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05.泥の立場ということは

 エリスが世話係り兼教育係りになってからというもの。……見事に、英才教育を受けさせられている。


 四歳の頃からこんなに勉強させられて来たのかと思うとエリスに対して苦手意識を持った理由がよく解る。エリス、四歳児はまだ字もあんまり書けないし本も読めないよ……四歳児に過信しすぎだよ!


 子どもと触れ合う事があまり無いのだということがよく解るエリスの無茶振りに、応えるべきかで最初は悩んだ。


 だけど日本で14年程暮らしていた弊害が言葉に現れてる。まず、こっちの言葉は発音が難しく感じる。喋らなかった分発音が下手くそになっていて、子どもの舌の発達が出来ていないと言うのも大きな原因だろうが、微妙に舌足らずに聞こえる。


 思考言語まで日本語になってしまっていたので、聞き取りも日本語に翻訳してたので相手の言っている言葉も理解するまでに時間がかかることもあった。ついでに忘れていた言葉とか常識とかも結構ある。 

 そのあたり全部、子どもだから! の言い訳が通じるので子どもの世界って優しい。


 と言うことで結局エリスの無茶振りにはそこそこしか応えられない。もちろん努力すれば変わるだろうけど。


 それに何事も知識をつけてから、がモットーのエリスはまだ剣を握らせてきたり体力づくりをさせてくることはない。……いまのスケジュールに実技が入ったら死ぬ気がする。だからあんまりにも優秀すぎるのは止めておくのがいいと考えた。


 お昼寝の時間もないし、ご飯の間もマナー教育入るし、おやつ休憩もないし、オネットにも会えないし……エリスはまず子どもの生態を知るべきだ。


 四歳なんて眠いとぐずるし食べ方は汚いし3時頃にはお腹すくし寂しがりやだぞ! あと風邪も引きやすい! この二月ほどで既に四回ぶっ倒れている。無理しすぎですよねわかります。


 オネットなら微熱でもあれば顔を見てすぐ解ってくれるんだけど、エリスにはそのスキルが期待できない。ほんっとに子どもの知識がない。なんでくそ親父はこの人を選んだのか……


 一度泣き叫んでわがまま放題言いたいが、それは変な精神年齢が邪魔してくる。こんな時だけ!


 とにかくそろそろ限界だし、ボイコットしようと思います。オネットに会いに行って甘やかして貰うんだ……


 そう決めて足取り軽く、エリスから身を隠した。エリスってかくれんぼとか下手そうだ。



 離れから本邸に向けて歩くと、やっぱり景色が懐かしくていろいろと思い出しそうだ。が、無理矢理押し込む。黒歴史を思い出して良いことはない。


 自分がリュシーになってからは儀式のときくらいしか本邸には行ってない。くそ親父と会ったのもあの一回きりだし、隔離されてるなあとしみじみと思う。


 3人兄弟の真ん中、しかも上と下は本妻の子で両方男児。リュシーだけが女で愛人の子、母親は貧民だったらしい。その実母はリュシーを生んですぐ他界したと聞いている。それなのになぜリュシーが跡継ぎ任命……そりゃあ面白くないよな。


 リュシーの立場を思い出してオネットやエリス以外と関わりがない意味がよくわかる。


 離れには掃除をする下女しか居ない。食事を持ってきてくれるのもエリスだし、当然身の回りの事をしてくれるのはエリスだけだ。


 普通の四歳児が満足いく着替えやら風呂やらできるわけもないのにエリスは全て自分でするように言う。オネットは全て手伝ってくれていたが、子育てをしたこともないエリスを比べるのは酷かもしれない。けど幼児の水場の怖さを知ってほしい。



 『今』は『自分』だから危なくないが、『リュシーの時』はそれがどれ程危うい事だったか。



 ダメだ、愚痴っぽくなる。

 気分を切り替えて上を向く。本邸まではもうすぐだ。


 離れと本邸を隔てる庭は、離れから見ると手入れされていない雑草だらけだ。奥には本邸から離れが見えないようにと背の高い木が並んでいてる。離れから見ると本邸の屋根が見え隠れしている。つまり本邸は大きいが離れは小さいってことだ。それでも平民の一般家屋に比べれば大分大きいものだけど。


 背の高い草をかきわけて進むがまるで迷子になってくださいと言わんばかりだ。これもわざとだろうな。


 だいたいの方角を覚えておけば迷わないことは知っているが、それでもこの放置されっぷりは気分がよくない。なにより、こうして移動するのはしんどい。


 大分な時間をかけて、離れと本邸を分ける柵と門をやっと見つけた。門の向こうは放置された草もなく、きちんと整備された草花が綺麗に手入れされていてまるで別世界だ。

 門は誰も居らず、鍵は閉まっていない。まあ、一応出入りは自由にさせてくれているようだ。


 本邸の方へすり抜ける前に、綺麗な花を見つけた。恐らく本邸から種が飛んだかなんかだろう。

 オネットへの良い手土産になると思い、出来るだけ根っこの方から花を摘んだ。根から摘むと不格好だが、これなら長生きすると思うので仕方ない。


 やばいな、これ今自分がすごくかわいい気がする。幼児に花とかビックリするぐらいあざといな! なんてことを思いながら、オネットの反応を想像して頬が緩んだ。きっと、喜んでくれる。



