ヨ 世界ヲ知ラヌ青キ芽ヨ

知ッテイルカ 想像及バヌ世界ノ広サヲ

星ガ輝ク夜ノ国 天ニ届ク大樹

青イ炎ガ燃ユル森 光放ツ洞窟

光及バヌ大地ノ裂ケ目 七色ニ光ル楽園ノ海

マダ見ヌ不思議ハ留マル事ナド知ラナイ

私タチニハ君ガ必要ダ 共ニ私タチト見テ知リ

未知ヲ照ラシ新タナ世界ヲ開拓セヨ

シテ己ノ力ヲ輝カセ新タナ時代ヲ開花サセ栄光ヲ掴ンデミセヨ

君ハ其ノ力を持ッテイル

我々ハ君ヲ歓迎スル


神聖秘匿事象究明機関(インベスティゲイター)



 裏面には試験の日程や場所が書いてある。何かの試験なのだろう。そして気になるのは神聖秘匿事象究明機関(インベスティゲイター)という組織だ。これは何だろうか、研究機関か?


 ともあれこの文章は俺に刺さるものもある。ここから抜け出したい。そう思っているのならなおさらだ。


「だから、ここに応募して受かるの。それでお父さんが参ったって私を認めて、私は町に行く。それしか私の未来は変えられない。元々こうするつもりでやってきたの。私はあきらめないから。」




 俺はこれを聞いてからその日はずっと上の空で過ごした。夕飯の干し肉やパン、シチューの味もよくわからなかった。夕飯の後パンジーはダリルさんに呼ばれていた。俺は自分の部屋に戻った。そしてベットに寝転ぶ。



 何となく彼女の今と俺が重なる。不満な毎日が続くことにあきらめ、慣れてしまいながらも、未知のものに出会い希望が生まれる。そして、それがまやかしだと知り、また、今までの生活普通の日常に戻ろうとする。似ているなんてもんじゃない。いや、彼女は違う。彼女は俺が自分に変化を与えないと知ってしまっても自分で変わろうと努力している。


 彼女は俺と同じように挫折してしまうのだろうか。いや、そんなことはダメだ。彼女が俺に期待できなかったのは俺が弱いせいだからだ。俺の弱さのせいで彼女が俺と同じ道をたどるなんてあってはいけない。そんなことはしてほしくない。



 かといってどうすればいいのだろうか。俺が彼女にできることはあるのだろうか。


 そこにバンとドアを大きな音で開けて誰かが入ってきた。俺は予想もしていないことにびっくりしてベットから飛び起きる。


「誰!?」


 パンジーがこちらをにらんで立っていた。いつもの優しい表情ではない。激しい怒りか、悲しみか、そういう表情だった。よく見ると頬が涙でぬれている。


「これからお婿さん候補を探すって言われたの。町やこの村で相手を募って2か月後にはお見合いを開始するって。」


「ッ!?それじゃあ、あの紙に書いてあった試験は間に合わないじゃないか。」


 これでお見合いが始まってしまい、婿が決まればパンジーは今までと同じでずっと変わらない仕事をしていくのが決定づけられてしまう。しかし、試験は3か月後。これでは間に合わない。


 パンジーは早口でまくし立てる。相当切羽詰まっているのかしゃべっている姿に余裕がない。


「でもまだ打つ手はあるわ。この試験の受付は1か月半後。そして1か月後には学校で学期末のテストがある。そこでいい点を取れれば学校からの推薦状を受け取ることができるの。それがあればお父さんも認めてくれてお見合いは中止になってくれるかもしれないわ。」


 そしてパンジーは本を見せて言った。昼に見せてもらった数学の本だ。


「初めて会った時の会話、私覚えてる。大学とかいうところに行くために毎日勉強漬けだったって言ってたよね。あと、そっちの世界には空を飛ぶ機械があるんでしょ?こっちにはそんなものはない。聞いたことがない。そんな世界の勉強がこっちの世界より優れていないわけがない。だからお願い。私に勉強を教えてほしい。私を1か月で推薦が取れるくらいにしてほしい。」


 一息でここまでのことを話し終えたのち、一呼吸して言う。パンジーのエメラルド色の目が不気味に光る。


「朝しゃべったこと覚えてる?どうしてあなたに声をかけたかの話。」


 涙をこらえているせいで声が震えている。


「あなた『期待通りにいかなくて。俺じゃ何もできなかった。許してくれ。』って言ったでしょ。私もあの時は許した。」


 今ちょうど考えていたことと重なって心臓が大きく揺れた。しかも半日以上時間がたったのに俺はどうすればいいかわからない。なんて情けないんだ俺は。


「でもやっぱり許さない。私は変えたい。私の生活。もう時間がないの。」


 最後はもう泣いていた。


「だから助けて。お願い。」


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