五話目 セブンスター
煙草を口にくわえ、ライターをつける。火が風に消されないよう左手で覆いながら、ゆっくり優しく吸う。肺に煙が入っていく快感を覚えながら物陰に隠れる。
こちらの方向に向かってくる足音は二つ。なんら対処は難しくない。今回の任務もそうだ。何も心配事はない。ただ唯一懸念点があるとすれば、平野有人と共に任務を行う少女、朝倉みかん。
本名、アンナ・アルべニア・ドッティルだろう。
有人とアンナの関係性は決して深いものではなかった。十六の秋の頃にメイカ・A・フリーツの仲間になりたいと懇願し、行動を共にするようになり、アンナと知り合って二年。普段感情を表に出さないアンナと思ったことは何でも言ってしまう有人は相性が悪く、今回のように任務を共にすることはあっても仲良くするというわけではないので、その溝は一向に埋まらない。
だがそれほど関りが少なく、アンナのことをよく知らない有人であってもわかることが一つだけある。
それは、アンナと共に任務を成し遂げることは有人にとって難解なことだということだ。
というのも、その理由は任務に対する遂行の仕方に関係がある。
有人は任務に対して基本的に指示されていることを完璧に成し遂げるためにしっかりと考えて行動すると言った方法をとるが、アンナは任務遂行だけを目的として行動する。過程を一切気にせず結果だけを重視するアンナのやり方は有人と非常に相性が悪い。
現に今アンナは勝手に敵本部に侵入しているのだから。
(困ったもんだねぇ)
二人は今、とある港付近にたたずんでいる研究所から薬品を奪い取るという任務をこなしている。目的のものが薬品というだけあって前回の龍の剣の時のように爆弾を使うことはできない。故に有人は悩まされていた。どうやってアンナの行動を操作しようかを。
まず間違いなくアンナは爆弾などの武器を使う。任務である以上薬品を傷つけるようなことはしないだろうが、なにより危惧しているのはそういった道具を使うことで後々、有人たちがこの場に来たと特殊部隊の者たちに気付かれるかもしれないということだ。そうなれば防犯カメラなどで任務後に向かった場所を特定されるかもしれない。
それだけは絶対に避けなければならない。そんなことを考えながら防波堤の近く、倉庫の壁にもたれ掛かる。そして——
「どうも、こんにちはー」
「貴様はっ!」
こちらに向かってきていた足音の正体が有人の前に姿を現し、銃を向ける。その男が引き金に手を掛け指を曲げる。
有人の眉間に弾丸が到達——そんな一連の動作をするよりも早く、有人はホルダーにかけてあった拳銃を引き抜き男の脳に発砲。男を即死させ、背後にいたもう一人の女の頭目掛けて左足を打ちつける。女をそのまま倉庫の壁に叩きこみ気絶させたのち有人はしゃがみ込む。
両肘を膝に置き、右手にはまだ銃口の熱い拳銃を持ち左手で先ほどまで吸っていた煙草の続きを吸う。時間にして約十秒にも満たない時間のうちに有人は一人の人間を撃ち殺し、もう一人の人間の頭蓋骨を砕いた。なのだと言うのに何事もなかったかのように再び煙草を吸い始める彼の姿はまさに異常と言わざるを得なかった。
そして地面に広がる血液を見下ろしながら、有人は重い腰を上げ立ち上がる。
有人は先程までアンナと共に研究所内部にいた。その際、研究所の人間に見つかりアンナと有人は二手に別れた。
そう、見つかったのだ。だというのに有人に向かってきた追手はたった二人。
理解した。恐らくはアンナが研究所内で暴れまわっているせいでこちらに向けれる戦力が少なくなっているのだろうと。
ならば都合が良い。このまま人手をアンナに向けさせ続け、警備が手薄になったところを一気に叩く。
煙草を地面に落とし足で鎮火し、白髪の顔をした年老いた男のマスクをかぶる。
「ホントはマスクなんて被りたくないけど・・・仕方ないか」
殺した人間だけを海に放り込み、平野有人は駆け出して行った。
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「全く、まったく彼は、一体全体どこへ逃げたのかねぇ」
右手に血塗られた刀、左手には拳銃を持ち、廊下で小言を発する女がひとり。
それは白のシャツに黒のジャケットを着た、闇に紛れることのできる平野有人の服装と違い、ラベンダー色のパーカ、青のジーンズといった町中にいても何ら不思議でない格好をしているアンナ・アルべニア・ドッティルその人である。唯一それと異なる点と言えば正体を隠すために仮面をかぶっていることくらいだろうか。
目的は研究所内にあるはずの薬品。それを盗み出すことだというのに、まさかそのことを放棄して逃げ出したのか?こんなにも私が頑張っているのに?
