04. ミシェル
タカセとグレイは屋敷の客間に案内された。
ミシェルのいない空間に、タエの声が静かに落ちる。
「──“観測再現体”。観測したものをコピーする能力だと聞いていますね?」
わずかに試すような響き。
タカセとグレイは一瞬だけ視線を交わし、それから揃って頷く。
「はい」
短く答えたタカセに、タエも小さく頷いた。
隣に座る男が、わずかに背筋を伸ばす。
「近年、特異体質を持つ子どもを“ギフテッド”と呼ぶようになったそうですね」
エドワード・アンバーソン。
ミシェルの養父であり、この屋敷の主でもある男だった。
「はい。ギフテッドは幼少期に消失すると言われています。発現に気づかないまま成人するケースもあると」
タカセが淡々と答えると、グレイが軽く肩をすくめた。
「だから専門性の高い北支部のラボに預けて、能力を解析して管理する。そういう流れだろ?」
──聖都市から北支部までの護送。
それが今回の任務だった。
「ミシェル様にはご家族がいらっしゃいました。ご両親を失われた後、エドワード様がミシェル様を引き取られたのです。ただ──」
タエの声を受け、エドワードは視線を落とした。
「僕が引き取ってから、ミシェルの“再現体”としての力は確認できていません」
──再現体。
その言い回しだけが、やけに機械的に響いた。
「両親を失ったショックなのかもしれません。あるいは、ギフテッドそのものが不完全だったのか……本当は、このまま様子を見ながら成長を待つという選択もありました」
エドワードは一度息を吸い、机の上で指先を握り込んだ。
「ですが、過去、研究はすでに一部で先行していた痕跡があります。もし制御不能な形で再発現すれば、あの子自身が危険になる可能性がある。遅い判断になってしまいましたが……北支部への保護が、最も安全だと考えました」
エドワードが顔を上げる。
その目は理性的でありながら、どこか疲れていた。
ミシェルを想う、正しさの言葉。
それ以上に、自分自身を納得させるための言葉にも聞こえた。
一瞬、沈黙が落ちる。
「エドワードさんは……ミシェルさんのことを大切に思われているのですね」
タカセの言葉に、エドワードはわずかに目を見開いた。
すぐには答えられず、数秒の沈黙を挟んでから、ゆっくりと息を吐く。
「──ありがとう」
それ以上は語らなかった。
・
広い屋敷の廊下。
タカセとグレイは、ミシェルの自室へ向かっていた。
「──まだ、なんか隠してるな」
グレイがぽつりと呟く。
「あぁ。決定的ではないが……違和感は残る」
「出来すぎてんだよ。身寄りのない子どもを引き取ったら、たまたまギフテッドでした。しかも“再現体”とかいう厄介なやつ」
今回の依頼は、アンバーソン家からの正式な護送任務だ。
ミシェル・アンバーソンを北支部へ移送する。
その裏には、もう一つの任務があった。
「本部の判断は一つだ」
タカセが静かに告げる。
「北支部到着までに、もし能力が暴走する兆候があるなら──」
続きは言わなくても、二人とも理解していた。
──抹消。
“危険因子の排除”。
それがコード・リーパーに与えられた、裏の追加任務だった。
グレイが小さく舌打ちする。
「……そういうの、俺は好きじゃねぇな」
「俺もだ」
「まあ、上がそう言うなら仕事としてはそうなる。けどな、俺は絶対に抹消だけはしねぇ」
タカセは即座に頷いた。
「──同意だ」
「じゃあ、方針は決まりだな」
「証拠を集める。なぜミシェルの能力が発現しないのか。なぜ“再現体”として停止しているのか」
グレイはタカセの肩に腕を回した。
「それでcondorのオッサンを納得させる材料を作る。──いいな?」
「お前にしてはまとまってるな」
短く答え、タカセはミシェルの自室のドアをノックした。
・
──部屋の中は、可愛らしい色合いで彩られていた。
レースの天蓋が付いたベッドには、たくさんのぬいぐるみが並んでいる。
いかにも女の子らしい部屋……かと思いきや。
「なんじゃこりゃ」
グレイが間の抜けた声を出した。
壁一面を埋め尽くす、本たち。
【鏡の国のアリス】