 庭から、無遠慮にそのまま本邸に上がる。花も自分も出来るだけ砂を払っておいたので許してほしい。あの道のりと最後の土堀りのせいで気が付けばなかなか汚くなっていた。


 離れとは段違いの丁寧な造りをした本邸は、見ているだけで気疲れする。べ、別に自分が住んでないからって嫉妬しているわけじゃないんだからね! と言い訳(自分に)してみる。


 ここにくるまでにかかった時間は長く、正直子供のコンパスを舐めていた。記憶の倍程も遠い。だが、オネットに会えるかと思うとそんな疲れも何のそのだ。花を渡して、褒めてもらって甘やかしてもらうんだ!


 鼻歌さえ歌い出せそうな気分のまま、幾人かの使用人に会った。全員総じて嫌そうな顔で睨んでくる。

 こんなに明確な敵意に会うのは久しぶりで、少し心に重い。昔はなんとも思わなかった。それが普通だったから。


 ……うーん、オネットはどこかな。わざわざ嫌そうにする使用人に聞くのもなんだしなー。

 手に持った花がへたりとしている。せめて花瓶でもほしい。あ、植木鉢の方がいいか。


 少しの現実逃避も交えながら、別に小さくなるようなこともせず堂々と通路の真ん中を通る。

 全く本邸に覚えが無いわけではないが、子供の視点で広い本邸を歩くのは探検気分だ。忘れてることが多いってたまにはいいなー。


 キョロキョロとしながら歩くことに夢中になり、角を曲がるとき前を見ていなかったのは確かに失敗だった。

 どん、と、勢いよく歩いていた自分は衝撃に耐えるかとが出来ずお尻から倒れた。痛ぁっ!