そんなことを思いながら刀を肩に乗せる。研究所内で殺した人間の数は一体何人になるのだろう。職員に見つかって、追いかけられておよそ四半刻が経過した。切っても、撃っても、蹴っても、殴っても、爆破しても、次から次へと湧いてくる職員に嫌気が刺す。
この研究所が開発している薬品は、言わばドーピング剤だ。普通に流通しているようなドーピング剤ならばアンナたちも放っておいたが、今回に限ってはそうもいかなかった。
というのも、このドーピング剤は十ミリ体に打ち込むだけでその人間に秘められた力を引き出すだけでなく、脳を活性化させ思考力を何十倍にも膨れ上がらせるメリットの代わりに、頭痛、吐き気、精神的負担、さらには人間の細胞を破壊してしまいかねない恐ろしいものだからだ。そしてこのデメリットは薬を体内に打ち込んだ直後から始まる。
この説明を聞くとデメリットのほうが遥かに大きいために、実用性はあまりないのかと考える者もいるだろう。だが、実際そうではない。
この薬のメリット部分である、秘められた力を引き出す。この力の上がり具合が尋常じゃないのだ。撃ち込んだものはおおよそ人間ではないような力を手に入れられる。
全力で振り上げた拳は岩をも砕き、増幅された筋肉により高層ビルと同等の高さまでの跳躍力、その跳躍を可能にできるほどの足による超スピードでの疾走力や、肉体は鉄をも上回る硬さを誇る。そんな非現実的、非人間的なことを可能にしてしまう薬なのだ。
メイカ・A・フリーツ率いる怪盗集団。彼女らは世界各国で犯罪を犯している。そんなことを続けているために武力行使を相手側が使ってくるときもある。
そう、このドーパミング剤が世に出れば手段を択ばない国なんかは使ってくるかもしれない。そんなことを行われれば有人たちは為す術も無く敗北するだろう。
そんなことはあってはならない。だってメイカは、アンナは、有人はまだ何も成したいことを成せていないのだから。
そんな危険なものを回収するという任務だというのに、あのガキときたら。
「合流したら説教だね」
そんなことを呟き、褐色の長い髪をたなびかせながら廊下を歩きだす。
死体を踏み、生きている者は足でどけながらまっすぐに進む。廊下の角を曲がり、向ってくる職員を切り捨て、まっすぐ進む。
道中、特筆してアンナにとって危機的なことは起こることもなく、目的の薬品が保存されていると情報を受けた部屋の前につく。
「これはあのガキホントにどっか逃げた?」
さすがにそんな訳はないと思うが、敵に追われ交戦しつつ目的地に来た身としては疑問が生じてしまう。
彼の普段からの行動の仕方から考えるともう着いていてもおかしくはないのかと思ったのだが・・・。
(敵につかまった?あのガキに限ってそんなことは無いかな。もし捕まったとしたらガキは迷いなく自死する様ないかれ野郎だからな。・・・まあどっちでもいいか)
アンナにとっては有人の存在価値などその程度のものだった。いればこき使うし、いなかったらいなかったで任務は一人で遂行する。友情や仲間意識などかけらもない。勿論恋愛感情も。彼に向ける感情はただ一つだけ。
役に立たないなら殺す。ただそれだけ。
「君は誰かな?見たところここの職員ではなさそうだし、かといって迷い込んだ一般人というわけではないね。君は誰だい?」
「怪盗Aの側近。薬品を盗みに来た女さ」
