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溺れる、連鎖  作者: miz
第2章 黒
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2. 雨の、音

 妹と志紀さんの足を眺めるように歩いていると頭の痛みも忘れられるような気がした。

 ふたりが話す声。歩く足音。雨が降りつづく音。心地よかった。

 自分の言ったことを後悔していた。

 あの後、妹に怒鳴られて我に返ったような気もしたが言葉を訂正することはしなかった。

 志紀さんのことは好きだ。

 毎年、両親の命日に墓参りをするという名目も嘘ではないがきっと俺たちのことを心配して様子を見に来てくれていることも分かっていた。

 そんな彼をどうして恨める?嫌いになれる?

 律義とか優しいとかいい人とかそんな言葉では言い表せられないほど志紀さんといると心地よかった。親と似ているような恋人と似ているようなそんな心地よさだった。

「青山くん」

「……はい」

「今から少し、時間ある?」

 志紀さんはガキである俺に筋違いもいいことで怒鳴られて言い返したかっただろうに嫌な顔ひとつせず笑顔を向けてくれた。

「妹が、」

「ああ、(しん)ちゃんはいいんだ。青山くんに話しがあるんだ。」

「……はい……構いませんけど」

 妹とは地元の駅で別れ、俺たちは近くにあるカフェとは言い難い喫茶店に入った。

 飲み物はいいと断ったのだがホットコーヒーを頼んでくれた。

 志紀さんはコーヒーが運ばれてくるまで一言も話さなかった。ずっとガラス張りになっている通りを眺めていた。俺は俯いたまま志紀さんの細くて長い指を見つめていた。

「今日の雨はしつこいね」

「……あの、何ですか?話しって……」

「うん。青山くん来年で高校卒業でしょう?将来どうするか決めた?」

「…………」

「勉強はかなり出来るって聞いたよ」

「今、将来のこととか考えられません」

「…………」

 そう言うと志紀さんは黙ってしまった。

 俯いたままだったのでどういう表情をしているのか分からなかったが、悲しい表情をしているのだろうと想像ができた。

「……青山くん、笑わなくなったね……」

「前からだと思いますけど」

「そんなことない。前は目が合う度笑ってた。」

「……まぁ……子供でしたから」

「……もし……もし、助けが必要だったら遠慮なく言って。番号は変わってないから」

 志紀さんは最後まで優しい口調で「心ちゃんが心配してたよ」と言った。

 そして俺は最後まで彼の顔を見れず俯いたままコーヒーが冷めていく様を見ていた。

 喉は本当に渇いていなかったが志紀さんの前で一口くらい飲む真似でもすればよかった。彼の優しさを無駄にしてしまったとぼんやりと考えていた。

 「もし、助けが必要だったら遠慮なく言って」志紀さんの言葉を反芻する。

 助け?助けってなんだ。この気持ちから救われることなんてあるのか?

 彼に、犯人を殺したいほど憎い。

 憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて過去に戻れることならクローゼットから飛び出して犯人を刺殺でも絞殺でも撲殺でもなんでもいい。ともかく犯人を殺してでも両親を救いたい。

 そう言っても過去は変えられないのにこんな遣りきれない思いからどうやって助けるといいうのだ?

