第五話 たとえ否定されても
登ってはいけない?
俺は予想外の答えに面食らってしまっていた。俺が話していたことを聞いていたのか?なぜ今あったばかりの人に俺のやることを禁止されなければいけないのだ?
「どうしてもだめなんですか?」
しかしダリルさんの答えは変わらない。それどころか引き下がってくることにイラついているように見える。ぶっきらぼうに言った。
「ダメだ。絶対に登ってはいけない。」
「どうしてですか?」
「あの山を見たらわかるだろう。危険だからだ。それに聞いたところ君は絶景に感化されてあの山に行きたいと思ったのだろう?絶景が見たいのならわざわざ危険な山に登らなくても見知らぬ街に行ったり、海に行ったり、より安全な山行をすればいい。景色のいい山なんぞオーディン以外にもたくさんある。」
確かに言っていることは一見正しい。でも俺はただ絶景を見たいのではなくてもっとこう、違うほかにあるのだ。あの山に惹かれる理由が。
「違うんです。絶景とかそういうことじゃなくて、いや絶景を見たいっていうのは確かにそうなんですけれど。もっとこう、自分との闘いというか、あそこに行かないと未来がないっていうか、そういうことなんです。」
そうだ。オーディンに行かないと俺はまた逃げてしまうことになり、昨日見た絶景の意味がなくなってしまう。だからあの山じゃないとだめなのだ。あの山の頂に立たないと俺はだめだ。これはいわば、脱皮したての新しい俺が、このまま変わっていくために必要なことなのである。
しかし、ダリルさんはそんな俺などお構いなしだ。
「何をカッコウをつけておるんだ。そんなしょうもないプライドなぞ無駄なだけだ。さっさと捨てなさい。」
しょうもないだって?
何を言っているんだ。この思いがしょうもない物のわけがない。あの闇を抜けて光を見た中で得たあの確かな感覚と、進むことがよくなるために正しいという確信はしょうもないと一蹴されていいはずがない。
「何をわかった気になっていっているんですか。これはしょうもないプライドなどではないんです!もっと大事なことだ!」
「わかった気になっているのはお前だ!」
ついにダリルさんは怒鳴った。
「山をなめるんじゃない!君はこの世界に来て間もないから興奮して冒険者にでもなった気でいるのだろう!自分に行けぬところなどないと思っているのだろう!しかしそれは甘い。現実を知らないからだ!君と違い私はずっとこの世界に住んでいる。だから、あそこがいかに危険か十分に知っている。簡単に命がなくなるぞ!」
俺がうぬぼれているといいたかったのだろうか。俺がこの世界を知らないのと同じようにダリルさんは俺のことを知らないはずだ。しかし、俺が山に確実に登れるという証明もまたできない。反論を口に出すことはできなかった。
俺の反論がないことを確認して一呼吸おいてダリルさんは静かに僕を諭すように言った。
「すまない。つい声を荒げてしまった。わかってくれるかな?君のためを思って言っているんだ。」
結局ダリルさんから許可を得ることはできなかった。
その日の夜俺は泊めてもらうことになった。泊めさせてもらった部屋の窓からは星の光とオーディンのシルエットが見える。そのシルエットから眼を放すことができない。
外から見たら牢屋の中みたいに見えるんじゃないか、ふとそんなことを考える。
窓の枠が監獄の鉄格子でその中から娑婆の空気はどんなんだろうと外を見続ける囚人。そんな姿を想像した。
こっちの世界に来てようやく俺も何かできるんじゃないかと思っていた時にこれだ。また前の世界みたいにまた他人に言われて安全な方、正しい方に閉じ込められてしまった。
でも実際にはそうじゃない。これはただの窓で俺は拘束なんてされてない。
そうだ。そんなことで変わった俺は止められない。
昨日の暗闇を抜ける瞬間や、その後の光輝く景色を思い出す。これは困難の途中なだけだ。昨日も足元が何も見えず段差で躓いたりしたがそれでも森を抜けることができた。だから危険も乗り越えられる。俺を止めることをできる人はもういないのだ。
夜が明ける前に俺はそっとこの家を出た。
オーディンへの道は森がなく草原の中を歩くような感じだった。星明りの下の散歩だ。森と違い足元はうっすら見えるので道もわかった。風で草が揺れる音だけが聞こえる。プラネタリウムの中を歩いているようだ。
そしてオーディンのシルエットが近くなってゆくにつれ足元が変化していったのがわかった。初めは均された道、町はずれに出ると凸凹してきて、さらに進むと岩が多くなり、先に行くに従って道の狭さも狭くなっていった。開放感があって今度は怖さを紛らわすためではなく、思わず歌いだしてしまうような道だ。
日中だったらどんな景色なんだろうと想像しながら歩く。夜の闇はただ怖いだけじゃなくて想像力を引き立てられてわくわくする時間でもあったんだ。そして自分の思考の変化に、昨日と比べただけでも成長していることに気が付き俺はにやにやしながら歩いていった。
早朝に岩山のふもとにつく。ここから先はどんどん角度が急になっていき両手両足を使って登らなければならない。先ほどまでとは違ってもう道しるべはない。
つまり、ここから先は自分で道を決めなくてはいけないというわけだ。しかし、俺は崖登りはおろか登山さえまともにやったことはない。目の前の壁を見渡してもどこも同じようなごつごつした岩肌にしか見えない。この壁をどうやって上るのだろうか。
やはりダリルさんの言う通りこれは俺には無理なのではないだろうか?