部屋の扉を開けると、ひょろがりでいて、高身長。髪は整えられていなく爆発しているような天パ状態。白衣に腕を通しているその姿は誰が見ても科学者と答えるほど普通な、お手本のような姿の男が立っていた。
ただ一つ、アンナが名乗ると同時に構えた刀と拳銃を視認しても一切の感情の変化が見られないこと以外は。
「困ったなぁ事情は知らないけどこの薬を渡すことはできないしなぁ」
ヘラヘラと笑いながら返事をする目の前の相手の言葉に「それはこっちもね」とアンナは返事をする。
自分の生殺与奪の権利を相手に握られているというのになぜこうも笑っていられるのだろう。いったい何が彼に平静さを保たせているのだろう。
目の前に突き付けられた大きな疑問。敵に銃口を向けられているこの状況の中で対処できるほどの実力を隠し持っているのだろうか。それとも諦めからくる笑い?ハイになってるだけ?普段使わない脳みそが一気に回る。
故に彼の、凡庸な男の一瞬の動きに対処できなかった。
音が鳴った・・・気がした。いや、鳴った。アンナは年齢もまだ若く、肉体の全盛である。それでも気づけないほどの高音。男の手に握られたバッチの様なものからモスキート音が鳴った瞬間室内にあったもう一つの扉から、スーツ姿でありヘルメットをかぶった巨漢の男が飛び出してくる。
——合図。薬品が保管されている部屋であるため、護衛はいると予想していた。よって、その事態に驚くことなくアンナは銃口を痩せた科学者から大男へと瞬時に向け変える。
一発。二発。寸分たがわず眉間へと撃ち込む。銃弾はヘルメットのシールド部分に直撃・・・したが、直撃しただけだった。割れなかった。シールド部分を割り、命を絶つことができなかった。
だが、例え割れていなくても衝撃は通る。割れなかったことを確認した瞬間、アンナの思考は移り替わった。
衝撃でひるんだ瞬間刀で心臓を突き刺す。
守られているのは頭部だけなのだ。それ以外は問題なく攻撃が通る。
——なぜ?薬品の保管室。その護衛人。なぜそのような重要なことを任されている人間が頭部しか武装していないのだ?
男の方向へ走り出し机に並ぶ器具を蹴り飛ばしながら進むアンナにまたも疑問が生じる。しかし、今度はその思考の切り替えをしてはいけなかった。
一瞬、凡庸な人間、あるいはそうでない人間にすら感知できないほどに短い一瞬の肉体動作の停止。その隙を晒してしまう。男の渾身の投球によってアンナの体は宙に浮き薬品が並んだ棚に打ちつけられることになった。
「てめぇ、俺のことなめんじゃねぇぞこら」
当たったのは、石。ただの石でこの威力。何回も食らえるものではない。そして、視認できても対応できないほどの投球速度。人間には不可能なほどの腕の稼働速度。
間違いなくこの男はドーピングしている。あの薬品の護衛人だから当然と言えば当然なのかもしれないが、その行為はあまりにも——
「君死ぬよ?」
「構わん」
即答。アンナ的にはもう少し考えて欲しかったが。とにかく追撃されてはまずい。一分一秒でも体を休めるために口を回さなくては。
「なんでそこまで出来るのさ。そんなにこの薬を私たちに盗まれるの嫌?」
「知らん。俺はこの薬がどうなろうと知ったことは無い」
「は?」
護衛・・・ではあるはずだ。それなのに薬がどうでもいい?彼は何がしたいのだ?
