06. ライセンス・オブ・キラー
『ものぐさドラゴン』
ケネス・グレアム著/1898年発表
ある村に、恐ろしいドラゴンが現れた。退治に乗り出した聖ジョージだったが、当のドラゴンは争いを好まず、のんびりと暮らしたいだけだった。人々の思い込みと、思いがけない出会いが、やがて奇妙な騒動を巻き起こす。
遠くで、教会の鐘が一度だけ鳴った。
月明かりに濡れた石畳を、二つの影が駆け抜ける。
軽やかな足音。その背後には、追っ手であるハウンド──裏社会が雇う、国家認可のライセンスを持たない違法戦力者。
追われているのは、黒いアタッシュケースを持った一組の男女。
彼らは、国家公認コード・リーパーの……
「ちょっと!!!! 地の文うるさい!!!! 全力で走ってんだから集中させてよ!」
女が叫ぶと、隣を走る男がカラカラと笑った。
「まぁまぁ、許してやれって! 世界観の説明ってのは、時には必要だろ?」
【コード・リーパーはなぜ五十名固定なのか?】
「だから!! 今それどころじゃないんだってば!」
女──マキナは呆れたように肩をすくめた。
「仕方ないから教えてあげる! 私たちは、人殺しを許可されたライセンスを持つのよ。国家だって、自分たちが作った怪物を無限には抱えられない。だからコード・リーパーは、常に五十名までなの」
「おい、マキナ! 横だ!」
「え?」
声に振り向く間もなく、ハウンドが飛び出した。
握られたナイフが、マキナの首筋を一直線に狙う。
あと一歩。あと半歩。刃が届く、その直前。
乾いた発砲音が夜気を裂いた。
「百発百中ってやつだ」
男──ビクターは、振り向きもしなかった。
片手に構えた拳銃から、細い煙が立ち上る。
「油断なんかしてないんだから!!」
マキナは不満そうに頬を膨らませたが、その足は止まらない。
ビクターもまた、笑いながら肩をすくめた。
「はいはい、分かりましたよ」
【コード・リーパーは反乱を起こさないのか?】
「残念な話……」
ビクターは飛来する銃弾を躱しながら、笑った。
「殺せる権利を持つと、自分が全能だと勘違いする奴もいる。例えば、俺の親父だな」
二人は石畳を蹴り、一直線に駆ける。
「まぁ、その手の馬鹿を止めるために、もっと強い奴らがいるんだけどな」
行く手を阻むように、ハウンドたちが銃口を持ち上げた。
次の瞬間、無数の銃声が夜を裂く。
「ん? 俺の親父がどうなったかって?」
ビクターは止まらない。
身体をわずかに傾け、半歩ずれ、時には壁を蹴る。
「殺されたよ。コード・リーパーの最高位、コードネーム・condorにな」
【殺害権限はコード・リーパー個人の判断で行使できるのか?】
「んなわけないでしょ!」
マキナはハウンドたちへ向けてマシンガンを構えた。
「コード・リーパーは国家認定ライセンス。殺しは本部の判断次第。勝手な殺害や違法制圧が表沙汰になれば、市民の支持が落ちる」
連射音が夜の路地に響く。
「人気商売じゃないけど、世論は無視できないでしょ? ……って! ネイルが禿げたんですけど!!!!」
その瞬間だった。
横から飛び出したハウンドが、マキナに体当たりした。
「──ちょっ……!!」
マキナの手からアタッシュケースが滑り落ち、石畳の上を転がる。
ハウンドの一人がケースを開けた。
中から取り出したのは、一丁の銃。
──違法改良武器。
銃口が、マキナへと向けられた。
「──これさえ使えば……!」
(──やっばい)
引き金に指がかかる。
その瞬間だった。
*
銃撃音が聞こえた。
タカセとグレイは、音のした裏路地へ向かって駆けていた。
タカセが眉をひそめる。
「……包囲のリズムだな。誰かが狙われてる」
「見えてきた、見えてきた。アイツらじゃねえ?」
グレイの視線の先に、数人の男たちと、地面に倒れた女の姿があった。
タカセは走りながら、腕時計型端末に目を落とす。
先ほどまで追っていた回収対象。その反応は、すぐ近くにある。
「急ぐぞ、グレイ」
「はいはい。相変わらず仕事熱心だねぇ」