 きっと犯人が捕まったところでこの思いが消え去ることもないだろう。

 もしも犯人が捕まったのならばこの思いはより一層強くなるとも思っている。

 また涙が溢れそうになるのをぐっと堪えた。

 志紀さんのその言葉だけで充分だ。そうだ。それだけで充分なのだ。

 ふとコーヒーから通りへ視線を向けると、心臓がドキリと跳ねた。

 こちらをじっと見ているヤツがいたのだ。

 元々人通りの多い通りのうえ傘を差して行き返っていたのでよく顔は見えなかったが、目を逸らさずに見つめていると気づいてしまった。

 名前は確か、和泉(いずみ)という。俺がイジメているクラスメートだったのだ。

 暫くのあいだ目が合っていたと思う。和泉はぼんやりとした目で俺を見ていたが突然「しまった」という表情をし慌てる様子もなく素早く歩き去って行った。

 以前は何も感じていなかったし考えることもしなかったが、気持ち悪い、それが彼の第一印象といってもよかった。



【6月7日】


 奈々さんが戸籍上、俺の母親になったのは俺が7才のときだった。つまり事件から数えて1年前のこと。

 俺と妹は母親が大嫌いな反面父親が大好きな子供だった。

 俺たちを生んだ母親が理不尽だったこともあり母親とはそういう生き物だと思いこんでいた。

 だから父が奈々さんと再婚するのだと聞いたとき何も言えなかったが心の奥底では猛反対していた。「イヤだ」と口から出かかっていたことも覚えている。

 今から考えれば不思議な話しだ。大好きだった父親のことより奈々さんのことのほうが今でも鮮明に思い出せるのだ。

 事件の日、奈々さんは唇をぎゅっと噛みしめ、目には涙を溜め怒りの表情をしていた。

 今までみたことのない表情に驚いたが彼女がこんなにも俺のことを、確かに不器用だったが俺のことを想ってくれている。

 ひりひりと痛む頬を庇いながら母親とはこんなにもこんなにも優しく温かいものなのかと思い知らされた。

 生みの母親には何度も何度も殴られたが半端ない痛みとか悔しさとか恐怖とか、そんなものしか溢れてこなかった。

 それなのにこの人はこんなにも意味のある痛みをくれるのだ。

 その後、夕日を見ながら手を繋ぎ夕飯の話しをしながら帰った。

 目を閉じればスローモーションのように詳細に奈々さんのことを思い出せる。

 感情や表情、瞬きやうっすらと残った涙、息づかいや髪の動き、全て。

 ああ、そうか。志紀さんは奈々さんに似ている。不器用だが優しく笑う。

 とても憎くてとても愛しい―――


「今日帰るの遅くなるから」

 朝、先にテーブルについているのは母。

 料理をしない母はトーストを焼きブラックコーヒーを飲んで出社するのが日課だった。

 俺たちが"青山"という名前に変わってから母は改心したかのように見えたが、数日で努力は消えた。

 朝食というものが最後に用意されたのはもう何年も前のことだ。

 母にとって俺たちは努力なのだ。だけど以前よりかはずっといい関係なのは確かだ。

 暴力はなくなったし妹とは上手くやっている。母に似た俺は未だに煩わしい存在のようだが。

 事件の後、俺たちを迎えに来たのは母だった。

 いつもの強くて勝気な母ではなく不安いっぱいの顔をしていて俺たちの姿を見つけたときには泣いているかのようにも見えた。

 初めてみる母の感情に、戸惑った。俺たちを力いっぱい抱きしめ「私と一緒に暮らそう」と言った。

 母は決して自分のことを「お母さん」などとは言わない人だった。父のことも「お父さん」とは言わず名前で呼んでいた。

 そして次に母の顔を見たときにはいつもの母に戻っていた。

「私の代わりに心の迎え行ってあげてくれる?」

 俺の顔なんて一切見ず新聞に目を傾けたままそう言った。

「……わかった」


「青山は進学だよな?」

 グラウンドに出来た大きな大きな水たまりから俺の目の前で何が書かれているのか分からない書類に目を通しながら話す担任に視線を向けた。

 進路が決まらないのはクラスで俺と和泉だけのようで放課後担任に呼び出されたのだ。

 和泉は前半で俺が後半。

「……え?」

「違うのか?」

 先生は驚いたようで書類から顔を上げあからさまに「まさか進学しないのか」という表情で俺を見ていた。

「ああ……まだ何も考えてなくて……」

「青山の成績なら進学がいいと思うけど……親御さんは?なんて?」

「……いえ、別に何も」

 それからも先生は何かを話しつづけていたが一切頭に入ってこなかった。

 進路。進学。将来。未来。

 グラウンドに目を向けるとまた雨がしとしとと降りだしていた。


 靴箱から校門へ向かおうと傘を広げると視界に人影を感じどきり、とした。

 咄嗟に横にいる人物を確認すると、和泉だった。

 確かに俺の前に担任に呼び出されていたが俺と担任が話していた時間は随分長かったはずだ。

 それなのにこんなところで何をしているのだ。

 傘は、持っている。

 気にせずにそのまま立ち去ろうとした。

「……ねぇ」

 一瞬、誰の声だか分からなかった。

 和泉が声を発するところをはじめて聞いたのだ。

 立ち止まる必要はなかったが"声を聞いた"ことと"和泉"が"俺"に話しかけることに驚き、本当に俺に?という気持ちで振り向いた。

 和泉は屋根があるところから一歩踏み出していた。

 しとしとと雨は容赦なく彼の頭上に降りつづけ髪を濡らしていた。元々長い前髪が水分を含み更に重みを増し、彼の目を覆い隠していた。

 初めてまともに和泉の姿、形を見たかもしれない。

 身長は然程高くなかったが、すらりとしていて夏服の袖から伸びる腕は白く、髪は異常なほど黒かった。

 顔立ちは整っていた。女子が好みそうな、綺麗という言葉が当てはまると思う。

 その前髪から垣間見える目は、笑っている。

「あんた……"××夫婦殺害事件"の目撃者なんじゃないの?」

 切れ長な目はさも可笑しそうに歪んでいく。

 もしかしたら声を出して笑っていたかもしれない。

 けれど今の俺には届かなかった。

 どうしてお前がそれを?

 ―――どうして、お前がそれを知っているんだ?

 傘に当たる雨の音しか聞こえない。異常なほど大きな雨音が頭の中まで響いていた。

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