「教えてあげようか」
先程から不敵な笑みを浮かべるだけだった科学者がアンナに話しかける。
「彼はね、私に命を救われた人なんだよ。だから私の命令には逆らえないし、彼自身も逆らう気がない。お陰で助かっているよ、今この瞬間もね」
「高校を出て大学に行き、親からは養育費を出すのはここまでだと言われ、日銭にすら困る毎日を過ごす私を救ってくれたのがこの方だ。俺は力には少し自信があったからな。この方に少し力を貸しただけで大学の奨学金も支払ってくれたし、その後の生活費も賄ってくれた。俺はこの方に数えきれないほどの恩がある。今の俺があるのは全部この方のおかげだ。だからこの方の為なら命も惜しまない」
「命は大切にしなよ~」
「それを貴様が言うか」
「それもそうだね」
確かに、自分のことを救ってくれた人の助けになりたいと思う気持ちはアンナにも理解できた。自分自身がそうだから。だが、アンナはその人のために命までもは差し出すことができない。故に目の前の彼の言うことに理解することは出来なかった。
「まあ、誰かのことを思って行動できることは素晴らしいことだ。だから私は決して君のその選択を馬鹿にしない」
両手にに握った二つの武器をしっかりと握りアンナ・アルべニア・ドッティルは立ち上がる。
アンナには考え事は向いていない。考えてから行動するよりも、まずやってみるというのを意識しているからだ。失敗すればまたやり直せばいい。そのことを心に刻んで生きている。だから、
「とりあえず攻めまくるか。失敗してしまったら後は彼に任せればいいしね」
今はただ、目の前に立ちふさがる壁を壊すことだけを考える。例え薬を盗めたとしても彼を倒さない限り任務成功はありえないと踏んだからだ。
左手に握るケルテック PMR-30を相手に向け、右手に持つ日本刀を逆手持ちにし、突き出した左手の下にクロスさせる。
「護衛人、大橋大輔だ。この戦いが終わったら地獄で会おうぜ」
名乗り。数多くの研究員の命を奪いこの部屋まで来たアンナに対して行われた行為。この世界での名乗りは特にこれと言って意味はない。ただの自己紹介に過ぎないものだ。
そう、何の意味もない。彼が行ったここでの名乗りの意味は九割九分かっこつけだろう。
「怪盗A。その側近が一人。名前は朝倉みかん。・・・もし私たちが同じ地獄で会ったら本当の名前を教えてあげよう」
彼女もまた、ただのかっこつけで返事を返す。
そう、それでいいのだ。意味も理由もいらない。かっこいいから。それだけでいいじゃないか。名乗る理由なんて。
足に力を入れ一気に飛ぶ。至近距離、心臓部分であるなら弾丸は通るはずだから。だが、それをするまでに攻撃は食らってしまうだろう。
普段使わない頭を必死に回し続ける。自身の行動に対する次の相手の一手を。その次に自身はどの行動をすれば良いのかを。その行動に対する相手の一手を。その行動に対する最善の一手を。それを見た相手の一手を。その次にするべき最良の一手を。自分が取らないといけない最適の一手を。
飛び込み、心臓部分に弾丸を撃ち込もうと覚悟を決めたその瞬間、アンナが入ってきた扉と同じ扉が開き、そして——
「みかんちゃん、おまたせー。まさか僕のほうが遅くつくとは思わなかったよ~」
最高の一手が戦場に入室した。
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(誰かな?)
(誰だ?あの爺さん)
(来たっ!)
予想外の乱入者。見た目の割には声が若々しく聞こえるのは決して気のせいではないだろう。本人がそれを隠す気がないのだから。
時と場所さえ違っていればただの迷子の老人だと思われ丁重にこの研究所から追い出されていただろう。だが、怪盗の側近が研究所内で暴れまり死者も出ているこの状況下で研究所内を徘徊するこの老人に誰が心配の目を送るだろうか。
「君はそっち!」
「りょーかい」
かわす言葉は少なくして、老人と女は同時に駆け出す。突然の侵入者に気を取られ護衛人、大橋大輔は一瞬動きが止まる。
だが、それがなんだと言うのだ。ドーピングを使い身体能力、動体視力は最早人間が出せる最高のそれをはるかに超えている。たった一瞬、アンナの走り出しをに気付かなかったからと言ってなんら影響はない。
正面から迎え撃ち、頭蓋骨を粉砕すればチェックメイト。ゲームセットだ。
——?