【七匹のこやぎ】
【ギフテッド能力発現条件の体系的分類と考察】
【観測再現体における再現精度と認識誤差の相関性】
【推しの言動に見る好感度変動と情緒的影響の相関性】
机の前の壁には論文の切り抜きが所狭しと貼られ、隙間を埋めるように手書きのメモや付箋が並んでいる。付箋には丸い文字で【重要なのです】と書かれている。
天井から吊るされた月や太陽のスチールモビールが、わずかな空気の流れに揺れている。ロケットに跨った宇宙服姿の人形も、まるで無重力空間を漂うように、こちらへ手を振っていた。
グレイは部屋を見回し、率直すぎる感想を漏らした。
「──イノウエの部屋ぐらい変だ」
タカセがすかさず窘める。
「おい、言ってることがバレたらしばかれるぞ」
その時、奥の部屋からミシェルが慌ただしく飛び出してきた。ぱたぱたと足音を響かせ、二人の前で急ブレーキをかける。
「わわわわわっ! タカセさんっ! グレイ! 散らかったままでごめんなさい……北支部のお話でしたよね……」
「なんで俺だけ呼び捨てなんだよ」
「……はて……」
ミシェルは小首を傾げ、グレイのツッコミを軽やかに受け流した。
二人のやり取りを横目に、タカセはミシェルを気遣うように、いつもより少し柔らかな声で話しかけた。
「──ミシェル、これから先のスケジュールについて話を詰めたい」
「わっ、分かりましたけど……あまり目を合わせられると恥ずかしい……いや、見てたいんですけど……」
ミシェルは顔を赤らめ、口ごもった。恥ずかしいのに、見ていたい。どうやら、タカセの顔をまともに見ることさえ、彼女にとっては一大事らしい。
そんな彼女の視線が、ふと窓の外へ向いた。
「にゃあ」
バルコニーに、一匹の猫がいた。
「わぁ、可愛い」
思わずこぼれた声とともに、ミシェルの表情がふわりとほどける。
タカセは、その横顔を一瞬だけ見た。
(……こんな少女を)
こんな少女を、本部は危険因子として見ている。
護送対象。監視対象。場合によっては排除対象。
だが今のミシェルは、ただ猫を見つけて喜んでいるだけの子どもにしか見えなかった。
──と。
「……あれ?」
ミシェルの目つきが変わった。
「どうした?」
タカセが尋ねると、ミシェルは猫の動きをじっと見つめていた。
「今の、見ましたか?」
「何を?」
「跳躍する直前、後ろ脚に体重を移していましたよね。なのに、着地したときには前脚から衝撃を逃がしていて……」
「……は?」
グレイの顔が、早くも怪訝になる。
ミシェルは二人の反応など気にも留めず、猫が着地した場所へと視線を移した。
「面白いなぁ。身体の構造が違うのに、動きの規則性は人間と共通する部分があるんですね」
「おーい、ミシェル?」
「いえ、以前、鳥の飛翔運動を記録したときにも似たような現象があって……あっ、でも、あれは翼の構造が関係していたから、単純には比較できないか……」
独り言が加速していく。
つい先ほどまで、タカセと目を合わせるのも恥ずかしがっていた少女と同一人物とは思えない。
その時、猫がバルコニーの縁からひらりと飛び降りた。着地するなり、何事もなかったかのように塀の向こうへと歩いていく。
「にゃっ!?」
ミシェルが素っ頓狂な声を上げた。
「あっ、待ってください!」
次の瞬間、ミシェルは迷いなく部屋を飛び出していた。
「え?」
タカセが一拍遅れて固まる。
「え?」
グレイも同じく固まったまま、視線だけでその姿を追った。
そして、ほぼ同時に二人の声が重なる。
「「待てぇ!?」」
・
──数分後。
「……見失った」
タカセは額に手を当て、静かに息を吐いた。
任務開始初日。護衛対象を見失う。
笑えない。まったく、笑えない。
グレイは気楽そうに肩をすくめた。
「いやぁ、元気なお嬢様だな」
「感心してる場合か」
タカセは端末を操作する。しかし、位置情報は表示されない。
「condorのオッサンにバレたら、普通に殺されるな」
「冗談にならない」
タカセは短く切り捨て、端末を握り直した。
「……早く見つけるぞ」
二人はすぐさま駆け出した。