軽口を叩きながらも、グレイの足は止まらない。
路地の先。違法改良武器である銃を構えたハウンドが、マキナに向かって引き金を引こうとしていた。
「──使わせるかよ!」
グレイが地面を蹴った。
一瞬にして間合いを詰め、ハウンドの懐へ滑り込む。
引き金に指がかかる、その直前。グレイの手が銃口を跳ね上げた。
同時に、乾いた発砲音がひとつ。
タカセの放った弾丸が、銃を握る手を正確に捉えた。
銃が弾き飛ばされ、石畳を跳ねる。
「なっ──」
驚愕に目を見開いた男の首筋へ、グレイの手刀が落ちた。
ハウンドは声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちる。
「はい、残念」
グレイはそう言うなり、残るハウンドへ駆け出した。
一気に間合いを詰め、一人を蹴り倒す。その隙に、タカセが銃口を向けたもう一人の手元を撃ち抜いていく。
反撃の隙も与えず、二人はあっという間に路地を制圧した。
(──終わったな)
タカセはふっと息を吐き銃口を下げると、石畳に転がった武器を拾い上げた。
違法改良武器。
使用者が不自然な死を遂げる、いわくつきの代物。
これまでにも、この武器を手にした者が命を落としている。
その死が、単なる事故や自業自得で片づけられるものではないことを、タカセは知っていた。
──これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。
タカセは武器を慎重に確保すると、ようやくマキナへと向き直った。
「──大丈夫ですか? 怪我は……」
男女一組。腕には見覚えのある腕章。
(──こいつらも、コード・リーパーなのか?)
タカセは二人の姿をさりげなく観察した。
着崩したジャケットに、派手な髪色。どちらも、コード・リーパーというよりは裏社会の人間を思わせる風貌。
戦闘の最中も、互いの動きに迷いはなかった。少なくとも、ただの依頼人や一般市民ではない。
「ちょっと、あんた……」
マキナが口を開きかけた、そのとき。
「あーーーー!!」
隣にいたビクターが、タカセを指さした。
「お前、あのタカセか?! 最速のコード・リーパーの!」
「──その肩書きで呼ぶのはやめてくれないか」
タカセは呆れたように肩をすくめた。
その横で、アタッシュケースを拾い上げたグレイが笑う。
「かっこいいじゃん、最速のコード・リーパー。俺はどうしよっかな。イケメンのコード・リーパーとか?」
タカセはグレイの声を無視し、即座に話題を切った。
「お前たちもコード・リーパーだろ? この武器の使用者がどうなるか、知っていて所持していたのか?」
「……いや、依頼のものなんだ。それ」
ビクターは言葉を濁した。
タカセはすぐには答えず、ビクターの顔を見つめた。依頼。その一言で済ませるには、説明が足りない。
「……お前たちも回収任務に当たってるのか? 見たところ、聖都市の人間には見えないが……」
問いかける声は穏やかだった。けれど、その視線は二人から外れない。
ビクターは困ったように頭をかいた。考え込むときの癖らしい。
「んー。それが、ちょっと訳アリって感じのやつで」
グレイが片眉を上げる。
「訳アリ? お前ら危ねぇ橋渡ってんじゃねぇだろうなぁ」
「いやー、はははは」
その横で、タカセは静かに二人の様子を窺っていた。
一方。
マキナは黙っていた。
いや、正確には、冷静になろうと努めていた。こめかみが引きつり、拳が震える。
──考えてみれば、最悪だ。
命懸けだった。ハウンドに追われた。ネイルも禿げた。挙げ句の果てに、目の前で目標を回収された。しかも、本人たちは平然と雑談している。
──怒りで震える。
「……」
誰も口を挟まない。
というより、誰も目を合わせようとしない。
(今これに触ると、絶対に面倒になる)
その場にいる全員が、同じ結論に達していた。
だが、その沈黙が、さらに火に油を注いだ。
そして──
「私たちの獲物、横取りするなぁ!」
高い声が、夜空に響き渡った。