突如として謎の違和感が大橋大輔の腹部を襲う。熱いような寒いような謎の感覚。
手で触れて、初めて自身が撃たれていたことに気付く。
「これは——」
口から零れ落ちたその言葉を言い終える前にアンナの鋭い蹴りが首に直撃する。
アンナも、流石にドーピング状態程ではないがそれなりの動きはできる。直撃を受けた男の体は宙を舞い壁に打ちつけられる。
「——っ」
喉を蹴られたことで、その痛みは首元だけでなく頭のほうまでやってくる。
(いつだ?いつ撃たれた?朝倉みかんが駆け出したと同時に撃っていた?いや、流石にそれは無ぇ。撃てば銃声はするはずだし、何より俺が視認できねぇ訳ねぇ。俺が視認できず、俺に気付かせないように発砲。……あのじじいか!朝倉みかんが駆け出してちょうど姿が重なった瞬間俺のほう目掛けて引き金を引いたのか。——やるじゃねぇか。だが、普通仲間が目の前にいるのに発砲なんてできるか?余程自分の腕に自信があるのかそれとも・・・)
「ひっ!や、やめろー!」
そんなみっともなく情けない声が部屋中に響く。視線を向ければそこには白髪姿の老人と、それに怯え尻もちをついている男が二人。
「大丈夫だって、安心しろ。あんたは殺さない。てか、殺せないからさ」
「ご、ごめんなさい。ごめ、ご、んなさい。ごめんぁさい。ごめんなさい。」
「だーかーらー。殺さないって言ってるだろう!分からない奴だなぁ。足に一発弾丸が刺さっただけだろ?泣くなよ」
銃を向けられながらそんな言葉を言われていったい誰がそんな言葉を信じるのだろうか。呆れながらアンナはそれを横目に見る。
本当は今すぐにでも目の前の男にとどめを刺してやりたかったが、アンナ・アルべニア・ドッティルの目に映る彼は『光っていない』。
それに、思っていたよりもドーピング剤の体を壊す方の効果は進行が速いようだ。放っておいても彼の体はすぐに壊れ、人間の体の形をしたただの肉の塊へとなる。
平野有人の乱入。平野有人が最高のタイミングで撃った弾丸。そして、アンナ・アルべニア・ドッティルの渾身の隙をついた蹴り。このどれか一つでも削れていたらこの男を倒すことは出来なかっただろう。
「やっぱりドーピングなんかするもんじゃないね。戦いってのは道具に頼らず己の体だけでやるのが一番だよ。ね、藤井夏凪さん」
「なぜ、私の名前を?」
目の前で尻もちをつき、怯え続ける男の名。それを知られていることに本人はえらく怯えているようだが、
「なんでって、今の時代、個人名を知るのはそう難しい事ではないんだよ」
「——っ!私が聞きたいのはそんなことではない!なぜ、私の本名を知っているのだと聞いているのだ!」
「なぜって、僕たちは世間を騒がす怪盗だよ?それくらい簡単に知れるよ~」
「おい、あまり人に私たちのことは話すんじゃない」
アンナに投げかけられた問いを有人が勝手に答える。「なんでだよ~」と更に言葉を続けようとしたが、アンナの目がマジになっていたのでそれ以上は言葉を綴らなかった。
「さて、」
アンナがそう呟き男、藤井夏凪のもとに歩み寄る。
褐色の髪をなびかせ、刀を鞘にしまい自身が持つ銃に弾丸を込め直す。狐の面の下で彼女がどのような表情をしているのかは彼女以外が知ることは無いが、少なくともその表情は穏やかではないだろう。
「君にはいくつか聞きたいことがある。勿論拒否権はない。なに、簡単なことさ。今日私たちがここに来た理由、ドーピング剤を出してもらうのと、その製造方法についてさ。特にドーピング剤、これはきちんと提出してもらうよ。予告状にも書いたことだしね」
「・・・予告状?」
「「え?」」
藤井のその発言で有人とアンナは同時に同じ言葉を発する。いくら自分たちが罪のない人たちを殺していたとしていても、予告状を出さずに来るなんてことはしないからだ。もっとも、この予告状を出すという行為は怪盗Aだけがする行為だが。