そんな考えがよぎる。上を見てみても壁のてっぺんは見えない。ゴールが見えないからこの道もよくわからない状態がいつまで続くかわからないということだ。俺にそんなことができるのだろうか?
「いや、あきらめちゃだめだ。」
そうだ。あの森の中を歩いた時も弱い気持ちになってしまったがそれでもくじけずに歩き続けることで目的地似たとりつくことができた。
それにあの言葉だ。しょうもないプライド。
俺が精いっぱいの力を振り絞って得たあの感情を何も聞かずに馬鹿にされた。今の新しい俺を否定されたのだ。ここでまたあきらめて前のような自分に戻れというのか。そんなことは許されない。
あきらめるな。どんな困難でもこっちでの俺は挑むぞ。
周り歩きながら壁を見上げていると他よりも比較的傾斜が緩くて足や手の置き場がありそうな場所があったのでそこから登ることにした。どれも大きくて10センチほどしかないようなつかむ場所や足場しかなかったが必死にそれを探し出して崖を登ってゆく。
「クソ、登りづらい。」
足元を見る。今はいているものは妻先のとがった皮靴だ。つま先が使えないので添ても登りづらく、足を置けるような場所も必然的に制限される。それでいてスーツのズボンは収縮性が絶望的に悪い。結果、足の置き場が限られているのにもかかわらず動きまでも制限されている状況だ。
それでも何とか上り、平らな場所につく。ここで休憩しよう。
岩登りがこんなにも大変だとは正直思わなかった。アニメとかゲームとか見てみるとなんだか楽に登っているように見えるので、俺も楽にできるのかなと思ったけれどそんなことはなかった。かなりきついし、腕は少し震え始めている。
だけどここまでは登れた。崖の上は先ほどよりも傾斜が急になっているようにも思える。先ほどよりも難易度は上がるかもしれないが気をしっかり保たねば。腕の震えが収まるのを待ち、その後もう一度気合を入れなおして壁に挑みなおした。
それから苦労しながら登っていくうちに手掛かりや足掛かりになるような小さな段差はどんどん少なくなっていった。下から見た通り傾斜もきつくなっていき先ほどのような平らな休めるところもない。それでも登るためには登れそうな場所を探し続けるしかない。
腕が限界だ。かなりふるえている。まだ山頂のようなものは見えない。というか先ほどから全く距離が縮まったようには思えない。何とかならないものか、そう思いふいに下を見る。地面ははるか遠くにあり、地面がかすんでいるようにさえ見える。直感で分かる。落ちたら死ぬ高さだ。
死!
強烈な一文字がドカンと衝撃をもって頭の中を占拠した。
そう思うと全身が震え始めてきた。数センチの足場を探してこの岩に張り付いている自分がとてもみじめに感じる。しかし、降りることもできない。登るのと同じように下ろうとしても滑落することがわかる。ここで死ぬわけにはいかない。死なないためにも進み続けなければならない。
震える腕を何とか制御しながら登っていったがそれをあざ笑うかのように手足の置き場は減っていくし角度は急になってゆく。
「はぁはぁ」
息も上がっている。腕はもう限界だが一度登って周りに手の置き場がないか探し、また昇って手の置き場がないかを探し、という作業を繰り返しているためなかなか進むことはできない。
次の手の置き場はあそこしかない。今いる位置よりもかなり遠い右斜め上の位置だ。
「うぐぐ」
手を伸ばしても届かない。何とか届くように体全体で手の置き場に近づけようと体を持ち上げる。
ずるっ
えっ?
左腕に力を入れていたものがなくなり空を切る感覚をはっきりと感じた。その次の瞬間体は岩から離れ目の前にあった壁が遠ざかる。そしてそれに合わせて体重が失われてゆくのを感じた。
やらかした。俺は滑落したのだ。