 自分と花の無事を確認して、急いで謝る体勢に入る。

 だが結局、謝罪を口に出すことは出来なかった。



「無礼なッ!」

 険しい怒声をかけられる。その声と姿に、謝罪の言葉は喉の奥に消えていった。


 侍女を数人後ろに控えさせ、誰よりも上等な服を着た、まだ若い女。

 黒い髪は丁寧に結い上げらていて、顔の造作も整っており美女と呼ぶに相応しい風体だ。だが目はつり上がり、気は非常に強そうで愛想のある顔とは残念ながらかけ離れている。


 彼女に見下げられた瞬間、息が止まった。


「……どんな野蛮で恥知らずな者かと思ったけれど、お前でしたか」


 先程よりも落ち着いた声。だが、嫌悪感のようなものが滲み出ている。


「泥棒で汚ならしい娘の子ども。やはり血は争えないですね」

 上から下まで無遠慮な視線で見られた後にそう言われた。

 まだ倒れたままの土のついた自分の体と、土のついた花。急に自分が恥ずかしくなり、唇を噛みながら立ち上がった。


 後ろに控えている侍女たちはくすくすと潜めた笑いをあげている。

 いつの間にか床に下がっていた目線を必死で上に上げる。花を握りしめて。


「これは! この花は離れ側に咲いていたものです!」

 子供の大きな声。自分の出した声。動揺を隠せていない声が高く響いた。


「まあ大きな声を出して野蛮な。しかも泥棒の上嘘つきだなど、救いようのない愚かしい子ね」

「ちがっ!」

 鼻で笑うように返され、言い返したいが自分にそれを違うと証明できるものがないため、言葉に詰まる。

 言葉に詰まった自分に侍女たちが水を得た魚のように甲高い声を上げ始めた。


「そうですわそうですわ! 奥様のお慈悲で生活出来ているためというのに恩知らずな子!」

「全くね。奥様は汚いものがお嫌いなのに、あの姿を見るに、余程汚い格好が好きと見えます」

「やっぱり貧民は血から汚ならしいのです! きっと泥から出来ているに決まっているのです」


 控えていた侍女も女の背後からぎゃーぎゃーと中傷をあびせかけてくる。そんな安い中傷に怯む様な可愛らしい心なんてない、けれど。

 一通りの罵倒をされる中、女のため息一つで侍女たちの声が止んだ。自分の体がびくりと震える。


「もうおやめなさい、あなたたち。所詮貴賤も解らないような愚鈍な子供。言葉だって本当に理解しているのかどうかも怪しいわ。もう行きますよ。これ以上は臭いが移ります」

 女が持っていた扇子で鼻を覆う。眉間には皺が寄り、目だけで嫌悪の感情を伝えてきた。

 その目を見つめ返せず、床を睨みつける。また唇を噛みしめ、ただ花だけが支えとばかりに強く強く握りしめる。


「解りましたわ解りましたわ! 申し訳ございません奥様! 行きましょう!」

「そのお服も汚れてしまいましたね。直ぐに新しいものと廃棄の準備を」

「立場を理解しているのなら普通ここ所には恥ずかしくて来れないのです! 全く、厚顔無恥にも程があるのです!」


 再び女が歩くと、侍女たちもそれに倣いその後ろを付いていく。通りすぎざま女に、「放棄なさい」と、呟かれた。何をかなんて、主語がなくとも解る。


 足音がしなくなるまで、ただそこに立つだけで精一杯で、気が付いた頃には、花の茎が握りしめすぎてぐちゃりとつぶれていた。



 女――義母の顔を、言葉をまともに会わせたのはリュシーのとき、十歳の誕生日が最後だった。別に死別したわけでもないけれど、あの誕生日以降はリュシーの中でも、あの人の中でもお互いを存在しないよう扱っていた。

 お互いがお互いを無いものとして扱う、それがリュシーたちの、暗黙のルールだった。


 見た瞬間、記憶の女との違いに戸惑ってしまった。くそ親父でも大丈夫だったのに。今回は大丈夫だと思っていたのに。そういえばこんな人間だったと、改めて思い出した。


 だが、もうこんな失態はしない。侮られることも、侮辱されることも、思ったより耐性がなくなっていて動揺してしまう。慣れ無ければならない。これからもこの世界に生きるなら。生きていくのなら。


 はあ、とため息が出る。気を取り直してまたオネットを探さなければ。

 茎は少し潰してしまったので、潰してしまった少し上を千切った。千切った分は帰りの庭に捨てておこうとポケットへ。折角頑張って根っこから抜いたのに残念だなー。ごめんよお花。


 花に謝って短くなった茎を優しく握り、また歩こうとした瞬間、ぐしゃりという音と共に背中に何かが当たった。


 振り替えると、義母に付いていた侍女たちとは違う顔ぶれの侍女が数人、こちらに指を指して大口を開けて笑っていた。

 何をぶつけられたのかと当たった場所を見ると、粉々になった白い殻。それから汚くい色の――

 それは次々に周囲に投げられていて、床も無残な状態になっていた。


 ――腐った卵だ。臭いが酷く、鼻をつんざくようなアンモニア臭がする。


 そこまで認識したとき、またもう一つ、今度は頭に当たった。どろりと、顔に流れてくるそれ。そして響く喜ぶような声。盛り上がっている声。


「次は私に投げさせてよっ」

「ダメよ、貴女投げるの下手じゃない。貧民様はお腹が減ってらっしゃるのだから、たくさん差し上げたいじゃない?」

「もーっ、ずるーい!」

「掃除するのが大変になるんだから、やり過ぎないようにするのよ」

「えーっ、でもこれだってお掃除ですよう」


 なんでそんなことが、できるんだ。狂ってる。


 気持ち悪い。



 気持ち悪い。




 気持ち悪い!



 頭のなかで笑い声が響く。これが、年端もいかない子供に、する仕打ちなのか。


 はやく、移動してしまおう。ここからはやく、逃げないと。

 だが不思議と足が動かない。だが立ち去りたい一心なのに、どうしても、足が。


 誰も助けてくれないと知りながら目をいろんな方向に向ける。 


「あ……!」


 見つけた。オネットだ。窓の外だし距離も遠いけれど、間違いなくオネットだ。

「オネッ……」


 こちらを向いてほしくて、叫ぼうとしたが出来なかった。足も動かなければ、今度は声も出ない。

 ばしゃりと、今度は水をかけられた。バケツから何度も、何度も。


「あらごめんなさい? ここのお掃除をしようと思っただけなのですわ? あなたがあんまり汚いものだから、ゴミかと?」


 笑い声。笑い声、笑い声。


「あーっ! オネット様をお探しでしたのね! ですがやめておいた方がよろしいですよ」


 オネットが、振り向く。けれど、オネットはこちらに気が付かない。気付かれたく無いと思ったのでほっとする。

 でもオネットの視線の先は。義弟を抱いたオネットが、義弟に笑いかける。義弟だけを見つめて加護する、その慈しんだ笑顔は、優しさは、


「オネット様はやっと貴方のような汚い子供の相手から抜け出せたのですから」


 自分のものだと、思っていたのに。


 まだ眠っていた感情が吹き出て、吐いた。まだこんなにも身勝手な感情を持っていたことに、拒絶反応が出たように気持ち悪くなる。


 朝御飯も食べずに来たから、吐くものは直ぐに胃液に代わった。


「まあ汚い! 全くこれだから貧民は!」

 かけられた言葉に、心の中ですら否定できなくなった。


「可哀想な汚い貧民。立場を弁えればこんなことにはならなかったのに」


「愚かな汚い貧民。誰も貴方を愛してなんかいないのに」



「オネット様が貴方に優しくしていたのは、仕事だっただけのことなのに」



 手のなかにあった花は花びらも茎も、最初の美しさの見る影もなく、まるでリュシーのようだ。どろどろで、ぐちゃぐちゃで。


 思わず花を握り潰す。花びらが、落ちた。



 あーあ。もう渡せない。


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