——世界にはメイカたちを含め、怪盗と呼ばれ名を轟かせた者たちが合計六人存在する。そのなかで現在も行動しているのは四人だが。
『月下の悪党』 メイカ・A・フリーツ。
『天眼』 ロミオ・フォーランド。
『悪剣』 トーマス・ヴィンセント。
『共愛の使徒 教祖』 近藤圭。
『太陽の使い』 李万姫。
『黒色』 椎名つかさ。
この彼らのほとんどが犯行において予告状をださない。
当然と言えば当然だ。なぜ自ら捕まる確率を上げる必要があるのだ。携帯で送ると、使った携帯がバレるかもしれないし、ファックスを使うと、送った先の住所までもがバレる危険性がある。とは言え、紙に書いてそれを届けると筆跡で正体がバレるかもしれないし、もしかしたら指紋もついてしまうかもしれない。新聞やチラシを切り取っての方法も同じことが言える。
そう、予告状を送りつけるというのはこれほどの危険があるのだ。
だが、彼女らは殺人を故意に行ったりしない。行動の途中、巻き込んでしまって人の命を奪ってしまうことはあれど、自ら命を奪ったりしないのだ。
メイカたちが出す予告状は、宝などを盗み出すという宣告と歯向かうものは殺すという二つの意味がある。
何も好きで人を殺しているわけでは断じていない。そうしないといけない理由があるからそうしているまでだ。だからこそなるべく殺さないように、死にたくないと願う人の命を奪わないために、メイカたちは予告状を出している。
それなのに、自分たちが予告状を出していないなんてことは許されない。奪った命の中に、有人たちと戦うことを望まなかった人たちがいるかもしれないから。
「やっべ~。これやばくない?みかんちゃん」
「ヤバいどころじゃないんじゃないかい?これは。下手したら私たちはこの後怒り狂ったボスに殺されるかもしれないのだからね。全くどうしてくれるんだい」
「え?これ僕のせいなの?」
「それはそうだろう?だって予告状を書いたのは君なんだから」
「書いただけじゃん!届けたのはみかんちゃんでしょ!?」
「失礼だな君は。きちんと届けたさ」
実験台の裏にしゃがみ込みひそひそと話す老人と狐の面の女。二人がいったい何の話をしているのかは藤井夏凪には分からなかったが、先ほどまであった、まるで胃を直接撫でられているの様な程に恐ろしい敵意はなくなった。逃げるなら今しか——。
「あっ、ちょっと動かないでね」
ほんの少し体制を整えようと床についていた手を後ろに下げた音だけで、平野有人は藤井が移動していることに気付き、手に持っていた拳銃の引き金を引く。
発砲音は完全に無く、放った弾は実験台のこちらと向こうを分けてる板を貫き、的確に藤井の左手を撃ち抜く。
「ぐぁああああ!!」
命中した弾丸は左手、その薬指と小指をえぐり取る。激痛が指先を襲う。痛みに強い有人やメイカなんかは、指をえぐられただけでは喚き散らかさないが、藤井はただの科学者。頭が良いだけで、身体のつくりは平凡なのだ。
「え、これどうする?薬だけ取ってとんずらする?」
「それこそホントに殺されそうだけどね。やはり、私の案である君を囮にして私は幸せにどこかで暮らそうルートのほうがいいんじゃないかな?」
「ねぇ、なんでさっきから僕に責任を押し付けようとしてんの?」
痛みに悶え苦しむ男のすぐ近くでのほほんと会話を繰り広げる二人の光景はまさに異常と言わざるを得なかった。
しかし、どうするべきなのだろうか。届けたのはアンナだ。それは間違いない。本人は確かに届けたと言い張るし、当たり前だが予告状を書いただけの有人はアンナにそれを手渡した後のことなど知る由もない。つまり、アンナが届けて、藤井夏凪の手に渡るまでの間に予告状は消えたというわけだ。
これは、きっとあれな状況が来ている。
「みかんちゃん、タバコ吸ってもいい?」
「構わないよ」
慣れた手つきで煙草に火をつけ吸い、間を空いて一言有人は呟く。
「これは、あれだ。名探偵りんごの出番だな」
自分でもダサいと思う偽名を使い、平野有人の名推理(笑)は始まるのだった。
「では、名探偵さんの意見を聞かせてもらおうじゃないか」
「聞いて驚くなよワトソン君。僕の名推理によると君が届けたはずの予告状はおそらく!この男の手に渡る前にその間人が処分しちゃっただ!」
「おお~。さすがホームズさんだ。つまりあれだね、これ私は悪くないってことだね!」
「その通り!」
平野有人の名推理 終了。
「・・・」
「・・・」
「茶番はこれくらいでいいかい?」
「うっす」
直前まであった有り余る元気は何処へ行ったのやら、瞬時に感情を切り替える。
有人の考えが正しいのなら責任はこちらと相手側にあるはずだ。だが、決してそれは殺しを仕方がなかったと言える免罪符にはならない。
一体どうすればよいのだ。二人して顎に指を置き、熟考する。どう、メイカに言い訳をするのかを。
そう、数秒思考していると有人の視界の端に黒い封筒が映る。
「あぁーーーー!」
指をその方向にさし、有人は歓喜する。気分としては煙草が未開封で道端に落ちているのを発見した時くらいに嬉しい。やはり、届いていたのだ!開封はされていないが、届いているのならこっちのものだ。良かった。自分たちはアウトなことを何もしでかしていなかったのだと、有人とアンナは抱き合う。
「やはり、私は届けていたのだ!よかった、本当に良かった!」
「良かったねぇみかんちゃん!良かったねぇ僕!」
自分たちが沢山の人を殺しても言い逃れできる手札を失ってしまったと嘆いていた二人。本当に良かったと心の底から喜び合う二人の姿を傍から見るものはなんと思うのだろう。それを二人が知ることは無いのだが・・・。
「よーし!こっちの問題はかたずいた。後は元々の任務を遂行するだけだ」
立ち上がり、ガッツポーズをしながらそう意気揚々と声を上げる有人。それに感化されアンナも立ち上がる。一番の問題は解決した。後は、こっちをかたずけるだけなのだから時間もかからずすぐに終わるだろう。薬の隠し場所と製造方法を吐き出させる。例え口を割らなかったとしても銃弾を数発撃ち込めばすぐにゲロるだろう。そう思い実験台の向こう、藤井夏凪が倒れている方を覗き見る。
が、二人のその思惑が叶うことは永劫に訪れることは無くなってしまった。
藤井夏凪は自身の下を噛み切って自死していたのだ。
決して自分が敵う相手ではないということを悟り、情報を渡してはいけないと理解し、そのうえでの自身にできる最善の行動を彼は実行した。先ほどまで、ほんの一分前までそこにあった命はいとも簡単にこの世から消えた。有人たちは直接手を下していなくても、間接的に彼の命を奪ったのだ。普通の人間ならばそれだけでも酷い罪悪感に苛まれるだろう。普通の感性を持っているのならば。
——彼らは普通ではない。
「あらら、死んじゃったね」
「この人って殺しても良い人だっけ?」
「なんかやばい実験とかはいろいろしてたっぽいけど、僕の目に映る彼は光ってなかったから、一応殺しちゃダメな人だったよ」
「・・・まあでも、殺したの私たちじゃないしね。自殺なら私たちは無罪でしょ。さすがに」
「だよね~。みかんちゃんってば賢ーい」
自分のせいで、自分たちのせいで目の前にいた人を殺してしまったという自覚が彼らには微塵もない。
きっとこの先も彼らがそう自覚することは無いのだろう。
あと二話くらいで主人公出します。絶対。




